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安定志向で就職してくる”普通”サラリーマンを”夢追う”サラリーマンに変えよう

オリンピックを見ていると選手の凄まじい「真剣」さに出会う。ここに人生を賭けている。そこまでの日々の道のり対する「真剣」さも感じられる。

もちろんスポーツによってオリンピックの「重さ」は違う。例えば柔道や体操とプロが参加するゴルフなどでは選手自身がオリンピックを位置づける重さは違うはず。例えばプロのゴルフプレイヤーはオリンピックで優勝するために、あるいは2位や3位になるために日々トレーニングしてはいない。違うところを目指している。

いずれにせよ、仮にオリンピックに出ないとしても、それぞれのスポーツが「重き」を置くイベントでの「勝ち」に向けて「真剣」だ。非常に「真剣」。自主的で、熱意を持ち、まわりを巻き込んで、日々訓練する。

一流の選手は、一流が競うイベントでの勝ちに向けて。
その下であっても、その下が競う場での勝ちに向けて。
学生であれば、甲子園のようなその学生間での競技会で。
子供なら子供で。
「真剣」だ。

階層は違うがそれぞれで「真剣」。オリンピックを目指す人の「真剣」度合いと比較し、まだまだ力不足ながらその下の階層でがんばる選手の「真剣」度が低いとは言えない。個々人を抜き取って「真剣」度合いを比較すると甲乙あるだろうけど、甲子園を目指す高校球児の「真剣」さとプロ野球の「真剣」さに差はつけられない、はず。

とにかく、強さや技術のレベルが落ちるに従って、「真剣」度合いも落ちていく訳ではない。プロ野球選手だって、高校野球選手だって、少年野球だって、みんなそれぞれのレベルでとても「真剣」!


しかし、この、スポーツで考えると当たり前の、強さや技術のレベルに関係無い、どのレベルでも等しい「真剣」度が存在し、日々、それぞれのレベルで努力している、という状況が、どうして、サラリーマンの仕事・会社においては無いのだろうか。

真剣さが弱い。そんな気がする。

みな、ちゃんと仕事はしている。困難にも取り組む。でも、何かに向かって内発的な自発的な「真剣」さがそこまでない。そう思うことが多い。


おそらくに具体的な「夢」の有無の問題だと思うのだ。

スポーツ選手は一つの比喩だけど、夢を追いかけているとみな「真剣」。歌手でもダンサーでもアイドルでも俳優でも芸術家でも研究者でも料理家でも、なんでも、いずれも日々「真剣」。「夢」に向かって。

一方、具体的な「夢」がなく、より安定した会社に就職したいな、という考えでサラリーマンになっていると「真剣」にはなれない。

だって、そもそも「安定」を求めているのだから。。。
だって、その先に夢がないのだから。。。

まさに若い頃のボク。


でも、別に意図的ではないのだ。小さい頃から、両親の教育思想や、育った地域的な環境とか、何か得意なことや好きなことの気づきがあまり無かったとか、引越しで偶然にそれが遮断されるとか、ケガしたとか、非凡なことにたまたま気づけなかったとか。。。

気づいたら、サラリーマンが当たり前の道であり、目指す道であり、ならばより給料が良い会社、より良いイメージがある会社(本当に良い会社かなんてわからないけど)を目指そうと、そうなっただけなのだ。

だから、そこに「夢」はない。スポーツ選手のように何かを目指し「真剣」になれない。なれないのだ。。。


多くのひとが、この表現はちょっと自分でも好きではないが、わかりやすいという意味で使うけど、「”普通”のサラリーマン」なのだ。スポーツやら芸能やらで活躍できるひとに比べて多い。

だから、この多数の「真剣」さを増せたらいいな、と思うのだ。社会にとって好影響の大きなインパクト。


ということで「普通のサラリーマン」を、その会社で「夢追うサラリーマン」にしよう! ということなのだ。

各会社は、就職した後に、この会社ではこんな「夢」を目指して欲しい、いや、目指してください!ということを定義し、そこへ至る「道」を、一定の明確さで示すべきなのだ。もちろん本人の努力や試行錯誤で違う道で歩むのもいいのだけど。

「夢」と「道」。

会社が与えることに違和感もあるかもしれないけれど、オリンピアンの「夢」も「道」も、内発的・自発的のようで、当然に社会から与えられているのだ。だって、オリンピックなるものがもともと社会に存在しているのだから。社会に存在する夢となりえる選択肢から選んでいるだけなのだから。

オリンピックやら甲子園やら大リーグという具体的な「夢」。これらの候補が世の中にもともとある。だから、自分の「夢」として目指せる。

そして、例えば、大リーグという「夢」を設定できるのは、少年野球があって、高校野球・甲子園、大学野球、プロ野球、大リーグという「道」が見えていることも一因なのだ。「道」が見えると、そこを一歩一歩、進もうと思えるのだ。

だから「夢」と「道」。


会社で、「うちの会社では、みなさんに目指して欲しい「夢」が5つあります。こんな夢、あんな夢、です。どれかをぜひ目指して下さい。宣言してください!そして、それぞれに、だいたいこんな道があります」みたいな。

でも、目標設定のような単なる1年やら半期ごとのノルマ・数値目標の言い換えではなくて、あるいは、一定の勤務年数と一定の評価があったら上がっていく役職・キャリアパスなどでもない。

その会社ならでは、各社員も心躍るだろう「夢」。「夢設定」。

そして、もちろん社員自身で「夢」を定義できるならばそれはとても良い。「夢」があるなら上司と「道」について話ができるとイイですね。


例えば、こんな会社での「夢」。

・途上国の貧困層の生活の質を向上させるインフラを実現させる
・顧客の社員の心に自信と行動力を芽生えさせる経営コンサルタントになる
・やさしさと笑顔の文化で社員が伸び伸びチカラを発揮できる社長になる

(「道」は記載していないけど)


こんなこと会社側(上司)と話なんてできない??? そうかもしれませんね。。。リーダーがつくる文化次第か。。。

ま、心躍る、熱くなる、自主的に取り組める、積極的に取り組める、内発的な想いと思える、それを目指すと会社と社会に大いに貢献できる、そんな何か、「夢」と定義できそうな何か、を、会社側が与えながら、あるいは個人側から提案しながら、設定する。毎年再確認する。

「夢」って、あるといいものです。


読んで頂きましてありがとうございます。
(v8_97)



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