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満たされていくこと。理想の暮らしをただ味わい受け取る -day9/100日投稿シリーズ②-

日々の雑感シリーズ。タイトル画像はこの2年間のPTA活動の成果の一つ、自分の住む校区で、一番危ない交差点に、行政の土木事務所の方がつけてくれた子ども向けアラート表示。感謝^_^

ちいさいことだけど、こういう小さいことや大人の配慮の積み重ねで、地域の安全は担保されるし、ゼロとイチはまったく違うので、見るたびに通るたびに勇気をもらう表示です^_^

さてさて、本日は標題。

昨日もバスケコーチ業で審判やったりコーチングしたりで1日過ごしたわけですが、この2週間ほど、地元の賀詞交換会や自分の鹿児島の中学高校の同窓会の幹事学年としての活動や本業のビジネスミーティングや、地元の中学バスケ部の校外指導員としての活動など諸々あって、使う脳みそや反射神経がそれぞれ違う楽しさを味わっておりました。

自分には40代で亡くなった親戚の女性がいるのですが、その方の闘病を、医療関係者としてお手伝いした経緯から、その方からこんな言葉をいただいたことがあります。

「幸せの本質は、なにも特別なことがない日々の日常のなかにあるのね」と。

その方は当時小学校高学年だった娘さんを残して亡くなられたので、ご本人の気持ちを想うとやるせなくなるわけですが、、、彼女からいただいた気づきの言葉は、この10年以上、とても大切に生きております。

その意味で、何気ない日常のなかで、自分の理想の暮らしが実現できていることにはたと気づく瞬間がありました。

妻とも話したのですが、幸せ慣れしていない自分は戸惑うわけです。理想の暮らしが手に入った?という自分自身の感覚に過ぎないですが、実は大きなことの発見に。

人生のゴールが手に入ってしまったような変な違和感というか、驚きというか、戸惑い。

これからどうしよう?

いまはただ、それを味わって感謝して暮らしていけばいいのだなあ、と思い当たるのにすこし時間がかかりました。

そして一度ここに到達できると、この先なにが起きてもまた作り上げられる、という自信に変わっていくのですねえ。

人生において、どんなにたどり着いても、その後に嵐はやってくるし、一つの課題が解決しても別の課題が降ってきますが、、、

この先のどんなピンチもチャンスに変えてしぶとく生きていくのでしょう。

自力で、努力や日々の営みから作り上げた自分の理想の到達点は、自分の中にあり、何度でもたどり着けるのだと感じます。

幸せ慣れしていない、自分のようなタイプも、幸せになっていける、幸せになっていいんだ、と自分に許可を出す。そんなステージに、自分は今いるようです。

自分自身がまず何よりも満たされていき、満たされてあふれるもので、周囲の人たちや社会に貢献できる人間に、わたしはなりたい。

自分の人生に、これまでのような自己犠牲はもういらないのだと、自分はわかりました。

手放します。サヨウナラ。

自己理解と自己受容。ますます探求したいと思います。


そして、探求はつづく。

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先日お邪魔した総務省前の子たち。どこに生きても無垢な子たちの力はパワフル^_^ かわいいす。

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