自由意志

追記の注。ぜんぶ読めばそう書いているし、もうすでに手遅れかもしれないが、この文章における自殺という語は、たとえば社会問題としてのそれとはまったく異なる。まったくというのも異なるというのも誤用になる地点において。

ひとは、自殺を、死にかたのひとつとしてしか考えてこなかったが、むしろ、死は、自殺か、非自殺か、どちらかだ。

「みんな明日生きているかわからない」というのは、万人にひらかれた死の可能性についての言葉だろうが、さて、この、今ここにある、自殺できる可能性はどうしたものか。

(カミュが、哲学の根本問題は自殺だ、といったのもここだ。)

じっさいに自殺するかしないか、すべきかそうでないか、自殺を志しても最後まで遂げられない場合は考慮に入れているか、人間にはそう言う衝動もあるということか、などなどは、まったくの的外れ。ただ、「自殺できる可能性」がいつでもどこにでもあるということのみ。これは、はじめの一歩のさらに初動くらいの話。


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