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【静けき森は罪人を許したもうのか?】 #28


【総合目次】

 #27


<前回>

 いまやバルドの躰は一回りも大きく、異様なものとなっていた。闇の霊気を放出しながら膨張した上半身は、文字通り服をはち切り、黒々とした筋肉を外気にさらした。悪魔的だった。その証は、顔にもあらわれていた。

 彼の頭部は人の形状を失って……憤怒に歯を食いしばり、憎悪の黒に眼を染めた、一角獣のそれとなっていた。

 人の躰に一角獣の頭。楽聖馬頭鬼アムドゥスキアスめいたその姿。レイチェルは慄いた。怖れにではなく、己の魂が共鳴していることに。

「もはや語りは終いだ。相容れぬ二匹の獣として、ただただ殺し合うとしよう。魔女を殺したあの日のように!」

 バルドは突進した。

 レイチェルは横に躱そうとした。しかし、肩が、何かにぶつかった。樹ではない。土の壁だ。闇の霊気でみっちりと隙間を埋めた、アースウォール。

「ぬうううん!!」

 バルドが拳を振り抜いた。左腕の骨が砕け、土の壁が砕け、レイチェルの躰は吹っ飛んだ。

 レイチェルは空中で姿勢を整え、両足を地につけて木々の狭間を滑った。視線は常にバルドを穿っていた。痛みなど意に介さなかった。

「ぬうん!」

 バルドは己が砕いた土壁の破片を蹴り、飛ばしてきた。レイチェルは左腕を庇いながら横に転がって回避した。

 さらに二発、三発。レイチェルは躱す。躱しながら、回避運動と連動したしなやかな蹴りを破片に叩きつけ、バルドに跳ね返した。破片は彼の頭をしたたかに打ち、割れた皮膚から血が飛び散った。

 バルドが再び足を持ち上げる。彼の詠唱動作。

「ぬうん!」

 彼が大地を踏んだ。

 レイチェルの両脇に、土の壁アースウォールが生えた。遠距離からの複数生成。これまでのバルドにはできなかったはずの高度な技だ。

 バルドは両腕を胸で交差させ、前に屈んだ。

 ぞわりと、首筋が粟立った。闘牛じみた構え。魔剣士ヴァルラムの魔影を砕いた突進の記憶がよみがえる。絶対にあれを受けてはならないと、本能が告げている。

「ブルルルオオォォォォーッ!!」

 バルドが雄叫びをあげ、突進した。レイチェルの何倍もの質量が、矢のような速さで迫ってくる。

 瞬間、レイチェルは思考した。両脇には土の壁。後方に逃げ場はない。上方へ跳躍する力を溜める時間もなし。

 ──ならば前だ。

 彼女は一歩、右足で加速した。そして重心を後ろへ倒しながら、左足を前に滑らせ、スライディングした。丸太のようなバルドの足の鉄槌をギリギリでくぐり、背中側へ抜けた。

 ズウウウン! 空気が揺れた。レイチェルは起き上がり、振りかえった。遠くにバルドの背中が見える。額の黒角が樹の幹に突き刺さっているようだった。

 レイチェルは彼のもとへ疾駆した。

 バルドが角を抜き、こちらに向き直る。レイチェルは構わずに突っ込む。

「ぬああッ!」

 バルドの破城槌じみた拳の二連撃。レイチェルはかいくぐる。そして槍のように鋭い手刀を、左胸に突き刺した!

「ぐ……ッ!」バルドは呻いた。

 しかし、レイチェルの爪は……心臓までは届かなかった。バルドの胸筋は信じられぬほど分厚く、固かった。

 再びの、強烈な危機感。突き刺した腕を、バルドが左手で掴もうとした。レイチェルは間一髪で腕を引き抜くが、続く右の拳は躱せなかった。

「ぬうりゃッ!!」

「ッ……!」

 背中まで貫きそうな、腹部への一撃。反射的に硬くした腹筋が、レイチェルの命を守った。彼女は血反吐をまき散らしながら吹っ飛ばされた。

 雪の上を転がりながらも、彼女はうつ伏せに倒れることはしなかった。歯を食いしばり、唸るような呼吸を繰り返す。

「GRRRR……RRR……」

 激烈な痛み。体内で血泡が弾ける嫌な感覚。それでも繰り返す。普段よりも治癒が早まっている実感がある。左腕の骨もすでに治っていた。ここが白き森だからなのだろう。

 しかし、治癒力に助けられているのは、どうやらレイチェルだけではない。憤怒の足取りで近付いてくるバルドの額と左胸の傷が、蠢くような闇に蝕まれている。闇はみるみる内に血肉と化して収縮し、消えた頃にはもはや傷跡すら残っていない。闇の治癒ダーク・ヒール。黒角の加護か。

 だが戸惑いはしない。レイチェル自身がそうであるように、即死すれば治癒力など無意味。ならば狙う箇所はいつもと同じだ。心臓、頭蓋、頸椎。

 心臓は、レイチェルの力では貫けないとさっきわかった。ならば頭蓋か頸椎。どうにかして彼の頭上か背後を縺ィ繧句ソ�ヲ√′ 

遘√�鬧�¢謚懊¢縺溘�「き、貴様、伊良の狼!」敵将は刀を抜いた。私は上段から三度打ち込んだ。敵将はあっさりと体勢を崩し、その隙に私は背後に回った。そして《白牙》を背中から遯√″遶九※縺溘�

 レイチェルは眼をしばたたいた。

(何。いまの……)

「ぬうん!」

 バルドが目前に迫っていた。レイチェルは刹那の幻視を振り払い、バルドの前蹴りを後方に跳んで躱した。

 バルドはなおも追ってくる。彼の動作自体は重厚だが、歩幅があまりに大きく、そのせいで引き離せない。頭上や背後をとる隙もない。

 ならばこの先の展開は予測できる。彼はいずれまた土の壁を形成し、逃げ道を塞いでくるだろう。近接戦ではレイチェルが圧倒的に不利。彼は必ずそれをする。レイチェルは彼の両足を注視する……。

 バルドは右足を持ち上げた。膝の位置が高い。

 振り下ろす。雪を割り、大地に霊力がほとばしる。レイチェルは極限まで集中し、その流れを追う。

 真後ろ二歩の位置。

 レイチェルは後方転回した。

 土の壁が垂直に伸びてくる。レイチェルは丁度その真上。彼女は壁の先端に両手をつけ、壁の伸びる勢いに乗り、上方へ跳び上がった!

「なにッ」

 見上げてくる視線を置き去りにして、レイチェルはバルドと背中合わせに立った。そして振り向きざま、無防備な頸椎に向けて手刀を謾セ縺ィ縺�→縺励◆縲�

 隕也キ壹r鄂ョ縺榊悉繧翫↓縺励※縲�視線を置き去りにして、私は岩肌巨人ロックトロールと背中合わせに立った。そして振り向きざま、無防備な背中に向けて《白牙》の突きを放った。でも、貫けなかった。岩肌巨人の躰は、私の予想をはるかに超えて硬かった。

「無駄ダ異邦人。貴様ノ刀ゴトキデ、我ガ身ハ」

 嘲るような岩肌巨人の言葉は、唐突に、本当に唐突に切れた。私の躰を星のような寒々しさが包みこむ、その感覚でわかった。時が凍てついている。

「大丈夫。きみなら多少は動けるだろう?」

 彼の声がする。私は《白牙》を納刀した。そして時が動き出すのと同時、居合を放ち、岩肌巨人の胴体を両断した。

 残心。岩肌巨人の死を確信する。そうしてから、私は振り返った。

「何故ここに来られた、シリウス殿。貴殿にはやるべきことが、」

「友達だから」

 シリウスは当たり前のように微笑んだ。言葉に詰まる私の前で、彼は両腕を広げ、森を見回した。

「きみはこの森に魂を埋める覚悟と言ったそうだね。素敵な覚悟だと思う。ぜひヨボヨボのお婆ちゃんになってから叶えてほしいな」螟ゥ迢シ縺ョ蜍���

 再びの幻視は、どこか予感じみていた。

 レイチェルは手刀を止めた。

 ほぼ同時に、バルドの首が……否、全身の筋肉が、さらなる憎悪に膨れ上がった。もはや肉ではなく岩だ。レイチェルの力では貫けない。

 バルドの強烈な後ろ蹴りが襲い来た。まともに受ければ全身が砕けるほどの威力。レイチェルは退きながら受け、衝撃を後ろへ流しながら、あえて吹っ飛ばされて後方へ逃げた。

「否! もう逃がさんッ!!」

 バルドは軸足を捻って反転。蹴り上げたほうの足で強く踏み込んだ。

 地を走る霊力が、吹っ飛ぶレイチェルを追い越し、背後で土の壁を生成した。レイチェルは背中を強く打ち、落下した。

「うッ……ぐ……!」

 ちかちかする意識を強いて、前を見る。バルドが胸の前で両腕を交差している。突進の構え。受ければこちらの死。躱せば向こうの隙だ。

 だが……隙をついてどうなる? バルドの肉体は、もうレイチェルの爪牙ではかすり傷程度しかつけられない。その傷さえも黒角の闇が癒してしまう。殺し切れる武器がないのだ。

 鈍化する体感時間のなか、彼女は先程の幻視のことを考えた。

 あれはきっと、この森の記憶だ。この森の土で眠っている神様の記憶だ。光の霊素へと還ったその魂が、呼吸とともにレイチェルの中へ入ってきている。そして助けようとしてくれている。

 レイチェルは目を閉じた。瞼の裏、焼きついた幻視の記憶を、確かな形としてつかむために。

「ブルルルオオォォォォーッ!!」

 時間が溶けだした。バルドが咆え、突進してくる。

 レイチェルは目を見開き、雪に手を突っ込んだ。そして極限まで低くした姿勢で前へと踏み出しながら、引き抜いた。

 その手には刀が握られていた。

 雪の光が凍りついたような、真っ白い刃の刀。《白牙シラキバ》と呼ばれていた刀が。

 彼女は抜刀した勢いのまま、滑るように斬り上げた。バルドの片足が斜めに両断された。




【続く】

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