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おれ、主将ですから【ノトコレ版】

 全国高校総体弓道競技の会場。弓道着を着た凛々しい高校生達が三人一組で射場にすり足で入って来て一礼をし、それぞれの位置に収まる。正面には的場があり、射場の屋根で青空が横に細長く切り取られている。的場までの距離は二十八メートル。その矢道は中庭のようになっていて両側には各校の生徒達が熱い眼差しで静寂の声援を送っている。

 カケルにとってこれが最後の大会だった。カケルの高校は他校と比べて現役の引退が早く、高校二年生の夏の大会が終わるともう受験の準備を始めないと行けない。そして「歴史は古いが弱小」というのがカケル達が所属する弓道部にびっちりと貼り付けられたレッテルだった。

 一人につき四本の矢を射る。ひとチーム三人だから合計十二本。勝敗は的に当たった合計の本数で決まる。
 どすっ。矢が的から外れて安土と呼ばれる砂山に刺さった音。
 タンっ。矢が真っ直ぐに的を射た音。
 三番目のカケルの最後の一矢で予選を通過するかどうか決まるだろう。それはカケルも感じていた。「これで決まる」と。
 弓を引き分けていく。つがえた矢が、的場の方を向いたカケルの口元にだんだんと寄っていく。
 カケルは目を瞑った。誰かがごくりと息を飲む音が聞こえそうだ。

 当てたい。当てたい。当てれば勝てる。ここまで一緒にやってきたカンタとユウタと、最後の大会くらいは予選を通過したい。「早く帰って夏を満喫しようぜ」、「もう水着買ったもんね」。二人ともそんな事を云っても本心は違う。本当にそんな風に思っていたら毎日あんなに熱心に練習はしない。まいったな。当たる気がしない……くそっ……。
「カケルは当てたいって思い過ぎ」一つ上のユキ先輩の顔が浮かぶ。
「じゃあどうすればいいんすか」
「心の中にね、湖を思い浮かべるの。でね、その湖の水面は全く波立っていないイメージ」
「はぁ」
「明鏡止水って言うんだって」
「はぁ」
「聞いてる?」
「免許停止でしたっけ?」
「もうっ!」
 ダメだ。ユキ先輩の可愛い顔しか浮かばない。
 明鏡止水。後でちゃんと自分でも調べた。止まってたたえている水が一点の曇りもない鏡のようになっている状態。邪念がなく澄み切った心。
 邪念だらけだぞくそ。
「湖を思い浮かべるの」
「波がなく鏡のようなイメージ……」
 すーっと息を吸う。
 弓に隠れた半月型の的がぼんやりと見える。静かだ。会場にいる仲間達が息を飲んでいる。
 カケルは目を開けた。その目は的を見ているようだが、実際は何も見ていない。数秒後、矢がカケルから離れた。

タンっ。

 空の青さを目蓋で感じたと思ったら、矢の当たる音がカケルの耳に響いた。それが自分の矢だと一瞬気づかなかった。前の二人が興奮しているのが後ろ姿でわかる。応援席の同級生と後輩達が歓喜している。
 え? 当たったの……かな?
 選手控室に戻るとカンタとユウタが大喜びしていた。カケル達は見事に現役最後の大会で予選を突破したのだ。
 廊下に出たカケル達は賑やかな応援団に囲まれた。少し離れたところにスーツ姿の男の人がいて、こちらに笑顔を向けているのに気づいた。
 応援団の一人がその人に話しかけて、カケル達に案内した。
「卒業生のミウラ先輩だよ。応援に来てくれたんだって」
 カケルはミウラ先輩に挨拶した。ミウラ先輩は大学三年生。弱小弓道部の歴史の中で唯一インターハイで個人優勝を果たした伝説の部長だ。カケルが一年生の時に一度だけ指導しに来てくれたことがあった。
「予選通過おめでとう。上手くなったね」
 カケルは心臓が飛び出すくらいに嬉しかった。緊張しながらしどろもどろでお礼を言った。ミウラ先輩はカンタとユウタにも声をかけていた。もちろん二人にとってもミウラ先輩は伝説のヒーローだ。興奮しすぎて二人の口からも心臓が出てきそうなのがわかる。
「カケルやったじゃん!」
 突然背後から肩をぽんっと叩かれて本当に心臓が飛び出るかと思った。
 ユキ先輩がそこにいた。
「先輩、なんで来てんすか。受験勉強してて下さいよ」
 もしもカケルに尻尾があったらちぎれるくらいに振っているだろうに、わざと嬉しくないふりをしてしまう。
「せっかく応援に来てあげたのに相変わらず可愛くないねー」
「相変わらずってなんすか」
 ユキ先輩が笑う。そしてドキッとするほど真っすぐな瞳を向けた。
「カケル、最後の一射、凄かったね」
「あ……」
 ユキ先輩のおかげです、って素直に言えたらいいのに。
「まぁ……ミウラ先輩とかユキ先輩とかのお陰です」
 あ、言えた。
「おやおやおやおやおやおや。珍しく殊勝じゃん」
「いや、おれ、主将ですから」
「カケル、相変わらずくだらないねー」
 まだ予選を通過しただけ。
 でもカケルは、憧れの先輩二人と仲間の笑顔に囲まれてこれ以上ないくらい幸せだった。

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