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そんなに焦ってどこへゆく

「ただ今、人身事故の影響で電車が1分少々遅れて運行しております。お急ぎのところ大変申し訳ありません。」車掌さんが謝る。

駅についてドアが開く。人が多くて出られなかったのか、奥からおじさんがチッと舌打ちをしながら力ずくで人をかき分けて電車を降りてゆく。

あとほんの何秒かで青になろうかという時に、きちっとスーツを着たサラリーマンがまだ赤信号の横断歩道を渡ってゆく。

みんな、そんなに焦ってどこへ行くのだろう。

最近、というか留学を経て、身の回りの「遅れ」がそんなに気にならなくなった。全く気にならないというよりも、気にかけるべきことと、そうじゃなくてもいいものを分けられるようになったという方が正しいかもしれない。海外かぶれと言われればそれまでかもしれないけど、でも前よりもささいなことにやきもきしなくてもよくなった。

向こうにいたころは、移動のためにバスをよく使った。流しのバスに乗る時は大丈夫だけど、バスターミナルで始発のバスに乗る時は、乗客がある程度集まるまで待たなくてはならない。時刻表なんてものは存在しないし、あと何分で出発するか分からないから、「みんな同じ方角に向かわないかなあ」なんて思いながら道行く人々を眺めて待つしかなかった。やっと出発したとしても、交通渋滞がひどくてのろのろとしか進まない。降りて歩いた方が早いんじゃないかと思うこともたくさんあった。

初めは「乗客が集まるまで待たないといけないなんてなんて面倒なんだ」と思ったし、現地の人の中にも「早く出発してくれや」みたいな人もいた。でもじっとバスに乗っているうちに、「時間はかかるかもしれないけど、目的地には行けるからいっか」と思うようになってきた。夕暮れ時、窓の外に目をやるとオレンジ色に染まった空がだんだんと深い青に変わっていくのを見ることができた。空の色があんな風に美しく続いているなんて、それまで知らなかった。そのほかにも、バスに揺られながら周りの人の会話に耳を傾けてみたり、タクシーの時は運ちゃんと話が弾んだりすることなんかもあって、移動に時間がかかることは、必ずしも悪いことばかりではなかった。だから、日本に帰ってからほんの1分か2分の遅れで謝る車掌さんのアナウンスを聞いて、それでイライラする人たちを見て、とても戸惑った。そんなに焦ってどこへ行くのだろう。

誰しも急がなければならない場面はあるけれど、毎日毎日、数十秒を惜しんでいたら心がすり減ってしまうんじゃないか、と思う。ちょっとくらい予定通りにいかなくたって、大丈夫だよ。

「焦らなくても、まあいっか」という心を教えてくれた、中東の夕日を想う。






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