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騙し、騙され -その11 タイ・線路沿いに住む人編-

前回までのあらすじ
ダンゴムシの知られざる生態を完全に網羅したダンゴムシ図鑑。この図鑑を編纂するにあたり尽力した小さな出版社・玉虫社。ようやく出版に取り掛かるが、また大きな問題が。


-線路沿いに住む人編-

前回から引き続き、1月1日のバンコクである。
路地裏に住む人との交流を終え、また気の向くままに歩き始めた。
本来、これを冒頭にある「前回までのあらすじ」に書くのがふさわしいのではという話もあるが、「前回までのあらすじ」はもうそういう一つのコーナーになってしまっているので仕方がない。

日本のお正月の雰囲気とは違うものの、タイのお正月も中々まったりとした良い雰囲気だ。
さて、どこをどう歩いたのか分からないが踏切に行き当たった。
突然線路を歩いてみたいという欲求に駆られた。

私は「スタンド・バイ・ミー」という映画が好きだ。
名作なので知っている人も多いだろうが、4人の子どもたちが、噂を元に死体を見るために夜通し歩いて冒険するという話だ。
死体が…というのは本編にはそれほど関係なく、その日の冒険の過程で思春期の子どもたちがどう成長していくかを描いた良い映画だ。

彼らに憧れて線路を歩いてみたかったのだ。
日本だと線路を歩くなどできないし、歩けばすぐに捕まるだろう。
タイではBTSというバンコクの街中を走る電車があり、そちらはひっきりなしに走っているのだが、タイ国鉄の方は1日数本しか走らない。
そんなこともあり、線路を歩いていてもなんとかなるだろうという思いだった。
ひとまず、この踏切から次の踏切までの間を歩いてみよう。
もちろん、電車が来ても横に逃げられる十分なスペースが確保されていることは目視で確認した。

歩き始めてしばらくは、誰かの家の裏庭からはみ出した木が生えていたりと中々のどかな感じだった。
もうしばらく歩くと、線路の先の方に人影が見えた。
私と同じように線路上を散歩している人がいるのか。
もう少し歩くと大きな音で音楽が聞こえてきた。

余談だが、タイ人の音に対する感覚は物凄い。
なんでも爆音だ。
そして、タイでは音楽の授業がないとも聞いたことがある。
つまり、大半のタイ人は差別でもなんでもなく歌が下手である。
それなのに、カラオケが大好きだ。
日本のようにカラオケボックスも最近ではでき始めたが、自宅でやるのが一般的だ。
自宅で、爆音で、歌が下手、カラオケ。
近所の家でカラオケが始まったら、もうこれ以上書かなくても分かるだろう。
そういうことだ。

この時は元旦である。
みんな大きな音を出して楽しみたいのは当然であろう。
線路の両側には家と呼ぶには相応しくない、廃材やトタンなどで出来た簡素な建物が立ち並んでいた。
ただ、一軒ずつ見ていくと商店のようなものもあり一つのコミュニティとして成り立っているようだ。

線路沿いにいる人を見てみる。
爆音の音楽に合わせて、いや全く合っていないのだが、エメラルドグリーンのスパンコールがついた安っぽい衣装を着たおじさんが線路の真ん中で軽快に踊っている。
明らかに目はイってしまっているし、この衣装も小学生くらいの女の子が着るサイズなのだろう、上半身はパツパツ、スカート丈は短く、汚い足や下着が見えている。
酔っ払いだ。
ここも、先ほどの路地裏と同様近所の人たち同士で仲良く酒を飲み、ご飯を食べている。
そんな雰囲気も心地よく、線路沿いの風景や人々を写真に収める。

一人の女性が声をかけてきた。
先ほどの路地裏の人たちより流暢な英語だ。

「どこから来たの?」
「名前は?」
「何歳?」

やがて質問は、

「ホテルはどこに泊まっているの?」
「タイにはいつまでいるの?」
「ガールフレンドはいるの?」

彼女は見た目20代前半。
当時の私とほぼ同い年くらいだったはずだ。
私は、後半の質問に別の意味があるのではないかと少し警戒した。
日本人のある人たちはそのような目的でタイに来るかもしれないが、私はそういう目的ではないのだ。
タイ人と仲良くなれるのは楽しいが、純粋に知らない景色を見、写真を撮り、美味しいものを食べたいだけだ。
警戒しながらも、彼女の住んでいる家の軒先に座ってしばらく会話していた。
物珍しそうに近づいて来る近所の小さな子どもたち。
カメラを向けると、キャッキャ言いながら笑って逃げ回る。
何か食べ物を欲しいのか、近寄ってくる犬。
ほのぼのとした空気が流れている。
お酒は飲めないよと言ってあったので、彼女は近所の子どもにコーラを持ってくるように言い、小さな子がグラスに注いで持ってきてくれた。
上手に持てないので、私のところに来るまでにコーラは3分の1くらいこぼれた。
何もかもが微笑ましい。

そのうち、家の中から20代くらいの男性が出てきた。
彼女は、自分のボーイフレンドだと紹介してくれた。
まだ結婚はしていないけど、将来的に一緒になりたいと。
私の警戒心は無駄に終わった。
先ほどまでの質問は単なる会話だった。
無駄に疑ってしまった事を心の中で詫びた。
そして、線路の真ん中に二人を立たせ彼らの写真を撮った。

「日本に帰ったら、この写真を送るね」

「この家には郵便は届かないの」

ここは線路沿いの土地をいわゆる不法占拠して勝手に住んでいる人たちのエリアとの事だ。

「いつか、ちゃんとしたところに引っ越したいのだけど」

家の中には、彼女の両親と思われる人、おばあちゃんの姿も見えた。
タイは格差社会だ。
だが、彼女はこの土地を不法占拠しているような状況からは抜け出そうと一生懸命働いていくのだろう。

「今度、タイに来る時ここに来てみる。その時まだここにいたら写真を渡すよ」

そう約束し、名前を聞き二人の将来を祝福し別れた。

一年半ほどして再びタイを訪れた。
あの時撮った二人の写真を持って。
あの踏切を覚えていたので、そこから前回と同じ線路沿いを少し歩いた。
だが、彼女たちが住んでいたエリアは再開発が入ったようでかなり広範囲が更地にされ何かの工事が行われていた。

あの二人は結婚しただろうか。
彼女たちの暮らしぶりは少しでも向上しただろうか。
当時より少しでも良い暮らしができていればと願う。

まとめ
「一期一会」
この言葉の意味を初めて知った出来事だった。
もう二度と会うことはないだろうけど、今でも思い出にはくっきり刻まれている。

カバーの写真は残念ながら当時のものではなく昨年くらいのものだが、今でもバンコクにはこのようなエリアが存在している。


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