読書記録 / 高野文子『るきさん』
るきさんになりたい。るきさんは自分を大事にできる人。うきうきしたらスキップしゃうし、子どもたちに混ざって児童書コーナーに居座っちゃう。スキップしたいから、読みたい本があるから。常に自分のペースを保って生活している。自分の人生を謳歌している。周囲からは突飛な行動をとっているように見えても、るきさんのなかではどれも自然な流れなのだろう。周りは、るきさんはフラフラしていて信念や理論はない、抜けてる人だ、天然なのかな、不思議な人だな、と思っているかもしれない。でも彼女はなるべくしてそうなっているのだ。
自分のルールに則って行動している人が好き。それはハリーポッターのルーナが好きだった小学生のころから変わらない。子供の頃からの憧れ。
えっちゃんみたいな人が実際に周りにいて、わたしはつい甘えてしまう。懐いてしまう。何でもズバズバ言ってしまえるのが側から見ていて気持ちがいい。一緒にいて不安になることがないから居心地がいいんだろうな。えっちゃんみたいな人に好かれたいなと思う。
二人が一緒にいるときの空気感が好き。趣味嗜好が違っていても根っこの部分で共鳴しているんだと思う。正反対のキャラクターには思えない、同じ時代に生きている二人の独身女性。
わたしはるきさんみたいになりたいと思っているけれど、根はえっちゃん側なのかもしれない。普段は何でもないように振る舞っているし、我が道を言っているように見えているんじゃないかと思う。強い人間だとすら思われているのかもしれない。けれど内心は不安でいっぱいで、思うように行動できないことでいらいらして自己嫌悪に陥っている。まるでソファに突っ伏しているえっちゃんのように。だからこそ、るきさんとえっちゃんが仲良くしているのをみると安心する。どちらの存在も尊いんだと、自分のなかの相反する人格も肯定的に受け止めることができる。
二人で一つだと思っていたからこそ、るきさんが一人でイタリアに旅立ってしまったことの喪失感が凄まじかった。いつまでも二人一緒に、名前のつけられない関係でいてくれるのではないのかと寂しい気持ちになった。まるで自分自身が分裂していってしまうようだった。
本書を通して、えっちゃんありきのるきさんを、るきさんありきのえっちゃんを見てきた。緩い相互依存関係にある二人。だから、二人が物理的に離れた時、それぞれどんな生活を送るのか、わたしはとても気になる。一人で生きているように見えるるきさんも、その裏にはえっちゃんという大きな存在がいつもあり、彼女を支えていた。るきさんが一人になった時、彼女はどのように変化するのか。でも、やっぱり二人一緒にいるのが一番だと思うから一人になった姿を見たくないかもしれない。だって二人でいるのが最高なんだから。