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ハードボイルド書店員日記【141】

「タックスフリー?」「ノー」

外国人観光客が増えてきた。

ウチの店は洋書を置いていない。せめてHaruki MurakamiとSoseki Natsumeはと店長に訴える。普通のお客さんは買わないと却下された。私は「坊っちゃん」と「一人称単数」の英訳版を持っている。普通じゃないなら何なのか。

レディオヘッドの「クリープ」を心の中で口遊んだ。

ポストカードやコミック、画集を購入する人が多い。決済手段は現金かクレジットカード。前者の場合は高確率で2000円札が出される。使える場面が限られていることを学んだのだろう。「なぜ日本人はこんな不便な紙幣を作ったのか」と仲間内で話題にしているはずだ。この国の政府はすぐ必要なものをスルーし、要らないものに大量の税金をぶち込み、仲間内で利益をシェアするのが得意なのだ。

クレジットの場合は基本的にサインを要する。だが最近はタッチだけで決済できるタイプも増えた。ボールペンや消しゴムなどの文房具や雑貨類、写真集、ファッション誌を紙袋みっつ分ほど購入しても支払いは一瞬で済む。

しかしそんな連中でも、必ずと言っていいほど免税ができるか否かを訊いてくる。

「アイツら、カネ持ってるのにケチですね」ようやくレジがひと段落した。隣の後輩がこちらを見て首を傾げる。年齢的にはひと回り違う。「施設内で免税やってるところが少なくないからな」「きっとケチだから裕福になれたんですよ」「どうだろう」そもそも裕福とは限らない。旅行先で財布の紐が緩む現象なら誰しも身に覚えがあるはずだ。

「海外の高級ブランドで働く従業員も、バブル期の日本人を接客したときはぼくらと同じ気持ちだったでしょうね」「たしかに」「先輩、日本では書店が本を売る際の利益率は2割だけって英語で伝えてくださいよ。免税にするなら、その分をチップとして」「よせ。観光客は悪くない。買い物を楽しんでいるだけだ」気持ちはわかる。人手不足で有休が取れず、サービス早出と残業が続く現状を考慮しないのはフェアじゃない。

カウンターを出る時間。交代要員に返品も品出しも終わらないとぼやかれて残る。後輩は元々あと30分レジのスケジュールだ。若干気まずい空気の中でカバーを折る。「先輩」「ん?」「さっきはすいません」「いや」内心で礼を述べた。「考えてみたら、リッチな観光客よりも戦争や暴力から逃げてきた外国人の方が多いですよね」「ああ」「免税もいいけど、どうせなら富裕層から税金を取って、困っている人のために使う方が」この視点こそ彼の本質。苦しいときの発言で人間性を決めつける前に普段の姿を知ってほしい。

「いい本がある」「本当ですか?」昼食タイムで凪が訪れている。早足で棚へ向かった。

佐々涼子「ボーダー 移民と難民」を手渡す。いわゆる「入管」の実態を調べたノンフィクションだ。「この著者は『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている』の人ですね」「読んだの?」「あれのおかげで、コミック誌の紙は子どもが手を切らないように配慮していることを知りました。佐々さんの優しさなら信用できます」先輩の勧める本なら、と言ってもらえるまでにはまだ修行が足りぬ。

ただ安全な暮らしを求めて日本へ来て、しかし難民認定をされず、何年間も劣悪な施設に収容された人たち。彼ら彼女らの発した本音が頭から離れない。たとえば73ページ。

「国に帰れるならとっくに帰っている。こんな状態でどうして日本にいたいと思うの? 何でこんなにひどい扱いをするの?」

81ページも。まったく反論できない。

「もしこれからも難民を受け入れる気がないなら、建前だけ掲げている人権国家の看板を下ろし、難民条約から脱退してほしい」
「そうすれば間違って日本に助けを求める外国人も減るだろう」

ページを捲るにつれ、眼差しが険しさを増していく。「マジかよ」拳がカウンターに叩きつけられた。「ここまで酷いとは知らなかったです」「俺もだ」「無関心という点ではぼくらも国と同罪ですね」「ああ」「もっとたくさん置きませんか? みんなに知らせましょう。POPも描きますよ」あ、でも棚卸だから在庫減らさなきゃと表情がたちまち陰を帯びる。「いや、それとこれとは別だ。やろう」あの瞬間の目の輝きは忘れたくない。

「先輩ならそう言ってくれる気がしました」「書店員の仕事は本を返すことじゃない。ずっと読まれてほしい一冊を届けることだ」「そう思います」「俺が店長を説得する。入ってきたら最高のPOPを頼む」「了解です」

公のために益する良書を売り、お客さんに喜んでもらう。これをリアル書店における新たな「普通」のひとつに加えていく。

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