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エヴァンゲリオンと庵野イズムとシンウルトラマンと世界内存在【哲学的考察】

庵野秀明の作品を観ると、いつも「ああ、そういえばこの人は人間が嫌いだったな」と鑑賞中よく思うのだが、そうした庵野作品に出てくる不自然なシーンや不条理・不合理なシーンに加えて、精神的残酷描写は逆に人間が好きであるが故なのかもしれないと最近ふと思った。
というのもそれはシンウルトラマンのクライマックスにある。

ウルトラマンが地球に来る理由は、ふつうなら、環境的要因、集団あるいは個人的な商業的メリット〔たとえばメフィラス星人〕、集団的な強制ミッション、たんなる調査、安全性なとが思いつく。
しかし、ここで人間が好きという理屈がどうも引っかかる。
人間が本当に嫌いな人間は、人間を描かない。
そして人間が好きなど言わない。
しかし、根拠として人間が好きという話を出すあたりに実は強烈な人間好きの失望の裏返しとして人間嫌いという構図が浮かびあがる。
これこそ、まさにハイデガー的ゾルゲ〔不安〕であり、三島由紀夫的な人へのゾルゲ〔関心〕(『美しい星』より)である。
世界内存在と幼児性欲求としての人への承認欲求がこじれた形としてエヴァがあり、その幼児性欲求を認めた作品がシンウルトラマンであり、シン仮面ライダーである。
この中間で俯瞰した位置にシン・ゴジラがある。
庵野イズムはそう考えてみると非常にプリミティブで右翼左翼の批判合戦に似たような欲求と不安と情動の根底にある人間へのこじれた愛着が伺える。

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