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安里琉太 『式日』

  『式日』は1994年生まれの著者による第一句集。作句開始から10年にあたる2020年に刊行され、同年、第44回俳人協会新人賞を受賞した。
   若さを意識させない、格調高い句が多い中、ときおり全身の力をふっと緩めたような句が出てくることが印象的だった。また、一見、目の前のものを写生したように見せながら、実は写生ではなく作り上げたもののような、巧妙な仕掛けがされているような印象も受けた。

ひいふつとゆふまぐれくる氷かな

「亡音」

  『式日』はこの句から始まる。季語は『氷』で冬、「ひいふつと」は「矢を射放つ響き、矢が風を切って飛び、勢いよく命中する音を表わす」言葉である。「ゆふまぐれ」は夕方の薄暗い時間帯を指す。屋外では氷は朝方できるもの、というイメージがあったため、「ゆふまぐれ」からの「氷」に小さな違和感を覚えた。栞文で鴇田智哉氏も述べているが、ここでの「氷」とは何を表しているのか。

あをぞらのさみしさにふる種袋

「亡音」

   読んだ瞬間、津川絵理子氏の「うつすらと空気をふくみ種袋」という句が蘇った。どちらの句も強い感情を持っているわけではなく、含まれているものはとても淡いと感じるが、両者の方向性の違いに、同じ『種袋』(『種袋』は春の季語『種物』の子季語)という季語でもこうも違う印象を与えるのか、と印象深かった。

ゆかりなき秋の神輿とすこし行く
このあたり同じ神なる神輿かな

「風紋」

  「神輿」は歳時記には掲載がなく、一句目の季語は『秋』、二句目は単体で見れば無季となるだろうが、この二句は続けて掲載されており、二句目は一句目を受けたものと考えられるので、こちらも秋の句と言えるだろうか。
   一句目、旅先など、なじみの薄い土地でたまたま行きあった神輿なのだろう。よそ者ながら、少し弾んだ気持ちがうかがえる。
   二句目、独り言のような句だが、よそ者ゆえの客観視がおもしろい。

式日や実柘榴に日の枯れてをる

「風紋」

くちなはの来し方に日の枯れてゐる

「未生」

   栞文で鳥居真理子氏が「枯れる」という語が入っている句に言及しているように、本書には「枯れ」を含んだ句が数句収められているが、特に掲句の二句は下五がほぼ同じ形である。
   一句目の「式日」は儀式を行う日のことで、未見だが同名の映画があるようだ。秋の季語『柘榴』は古来、子孫繁栄のシンボルとされてきた。「日の枯れてをる」は夕方の陽射しのことだろう。ただそこに柘榴の実があったのかもしれないが、「式日」「柘榴」が結婚や、あるいは葬儀といった命に関連するイベントを想像させる。夕方の陽射しから葬儀ととっても良いかもしれないが、わたしは婚儀のあとの夕暮れをイメージした。
   二句目はあまり深読みせず、『くちなは』(『蛇』のことで夏の季語)のやってきた、ほこりっぽい道に夕方の陽が射している光景が目に浮かんだ。

サンドレスみづの斜面と照らしあふ

「未生」

   季語は『サンドレス』で夏の句。「みづの斜面」は噴水かもしれないが、壁泉のようなものをイメージした。サンドレスのひらひらした裾が流水に映り、ひかりつつゆらめいている光景が目に浮かぶ。

雨粒を涼しく濡らす雨なりけり

「雲籠」

   季語は『涼し』で夏の句。詩的な表現に魅かれた。雨粒に雨が当たったら、雨粒は流れてしまい、もはやどこへ行ったか、どれがその雨粒なのかはわからなくなってしまうだろう。ほんのわずかな瞬間を捉えた句。

陶片の鋭さをもて囀れり

飲食

   季語は『囀』で春の句。春めいてきたころの嬉しさやわくわく感を詠んでしまいそうになる季語だが、囀りには「陶片の鋭さ」があると、作者の冷静な観察ぶりが伝わる。

花びらを凍てのぼりゆく夢はじめ

「夢屑」

  『凍つ』は冬の季語『冱つ』の子季語。ここで出てくる花は山茶花よりは冬薔薇のイメージ。茎から花へ、花から花へ順々に凍っていくあいだに、一方で人は眠りに落ちていく。



そのほか、好きな句をいくつか。


をみならの白き日傘や遠忌かな
並べたる瓶に南風の鳴り通し
なつかしき雨を見てをる麦茶かな
しづけさに五月のペンは鳥を書く
峰雲の骨組みを考へてゐる
郊外や風のかろさの唐辛子
雨吹きこむ卒業の日の文学部
能登は雨さんせううをと女学生
鴨去つて春のがらんとしてゐたり
荷を置くに膝のほかなくおでん食う


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