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編集長退任の報告と今後について:マンガ業界とこれからの時代へ

さて本日にてaquwa社の新規事業であるマンガキャピタルの編集長は愚か、aquwa社も去ることになりました。来月からは楽天モバイルで働きます。一応、システム開発職になります。ただ、内容としては上流工程になります。

編集長としては、およそ3~4ヶ月で出版・エンタメで働いたのはわずか8ヶ月でした。元々の契約もあり、1年も続いていないですが、少しだけ語らせてもらえればと思います。

思えば、私の仕事はいつもディレクションかプロデュースというマネジメント業務であった。プレイヤーでいたことがなく、新卒から業務上、管理職についてしまった。今回制作というものに携われたのであれば、自分が初めてプレイヤーを経験したことになる。とはいえ、自分で展覧会を開いたり、アーティストなどのプレイヤーなろうと挑戦した数は多くある。ただ、プレイヤーになるつもりが、いつも結局はマネジメント側に廻っている。

こういうのは適材適所で、やりたいではなく、個人の性格や特性による。私は芸術家系に生まれたので、自分がプレイヤーでいなければいけないという焦りがあるが、この焦りこそ自分がプレイヤーになった際の最大の欠点であることに気づいたのは最近のことだ。

たいした業績も職歴もないが、私なりに編集の仕事というのを考えてみると、それは自分が作家の特徴や立場、武器というものを自分ごととして考えながら、マーケットの反応に対して没我的かつ客観的に対応するということではないかと思う。これは「作家次第でなんとかなる」と言ってる編集では不必要だし、エンパワーするとはどういうことかを常に問いただす姿勢が必要になる。と私は思う。

それはさておき、元々の計画でも立ち上げで去る予定ではあったのでこの様に編集長退任となるわけだが、予想以上に予定が早まってしまった。というのは、このご時世によるところが大きいがそれだけではない。大きく分けて市場的理由と国家・社会的環境の2つが最大の要因である。景気不安かつプロ野球もJリーグも開幕延期に加えて、緊急事態宣言による長期の営業自粛で広告費が今後も獲得できないことが一つの要因であり、また私が元々テック業界の人間でシステムを扱えたことから社会的ニーズを考えたのがもう一つ要因である。

コロナショック前は、誰が別に何をしていても、「その人の勝手」で済まされたわけで、私も自分の専門や能力などと関係なく「楽しい」という理由で、あえて道楽の道に進むこともできた。しかし、ニューノーマルを到来させなければいけなくなった昨今の世の中でそれをするのは流石に気が引ける。いかほど世の中の役に立てるかはわからないが、僅かながらでも社会を前進させるイノベーションとテクノロジーに貢献できるのであれば、それをしないわけには行かなくなった。ニューノーマル(アフターコロナ)と言っても、少なくともそのニューノーマルを可能にさせるテクノロジーを次々に発明しなければ、我々は手持ち無沙汰で憂鬱な引きこもり生活を今後も定期的に過ごさなければならなくなる。

それはなんとかして避けたいので、私は自分の元々いるべき場所であるテクノロジーの世界に戻ることにしました。

エンタメ・出版業界からこそ離れる立場としてあえて今後を考えていくと、生き残れるのはコンテンツホルダーやライセンサーである。残念ながら今後、メディアとして、あるいはメディア媒体の機能で稼いでいた企業やビジネスモデルは淘汰されていくだろう。つまり、キュレーションやコンテンツの横流しをしていた企業は厳しくなる。とはいえ、電博などの大広告代理店はこの中に含まれない。なぜなら、彼らはライセンスホルダーとしてコンテンツの元を抑えているし、クリエイティブを持っている。詳しくは言わないが、ウェブサイトやアプリでもうけていた会社は厳しいだろう。

この立場で言うのもなんだが、上記のロジックで考えると今後Youtubeで名前をあげたコンテンツはバタバタ潰れていくだろう。すでに2019年からテレビメディアのYouTube進出でこの話は言われていたが、私が指摘するのはそれではないし、もっと事態は深刻で、迅速だ。おそらく、空売りと同じ現象がこのプラットフォーム上で次々に起こるだろう。それはもう間近に迫っている。またその前にすでに我々は目にしているが、在宅時間が増えたことで、動画コンテンツの選択肢が増えている。経済学でいうと余暇と労働収入のグラフで考えるとわかりやすい。ということは、動画視聴におけるコンテンツのクオリティはすでに今後2年は高水準を維持するだろう。となると、資本力次第のマネーゲームになり、新興動画事業の参入者は既存事業者の搾取の対象となるだろう。




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