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今の時代、俯瞰的な見かたが必要だと思い直した話

昔から思ってはいたのですが、生活していく上で全体像を見る。つまり、俯瞰的・客観的に物事を見るというのが非常に重要だなという思いが再燃してきました。

現在、インターネットやスマホの普及により、知りたい情報をピンポイントで簡単に得れるようになっており、昔みたいに言葉の意味を一つ調べるのに、辞書を出したりして多くの意味が記載されている中から自分が求めている意味を見つけ出すという行為が不要となってきています。

こうなってくると何が起きるかというと、自分が知りたい情報だけが知識として蓄積され、物事の全体像を把握していないのに、限定的な情報のみが正しいと考える人が増えていくことになると思います。

例えば、今年発生したトイレットペーパーの買い占めが良い例だと思います。
テレビやネットから、全国のスーパー等の小売店で在庫がなくなっているという情報だけを調べ、買えないと困るからと言って無駄に在庫分の購入をしていたと思います。

あの時は、テレビでは在庫が無いという情報。ネット上では国内生産だから供給が追い付けばすぐに在庫が戻るという情報が流れていたと思います。
ですが、前者のみを見ていた(テレビの情報のみが欲しい人)はこれが正だとして行動されていたと思います。

これはあくまで大げさな例(ネットを見たり、調べる習慣がない世代も含むので一概には言えないと思っています。)ですが、これに似たようなことが日常生活でも多く発生しているのではないかと感じている次第です。

飲み物一つとっても、トクホのお茶を飲めば何となく体に良いというイメージがあると思いますが、何をどのように飲むべきなのかまで見えているでしょうか。
難水溶性デキストリンが何g入っていて、これを食べ物で補おうと思うとどういった食材をどれだけ食べれば可能か。といったところまで見えているでしょうか。

こういったところが見えていないのに、「飲めば何を食べても平気だ」「いや、飲んでも効果が無い」ということを言い合ってもあまり意味がないと思います。
また、ネット等で効果の程だけをピンポイントで調べると、飲んだ方が良い or 飲んでも意味が無いのどちらかの結論だけを得て終わることになると思います。

こう考えると、もう少し自分で全体像を調べて、自分で納得できる理由をしっかりと得た上で飲んだり買ったりする方が良いと感じますね。

また仕事においても、与えられたことに対して、与えられた情報だけで業務にあたるのも全体像が見えていない状態だと考えます。
このような状態で業務をこなしたとして、最初は良くても徐々につまらなくなっていくと思います。

何故なら、最終的な目的を把握せずに業務を実施していくことになる為、何の為にやっているのか、どういった目的が設定されているのかが不明確な状態が続くことになる為です。

こうなると、業務対応時の過程に対する効率化や、必要な情報等の集約の仕方の再検討等を考えることがとても難しくなると思います
(求められていることに対するインプットをより良くする事がまずは重要だと考えますので。)

勿論、上長含む同僚に対して自身の業務内容を説明する際にも、こういったところを把握出来ていないと、必要な事項を網羅して説明するということは出来ないと思います。

ここが出来るか出来ないかで、会社の中での評価も大きく変わってくる事になると思いますので、社会人としてはしっかりと押さえておくべき内容になってくると思います。

また何より、1つの事項に対して様々な面から見ながら考えられるということは、多角的な考え方が出来るということなので、柔軟性のある頭になることも出来ると思います。

上記より、普段から出来るだけ俯瞰的に物事を見るというのが重要だと再認識した次第です。

まぁ僕自身、小学生の頃は怒られてる時に俯瞰的に見ながら返事していて、自分のこととして捉えてない!と怒られていて、それからなるだけやめていたので今でも苦手なのですが、社会人になった今こそ柔らかい頭というのは必要だと感じますので頑張っていこうと思っている今日この頃です…

もしあなたが日常生活で感じている違和感や興味を僕が言葉で具現化出来ているのであれば、これからも続けていくモチベーションになりますのでサポートいただけますと幸いです。