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ある三つの励ましの言葉

 今回は「もうおまえの記事など金輪際読まない」などと言われるかもしれないと思いつつ書きました。内容は励ましや慰めの言葉についてで、長い間書くことをためらっていたものです。
 三つの言葉を取りあげ、私が常々思っていることを述べますが、いまふうに言う「個人の感想です」とあらかじめつけ加えておきます。


 拙作『成るようにしか成らない』で、「努力は必ず報われる」や「実らない努力はない」という言葉について、私はそんなことはないと反論した。
 世間には、実らない努力が山ほどある。死ぬほど勉強したけど試験に落ちた、これ以上は無理というほど手を尽くしたが事業で失敗した、おまじないのようなことまで試したが病魔に負けた、ほか諸々。

 私が気になる主な言葉は前述の二つのほか、まず「朝の来ない夜はない」と「やまない雨はない」の二つ。私のページに立ち寄ってくださる方のなかにも、これらの言葉で励ましたり励まされたりした方もおられよう。
 しかし、私はこの言葉が好きではない。〝天体の運行や気象〟と〝人間の体や世の中の仕組み〟とは性質が異なるからだ。いくら例えとはいえ根本的に筋違いだ。地球の自転や気象の仕組みと、生命の営みや人生とを同じ土俵に上げるのは違和感がある。

 もう一つは「神は乗り越えられない試練は与えない」だ。誰がどんなわけで試練を与えるのか知らないが無責任な言葉だ。どこかの有名な人が言ったようだが、〝試練を与えられた〟人にしてみれば大きなお世話だろう。
 逆に与える側(誰だか知らないけど)のことを考えると、縁もゆかりもない他人に試練を与えるなどは傲岸不遜だし失礼きわまりない。何を根拠に試練などと言っているのだ。しかも、乗り越えられない場合だって山ほどあるだろう。
 先にあげた二つの言葉を含め、例えば、医師から余命を告げられた人に対して、私はこれらの言葉を使う気にならない。


 「おい凡筆堂。ではおまえならどう励ますのだ。この天の邪鬼め」と言われるかもしれないが、まず、私には以下の信条がある。
 一つ目。「世の中には自分でどうにかできることと、自分ではどうにもならないことがある」ということ。これは厳然とした事実だ。

 二つ目は「人事を尽くして天命を待つ」。できる限りのことをやってしまえば、あとは成り行きを見守るしかない。これも事実。
 これは中国南宋時代の胡寅(こいん)という学者が言った「人事を尽くして天命に聴(まか)す」が語源だ。単に諦めを促すのではなく、努力の大切さを強調したり、人間の力の限界を認める謙虚な姿勢を示したものだ。

 三つ目はよく知られた「人間万事塞翁が馬」だ。人も世も有為転変、先のことはわからない。
 以上の三つは「現実はままならないもの」という意味で共通している。その点で、私の口ぐせでもある「成るようにしか成らない」や「開き直りがいい」につながる。
 私は以上のようなことを頭の隅に置き、状況に合わせて励ましや慰めの言葉をかけるように心がけている。


 ということで「朝の来ない夜はない」「やまない雨はない」「神は乗り越えられない試練は与えない」の三つをあげたが、冒頭で述べたように、これはあくまでも私個人の感想であり、ほかの人に対して「使ってはいけない」などと言っているわけではない。
 反発するかたもおられようが、世の中はきれいごとだけではまわらない。私だって直接間接を問わずいろいろな経験をしてきている。そういうなかで実感した言葉なのだ。


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 いつも拙作をお読みくださってありがとうございます。
 明日から約2か月の間、友人に仕事の助っ人を頼まれたため、かなりの時間をとられてしまいます(雨天などの場合は手伝いが休み)。
 これまでは4日に1回投稿していましたが、しばらくは回数が減るうえ、不定期になります(なんとか週1回の投稿は維持したいと思っていますが)。
 よろしくお願いします。





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