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あの時かすかに交わったはずの健くんを偲ぶ

37年前の今日、小学4年生の私は生まれて初めて飛行機に乗って、一人で東京に行った。

親戚の家に到着してテレビを見ていると、飛行機墜落のニュース速報が流れた。

その飛行機には小学3年生の男子が一人で乗っていた。私と同じく生まれて初めての飛行機。甲子園を見るためだったという。

もしかすると、羽田空港ですれ違ったかもしれない。少なくとも、同じ時間帯で、彼と私は羽田空港にいたのではないか。

この季節になると、毎年必ず思い出す。

互いに見ず知らずの彼と私は、同じような年齢で、初めての一人旅で、初めての飛行機に、1985年8月12日に乗ったのだ。

彼のぶんまで、なんて言うとおこがましいけれど、それでも私は、新聞で彼のことを知ってからの20年以上、夏になると彼を思い出す。

冥福を祈るというようなものとは違うが、自分の命が偶然の積み重ねで生き延びてきたものであり、私の生きる現在は彼が生きたかった未来であることに、思いを馳せる。

飛行機墜落の速報のあと、私を一人で東京に送り出した母は親戚から責められたという。

墜ちた飛行機に私が乗っているわけがない。安否確認もできている。それでも「なんで一人で行かせたんだ」と詰られた。

それくらい衝撃的で動揺する事故だったのだ。

まして、彼のお母さんはどうだったろうか。

健くんのお母さん、これからも毎年、健くんを思い出します。

どうぞ健康で、長生きをされてください。


余談だが、お母さんは精神保健福祉士をされているという。奇縁を感じる。

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