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連載・生駒里奈の言葉#5番外編「HOPE.」(by レイア・オーガナ 『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』)

(3447文字)

 遠い昔、はるか彼方の銀河系で…。



 秋田県由利本庄市に生まれた少女は歩けるようになった2〜3歳の頃から踊ることが好きだった。小学3年には地元のダンススクールでジャズダンスを習い始める。
 小学5年には学校のクラスでいじめにあい、ひとり放課後の図書館で『ハリーポッター』やダレン・シャン『デモナータ』といったファンタジー小説の世界に逃げ込むように没頭する。
 中学では初めてできた親友から『少年ジャンプ』をすすめられ、『銀魂』『NARUTO』『ONE PIECE』などのマンガにハマる。その頃から二次元ヲタの道をまっしぐら、ながらもスポットライトを浴びてダンスを踊る快感も代え難いものだった。
 中学3年生の時の卒業文集には「非日常を送りたい」と書いた。

 地元の高校に進学すると、クラスに馴染めず「学校から逃げたい」と思うようになる。中学では吹奏楽部に入っていたが、高校に入ってからは毎日家でぼーっとした日々を送っていた。

 その姿は筆者には、映画『スター・ウォーズ EP.4 新たなる希望』の冒頭で、アカデミー(士官学校)への入学を希望するものの、叔父さんと叔母さんから反対され、丘の上で落ちていく二つの夕日を眺めながら(オレの人生はずっとこのままなんだろうか…)と嘆く主人公ルークの姿と重なる。

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 ある日、彼女は父から新たに結成されるアイドルグループのオーディションを受けてみることをすすめられる。昔から芸事にいい印象を持っていなかった父なのに、同じダンススクールの生徒が「赤毛のアン」のミュージカルのオーディションに合格した新聞記事を見せてまで娘にアイドルグループのオーディションをすすめてきた。
 父の後押しと「夏休み中だし、もし合格したら毎日ダンスができて面白そうだからいいかな」という軽い気持ちから書類審査に応募。

 提出した写真は高校入学式の日に家の前で撮ったものだったにも関わらず書類審査を通過し、仙台での2次審査、東京での3次、4次審査にも合格。オーディション期間中なのに自分で切った前髪がギザギザであるにも関わらず、あれよあれよいう間に8月21日SME乃木坂ビルで行われた最終審査に進んだ。

 最終審査の自己PRでは「加藤夏希さん、渡部秀さんに続く、地元出身の3番目の有名人になりたいです!」とアピールし、歌唱審査ではピコの「桜音」を歌った。


 応募総数38934人のオーディションの最終結果は、合格。暫定選抜メンバー16名の中にも選ばれる。

 そして、2012年2月22日発売の乃木坂46デビューシングル「ぐるぐるカーテン」。ミュージックビデオの真ん中に立っていたのは、「非日常を送りたい」「学校から逃げたい」と願っていた少女、生駒里奈だった。


 それから時は流れ...。


 20thシングルの活動をもって乃木坂46からの卒業を発表した生駒里奈が、2018年3月12日付の日刊スポーツにラストシングルのセンターポジションの打診を断っていたことを明かした。  

 秋元(康)先生は「生駒センターの卒業シングルを作りたい」と言ってくださいましたが、「ありがたいお話なんですけど、私はそれを望まないです」と答えました。


 生駒里奈は、秋元康によってアイドルとして乃木坂46のセンターとして見出された。
 生駒がデビューから5作連続で乃木坂46のセンターに立つことができたのは、秋元康の意向あってこそだったのは間違いない。


 その秋元康の最後の要望に「NO」を突きつけた生駒里奈は、やはり『スターウォーズ』のルークの成長をほうふつとさせる。


〜『スターウォーズ ep6 ジェダイの帰還』あらすじ〜

ルーク・スカイウォーカーは、父であるダースベイダーにかつてのジェダイの魂を取り戻させるため、帝国軍に投降する。父はルークの説得に応じることなく皇帝の下に連行。
皇帝はルークをダースベイダーに代わる自分の右腕にすべく、ルークを暗黒面に誘惑する。
「怒りに身を任せて余を討て さすれば暗黒面への道は完結する」
同時にダースベイダーもまたルークと共に皇帝に代わって銀河を支配する野望を秘めていた。
一度は暗黒面に堕ちかけ父を圧倒、その右手首を切断しとどめを刺すのみとなったルークが次にとった行動は、ライトセーバーを捨てる、だった。
「僕はジェダイだ。父がかつてそうだったように」
ルークが真のジェダイとなり、父を乗り越えると同時に、銀河を舞台に連綿とつながれてきた鎖(サーガ)を断ち切った瞬間だった。


 ラストシングルの卒業センターを断った理由を生駒は次のように語っている。

もちろん普通のシングルでセンターを担うことができればすごくありがたいことなんですけど、曲が私の「卒業シングル」って形になっちゃったり、すぐオリジナルのセンターで歌えなくなっちゃうのもいやだったので。レコード大賞をいただいた後の次の大事なシングルだし、長く歌い継がれてほしいと思ったんです。

 振り返れば、雑誌『BRODY』2017年6月号で、生駒里奈は「もう一度センターをやらせてほしい」と胸の内を明かしていた。

もし、一回でもチャンスをもらえるのであれば、そのチャンスを逃さない自信が今はあります。だから一回でいいからセンターをやらせてほしい。

 生駒にとってセンターとは、もはや憧れや思い出づくり、今のポジションに不満があるからといった我欲を満たすためではなく、「世の中に大きな衝撃を与えたい」「新しい乃木坂46を見せる」ためだった。

 私見だが、生駒のなかでこの思いが芽生えた、もしくはより強固なものになったのは、2016年7月18日に放送された『2016 FNS うたの夏まつり』にて、「48&46ドリームチーム」のセンターとして欅坂46の「サイレントマジョリティー」を披露したことがきっかけになったと見ている。

 アイドルファンだけでなく一般のテレビ視聴者にも圧倒的な“センター力”を見せつけた生駒の「サイレントマジョリティー」のパフォーマンスだったが、後日、生駒の口から語られたのは達成感や喜びよりもむしろ悔しさだった。

「本当は乃木坂46の曲を歌って世間にもっと広めたいという気持ちが一番だった」(『EX 大衆』2016年9月号)
「私としては乃木坂46をもっとブレイクさせたいという気持ちのほうが強いんです」(同)


 ドリームチームが歌う楽曲はメンバーが所属するグループの中から視聴者投票によって決められた。

 乃木坂46にとって紅白歌合戦に初出場した年に披露した曲であり、グループ初期の代表曲である(そして生駒のセンター曲でもある)「君の名は希望」は1位の「サイレントマジョリティー」にダブルスコア以上の差をつけられての最下位だった。

 グループの知名度とイメージばかりが先行し、代表曲すら一般に求められていない現状に生駒が危機感を覚えたとしても不思議ではない。

 乃木坂46を真の意味で国民的グループにする自分の役割としてセンターというイチポジションを望んでいたのだ。

 自分ひとりのための卒業シングル、卒業センターに「NO」を突きつけたのは彼女にとって当然だったのだろう。

 

 卒業センター、卒業シングルが悪いわけではない。それによって思いを満たされるアイドル、メンバー、ファンも多いだろう。
 しかし、生駒は、卒業センターという昨今の乃木坂46の、引いてはアイドル業界の慣例を乗り越えたその先を望んでいたはずだ。

 

 ライトセーバーを捨てたルークと、卒業センターを断った生駒里奈。
 「スターウォーズ/ローグワン」でデススターの設計図を受け取ったレイアがつぶやいたように、未来に「希望」を託くしたと思いたい。


 最後に、ダース・ベイダー、や、秋元康は2018年5月に行われた生駒里奈の卒業ライブで次の言葉を贈っている。

「2011年8月21日

オーディション会場で初めて君に会った日のことを今でも覚えています。
審査員の大人たちの視線に居心地悪そうにしている姿が印象的でした。

でもその瞳の奥に何か強い意思を感じました。
センター候補だった他のメンバーが脱退した時、
僕は迷わず君を中心に乃木坂46を構成しようと思いました。

それから5作連続でセンターという重責を担った君は
心身ともに疲れ果てたことでしょう。
そんな君をイメージして書いたのが
「君の名は希望」です。

生駒里奈、君は乃木坂46を卒業しても、
ずっと、乃木坂46の希望でいてください。

秋元康」


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You are my only HOPE.



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