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贅沢な読書

本が読めるようになった。
もっと正確に言うと、この自粛ムードのおかげで、本を味わえるようになった。

文化芸術を修める身でありながら、物語小説が苦手だった。映画や舞台が好きなものだから、物語を伝えるなら言葉じゃ無くても良くない?と思っていたのである。
一方で、エッセイは好きだった。その人が何を思って、何を考えているのか、知ることにわくわくした。そして、何より、短い。お休み前の5分程度で気軽に読むことができる。そして、この気軽さこそが肝だと思っていた。

自粛期間、友人の勧めで、山崎まどかさんの『映画の感傷』を読み、山崎さんの作品解釈やロマンティックな目の付け所に、どっぷりハマった。山崎さんの文章をよむために、目次にそってその映画を観ていく、というステキな趣味をゲットした。
(最初にざーっと読んでから映画を観、エンディングロールとともにじっくり読み直すのが好き。)

その流れで、同じく山崎さん書評、『優雅な読書が最高の復習である』にも手を出した。これがまあ、すてき!!まったく知らない作品を、読もうという気にさせるのである。映画と同じく、書評を読んでは、図書館にその本を借りにいき……を繰り返した。

とまあ、こんなステキな出会いをきっかけに、今まで苦手だと思い込んでいた読書にどっぷりハマり込んだのである。

しかし、自粛が解除されつつある現在、またもや読む量が減ってしまった!正確には、集中力が持たない。眠る前に10ページ程度の短編を読むのが心地よい。
逆に、長編にトライすると、決まって途中で仕事のメールチェックをしたり、家事に取りかかってしまったりする。
そう、つまりは、読書はとても贅沢なことなのだ。
映画館などと違って、自らの意思だけで簡単に始めたりやめたりできるのだ。
そして、余裕がない毎日は、「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」なんて頭の隅に常に何かがあり、つい本を閉じ、それにとりかかってしまうのである。
なんとも心がに余裕がない!心貧乏!!

そんな私の結論、読書に集中できるということは、とてもとても贅沢なことなのである。
これから実質は余裕がなくても、読書に集中できる心の余裕がほしいもんだ。