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旅の備忘録:ポルトガルは続くよ空までも

「街」と「空港」は違う、と思っている。
特に旅の終わりにそう思うことが多い。淡々とゲストをさばく職員(それが彼らの仕事なのだけれど)の指示に従ってチェックイン、保安検査、イミグレ、飛行機までの決められたフローを辿る。最低限の言葉しか交わさずに流れていくことに、少し物足りなさを感じてしまうのだ。人びとの暮らしが感じられる「街」とは切り離されている場所、色んな意味で非日常な場所、それが「空港」だと思っていた。

でも、ポルトガルは空港まで街だった。なんなら、飛行機の中まで街が続いていた。

「こっちの列がすいてるよ、おいで!」と笑顔で手招きする手荷物検査場の女性。出国のスタンプが押されたパスポートを受け取り、ありがとうと言ったら、少し恥ずかしそうに微笑み返してくれたイミグレの男性。そんなちょっとした言葉が、気持ちが温かい。最後の最後まで温かい国だった。そんな想いを胸に、ヨーロッパ最西端の国を後にした。

リスボンからの飛行機では、ツアーコンダクターだというポルトガル人のおじいちゃんと、そのご一行に囲まれた。聞けば、おじいちゃんは日本へ何度も行ったことがあるという。「こんにちは」とか「ありがとう」と色々披露しては、「あらやだ調子に乗っちゃって」とか何とか言われながらも、みんなに褒められて嬉しそうにしていた。私が中部のコインブラへ行ったと話すと、「この夫婦はコインブラ出身なんだよ」と前列の人を紹介しだす始末で、離陸してからも、何も用がないのに機内サービスの水を片手に席を立っては、知り合いなのかそうじゃないのかよく分からない人とお喋りに花を咲かせていた。
前列に座っていたコインブラ出身のご夫婦に目を向けると、シートについているスクリーンの操作方法が分からず、ああでもないこうでもないと格闘している。最終的にCAさんにリモコンの使い方を教わり、「なーんだ、こういう風に使えばよかったのね」と朗らかに笑っていた。
なんなんだこのリラックスぶりは…。そう思って周りを見渡してみたら、みな隣近所の人と楽しそうにお喋りしているではないか。この光景は初めてだった。機内という非日常でありながら、日常を楽しんでいる。あちこちで心を通わせ合っている。今まで何回も飛行機に乗ったけれど、機内がざわざわして賑やかだと感じたのは初めてだ。そんなこんなで、機内も「街」だったのである。

「地震のあと、日本の人たちの暮らしはどうなんだい」
ほとんどつぶやきに近い問いだった。離陸してしばらく経ったころ、例のツアコンのおじいちゃんがわたしの顔も見ずに真正面を向いたまま尋ねた。
地震って、2011年の?と聞くと、そうだと静かに言う。当時わたしは中学生で関東にいたけれど、学校の床がジェットコースターみたいにぐわんぐわん揺れてとても怖かった。東北ではたくさんの人が亡くなって壊滅的な被害が出たけれど、確実に前に進んでいる。まだ道半ばだけどみんな頑張っている。そう答えると、そうかと言って、何事もなかったかのように目を閉じて寝てしまった。あの時何を思っていたんだろう。今更になって、もっと話してみたかったなと思う。

8時間ほどのフライトを終え、わたしたちはドバイに着いた。おじいちゃんは「じゃ」と短く声を掛けたあと素早く飛行機を降りてしまった。遅れて飛行機を降りると、てきぱきとご一行を束ねていた。
なんともあっさりとした別れに少し驚きつつ、いつもより少し長めに続いていた「街」を後にし、羽田空港へ向かう飛行機のゲートを目指して「空港」を歩いて行った。


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