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JRAの意図しない馬場

先週の宝塚記念は重巧者が結果を残す馬場でした。これは東京競馬場をはじめとしたJRAが推進した馬場とは非常に異なる馬場で、そうした馬場で結果を残してきた馬は軒並み苦しい結果となりました。6/24付けの記事で【世界の主要GⅠを獲りに行くならそれに合わせた馬場は必要】と話した事がタイムリーになるとは思いませんでしたが。

宝塚記念のレース時は稍重発表でしたが、直前の土砂降りで稍重よりは重い馬場という印象がありました。ただでさえ力勝負になりやすいレースとコース形態なのに、そこに重い馬場が加わったら間違いなく東京などで好走してきた馬はパワー不足を痛感したことでしょう。仮にアーモンドアイが出走していたら、ラッキーライラックやワグネリアンのような競馬で二桁着順、あるいはサートゥルナーリアのような競馬で掲示板に乗れるかどうかという結果だったと思います。

ネット上では適性だけのクソみてぇなGⅠだと叩かれているようですが、私個人はこういうレースがあっても全然構わないと思いますし、できる事なら東京、それも天皇賞・秋あたりは3年に1度くらいの割合でこうなってくれたら、とすら思いますよ。そうでないと軽い馬場専用の馬ばかりが持て囃されて、そういった系統の馬ばかりが生産される事になり、凱旋門賞どころか欧州の他のGⅠも狙えず、海外=香港という図式しか成り立たなくなりそうでますます世界の背中が遠くなりますから。

結局のところ、ディープの血を優先するあまり、軽い馬場を得意とする馬ばかりに良血が集中し、さらにJRAも馬場を弄くってそうした馬が活躍しやすい馬場を作り上げ、ついでに某大手馬主グループがそれに合わせたローテを組んで、そこから外れるレースに一線級を送り込まないなんて事をすると、結果としてそうした馬ばかりが活躍する事になりますよね。そうした馬の子供ばかりが売れて、それ以降の世代では海外では通用しないけど日本ではバッチリ完璧な馬だらけになります。

それって国内だけで完結しない?

って思うのですよ私は。酔った私の戯言ですが、私は日本は世界有数の良い国だと思う反面、島国根性から抜け出す事が難しい国民性を嘆いています。仕事柄、口ではグローバルグローバルと言いながら、世界と戦う事、あるいは世界へ飛び出す事を躊躇うシーンを何度も見てきました。世界で戦える場所があるのに、なぜそこに飛び込まないのでしょう?もちろん、様々な理由があるかと思います。金の問題や戦歴に傷がつく可能性、そもそもぬるま湯で良いといった考え方もあります。しかしですね、後進国でNo.1になったところで誰も認めてはくれないのですよ。

例えば、野球で言えば日本で大エースと言われるレベルの投手であるにもかかわらず、大リーグに挑戦せずNPBでずっと高い給料を貰って、WBCでたまに投げて勝ち星なりセーブなりを付けた選手が『俺は世界レベルの投手だ』と言えるでしょうか。サッカーで言えばJリーグで何年も連続で得点王になってW杯に出場し、1~2得点を挙げて決勝Tに進出する活躍を見せたFWが世界レベルだと言えるでしょうか。

所詮は後進国である極東の島国での話ですよね?いくら助っ人外国人が『世界レベルだね!』とサムズアップをしたところで、世界中の多くの関係者やファンは認めないでしょ?つまり、そういう事ですよ。世界に飛び出して戦わないと認めてもらえないのです。だから海外に積極的に飛び出して、どこであろうと勝利を目指していくべきなんですよ。野球やサッカー選手は当人で終わる話かもしれませんが、優秀な血を残すという仕事が競走成績と同じくらい重要である競馬の世界では、自身の血を残すために認めてもらう必要があるので、なおさら世界に挑戦する事が大切なのですよ。

ましてや自分たちが一番だと思っている馬の子供たちを世界のホースマンに勝ってほしいのでしょう?自国のホースマンだけで金を回すのも限度がありますからね。世界中のホースマンに自分たちの馬を買ってもらうには、やはり成績を挙げる事ですよ。それも伝統と格式のある評価の高いレースを勝つ事です。国際GⅠになってから四半世紀も経ってないレースよりは、50年も100年も施行され、毎年のように日本ではお目にかかれない一流馬が出走するレースを勝つ方が評価が上がりやすいのは明白ですが、そういう意味でも欧州でも米国でも『馬場が合わないから』なんて理由で挑戦を拒まず、挑戦し続ける事が大切なのです。私は設備投資と海外挑戦は同じで、利益を得るための種蒔きだと思っています。そうした挑戦から得るものが巡り巡って自分たちの利益に繋がるわけですからね。

JRAも今秋から予定している京都の改修で、東京と同じ様な馬場を作り上げるなら同じ失敗を繰り返す事になると覚悟するべきです。画一的な競馬場より特徴のある競馬場を作り、多様な血を守ってハイブリットな馬を作る下地を用意するべきです。そのためには、20,30年、あるいは50年という長いスパンで物事を考えてほしいところです。そういう世界なんだから。

※酔った競馬ファンの戯言ですいません。



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