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「日本人も外国人も関係ない、熱量ある多くの人と出会った場所」山岸亮太さん|ボーダレスメイトストーリーvol.3

「ボーダレスメイト ストーリー」は、国際交流シェアハウス「ボーダレスハウス」の元入居者であるボーダレスメイトにインタビューをしていく企画です。

第3回は、山岸 亮太さん。
学生時代からインドネシアで教育事業を立ち上げるという志を持っていた亮太さんは、社会人2年目の2019年からボーダレスハウスに入居しました。2019年〜2021年を日本橋ハウス、2021年2月〜10月を北千住1ハウスで過ごした亮太さんに、ボーダレスハウスでの体験や現在のお仕事についてお話を聞きました。

プロフィール
株式会社こうゆう「花まる学習会」に入社後、インドネシア事務所を立ち上げ、駐在。オンライン授業を担当しながら、現地での教室開校や渡航宿泊企画・運営を行う。花まるグループのメソッドを応用した海外文化を学ぶ「ソトシルクラス」を立ち上げ、自分とは違う当たり前や常識を楽しむ『海外文化』を題材にしたコンテンツを展開するほか、現地孤児院と連携し、新しい孤児院支援の在り方を模索している。


日本にいても海外への熱をより高められる場所を探していた


——はじめに亮太さんご自身のこと、そして、現在のお仕事について教えてもらえますか。

学生時代は様々な国へ旅をしていました。その中でも、暮らしている人々が一番幸せそうに思えたインドネシアに魅かれて、文化や人を好きになっていきました。インドネシアの孤児院を回るようになり、孤児院に暮らす子どもたちのたくましさや感情をまっすぐに表現する美しさに心を打たれて、将来はインドネシアの孤児院のために働くことを決めました。

その後、自分で起業する道も考えましたが、教育や運営のノウハウをもっと身につけておく必要があると思っていたので、学生時代からアルバイトをしていた『花まる学習会』に入社して、日本での学習塾の運営に没頭していました。

——ボーダレスハウスへの入居はどんなタイミングでしたか。

ボーダレスハウスへの入居を決めたのは社会人2年目の時。インドネシアに行くという心の熱量とは裏腹に、目の前の仕事に追われる毎日にもどかしさを感じていました。かといって、今すぐに渡航できるわけでもない。国内であっても海外への自分の思いを途切れさせず、むしろ今以上に研ぎ澄ませる場所を求めていました。

——亮太さんは最初のご連絡から入居まで本当に早かったですよね。

はい。ボーダレスハウスへの入居を決めてから、1週間で引越しました。実際に渡航する前にインドネシアの人と一緒に生活してみたいという思いもあり、HPで全ハウスの情報を一つ一つ見て、インドネシアの方が暮らしているハウスを選びました。その後、インドネシアに渡航するまでボーダレスハウスに住んでいました。

結局、インドネシア人のハウスメイトは僕が入居して1ヶ月半で退去してしまいましたが、今でも連絡をとりあっています。ただ、それ以上に、入居前には意識していなかったインドネシア以外の国の人たちと交流したり知り合う機会があったことが、最終的に良かったなと思っています。

ハウスメイトと出かけた高尾山


それぞれの熱量に触れる時間を過ごして、自分の思いも確信に変わった


——ボーダレスハウスでの滞在期間で印象に残っていることはありますか。

入居してすぐにコロナの非常事態宣言が出て、家から出られない状況が続きました。ハウスメイトもみな外に出られなくて、ずっとハウス内で過ごしていたので、いつでも人がいて話ができる状況はむしろありがたかったです。普段以上にみんなで自炊をして、リビングで話したり夜遅くまでゲームをしたり。あの頃、もし一人暮らしだったら、仕事もオンラインで、家からも出られなくて鬱々としていたかもしれないけど、ハウスの毎日はとにかく楽しかったですね。

印象に残っているのは、特別なイベントというより、海外のルームメイトとの暮らしです。

1軒目の日本橋ハウスで同じ部屋になったのが、オーストラリアから来たディーンです。ボーダレスハウスに住む前は、例えば「海外の方は細かいことは気にしないおおらかな性格だろう」とざっくりと国籍で考えていましたが、ディーンは几帳面すぎるくらいの片付け好きなヤツで、僕がシーツを洗わないことを信じられないと言って毎月洗ってくれたり、母親みたいに世話を焼いてくれました。

日本橋ハウスで、ハウスメイトと一緒に。(写真左がディーン、中央が山岸さん)

その後、北千住1ハウスに移り、イタリア出身のフェデと同じ部屋になりました。彼は極度の寒がりで、真夏でもエアコンは30度設定(笑)、それでも寒いっていうんですよ。僕のベッドに温風が当たって暑くて眠れない。でも当時の僕は英語があまりできなくて、彼も日本語がまだ話せなくて、それぞれ我慢していた時期はすこし仲がギクシャクしていましたが、季節が変わっていくにつれて、自然と仲良くなっていきました。

日常の細かなエピソードですけど、海外の方と喧嘩したり仲直りする経験も、一緒に生活していないとできないレアな体験だなって思うんです。今も、彼らとの交流は続いていますね。

——ハウスで知り合って、もう4、5年の付き合いになるんですね。

そうですね。プライベートだけでなく、仕事で関わる機会もあります。ディーンをゲストに招いて、花まる学習塾に通う中学生に向けて「外国人が日本で生活すること」というテーマで話してもらったこともありました。逆にディーンの友人がインドネシアに行くことになったのでつなげていいかと連絡が来たりもしますね。

——一緒に暮らしていた頃からお仕事の話もよくされていたんですか。

はい、どちらのハウスも社会人の方が多く暮らしていたし、僕の入居理由も仕事に関係していたので、よく話していましたね。

コロナの時期は海外からの入居者が少なかったこともあって、日本人同士で話すことも多くありました。シェアハウスでなければ知り合わない職種の人、例えば弁護士の方もいて、ここのみんなで一緒に何か始めたいねといった話をよくしていましたね。実際、弁護士の方が事務所を立ち上げる時には、ハウスメイトが内装や会計事務を手伝ったこともありました。

北千住のハウスメイトたちと。写真左が寒がりなフェデ

——その話を聞いて、感動したことを覚えています。自分のやりたいことやチャレンジしたいことをお互いに話したり、人をつなげたり、そういうことが自然発生的にハウスの中で起きていたんですよね。

たまたまかもしれないですけど、それぞれが新しいことを始めるタイミングが重なっていたんです。僕もインドネシア拠点の立ち上げ準備をしていたこともあって、仕事への熱量がすごく高い時期だったし、それぞれが協力しあいながら進めていく空気があったように思います。もちろんスマブラとかゲームをして過ごす日もありましたけど(笑)。

——一人一人のタイミングがそろう偶然もあったんですね。当時の体験が今につながっていたりしますか。

今でも連絡を取り合うような出会いを持てたことは本当にありがたかったですね。また、海外と関わっていくという自分の思いに確信を持てたことや、海外と関わること自体がシンプルに面白いと思えたことが、僕にとって何より大きな経験でした。

それぞれの国の料理や生活習慣など、知識として得られた楽しさももちろんありますが、それ以上に、言葉も通じない、性格も違うといった「分かり合えなさ」が、毎日の生活の積み重ねのなかで少しずつ変化して、普通に友達になっていくという感覚を味わえたことが、入居時には想像していなかった新鮮で面白い体験でした。

海外から来ている人だけでなく、自分と同じように海外に対して熱量を持つ日本人との出会いも大きかったですね。いろんな職種の人や学生と出会って刺激を受けられたし、日本人も外国人も関係なく、本当にたくさんの頑張っている人たちと出会える場だったなと思っています。

ハウス間の交流も行われていた


海外と出会う体験をもっと幅広い世代に届けたい


——海外経験が豊富な方から「ボーダレスハウスでの生活は刺激があって面白い」と聞くと嬉しいです。

ボーダレスハウスでの生活は、留学や海外への移住とも違って、様々な国籍の人と一緒に生活するところに面白さがあるし、学びも多くて純粋に楽しい体験でした。

だからこそ、大学生や社会人になるもっと前に、この世界の広さを知る面白さに触れてほしいと思って、昨年、ボーダレスハウスにも協力してもらい、ハウスに暮らす海外国籍の方と小学生で共に過ごすキャンプを開催しましたよね。

——あの時は、声をかけてくださってありがとうございました。入居者さんもめちゃくちゃ楽しんで参加していました。

参加した子どもたちにとっても大きな意味を持つ出会いになっていたようで、手応えを感じました。

ずっとやりたいと思っていたことが形になりつつあるので、今は目の前の企画をどんどん進めていく段階だと思っています。他国に広げるという展開よりも、インドネシアに住んで、ローカルにどっぷり浸かっている僕だからこそ作れる濃い企画の方が面白いんじゃないかなって。

海外と関わることの魅力は、若い世代だけのものじゃないとも思っているんです。例えば、子育てをしている保護者の方や大人の世代が、海外の子育てのあり方を知ることで、常識に縛られていた心をゆるめることができたり。そんなふうに日本以外の文化に触れる体験を幅広い世代に届けていきたいですね。

現在の山岸さん。インドネシアにて

——ボーダレスハウスも幅広い世代に向けてシェアハウス生活以外の体験を作っていこうとしているので、これからもよろしくお願いします!。

ぜひぜひ!僕個人としてはずっと孤児院への想いがあって、今もある事情から一人の高校生を引き取って面倒をみているんです。孤児院で暮らす子たちは、料理や家事全般を自分でやらなきゃいけないんですが、そのことが非認知能力を育てるからか、一人一人の能力が高いんですよ。彼らへの学習意欲の動機づけや卒業後の職業斡旋などにも関心があって、個人への支援というよりビジネスのスキームで救っていきたいと思っています。

——めちゃくちゃいいですね。亮太さんのこれからも楽しみです。

ありがとうございます。また色々相談させてください。

——もちろんです。今日はありがとうございました。


ボーダレスハウス とは


「暮らしながら、世界とつながる」世界50か国以上の人が集まる国際交流シェアハウス。入居のお申込みはHPから

「ちがう」を越えて、人と社会をつなぐ。ボーダレスハウス株式会社

私たちボーダレスハウス株式会社は、国籍やルーツ、生まれた場所、性別などのさまざまな「ちがい」に関係なく、一人ひとりの多様なアイデンティティが尊重され、つながっていく体験とコミュニティをつくりたいと強く思っています。
「“ちがう” を越えて、人と社会をつなぐ」というビジョンの下、出会いやつながりが多文化共生社会への一歩になると信じて、差別偏見と向き合うソーシャルビジネスを社会に広げていきます。


STAFF
INTERVIEW:Takuya Hosoki
TEXT:Naomi Ogawa
EDIT:Mami Shimura

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