見出し画像

M・フーコー が読み解く、現代の恐ろしい監視社会

ーーもし、私たちが今犯罪を犯したらどうなるだろう?多くの場合、私たちは刑務所に入れられ、国家にとって有効な人材に生まれ変わるように「矯正」される。資本主義が蔓延し、持てる者がますます強くなる社会の中で、「持たざる者」たちの狡猾な行為をどうやって制御するか、次から次へと生まれてくる民衆を、いかにして自分たちの都合のいいように矯正せしめるか。近代の支配者階級が考え出した、賢く、そして恐ろしい統治機構の全貌を暴く、M・フーコーの名作「監獄の誕生」をお届けしますーー


大昔の刑罰

今でこそ私たちは歴史上稀に見るほどの平和な時代に生きているが、ほんの100年前まで、極めて残虐な慣習が世界中で残されていたことを知っている方は多いと思う。

下はその一例である。

時は中世。キリスト教カトリックの首長である、ローマ教皇にそむいた罰として、彼は火あぶりにされてしまったのだ。

画像1

教皇にそむいた?

そむいた、と言っても、教皇を殺そうとしたとか、教皇の妻を寝取ったとか、そういうレベルじゃない。教皇の教えに対して、「それって違うんじゃない?」と意見しただけのことである。

恐ろしい話である。

今日ではtwitterで毎日のように「自民党に殺される」とか、「政治が悪い」とかの主張をよく目にするのに。

こんなご時世に生きている私たちにとっては、とてもじゃないが考えられない。だって、現代に置き換えてみれば、「♡♡首相が悪い!いますぐ政権を降りろ!!」とか大声で喚いただけで、すぐ死刑になるってことじゃないか!

しかも今の死刑みたく、一瞬で意識を失うような人道的な死に方をさせてくれるわけではない。

当時は、教皇に「反対」した、たったこれだけで体中を焼かれてもだえ苦しみながら死ななければならなかったのだ。こんなことがあっていいのだろうか?信じたくねえ。

だが、これは氷山の一角に過ぎないのだ。

火あぶり、十字架、切腹、鋸引き、釜茹で、生き埋め、串刺し、ファラリスの牡牛....

とにかく反逆してきた人間を苦しめるにはどうしたらいいか?どうやったらもっと苦痛と恥辱に塗れた殺し方ができるか?

大昔の権力を持つ人間は、そんなことばかり考えてきたのだ。

なぜか?

それは彼らが残忍だったとか、趣味の悪い奴らだったとか、そういう話ではないのである。

彼ら自身が、犯罪者を恐れたからである。

続きをみるには

残り 6,073字

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?