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年賀状。無駄? 続けたい人のためにも一方通行を楽しむ優しい社会になろう

年賀状、止めることにしましたLINE。忘年会では仲間から「年賀状無しにするね。だからこっちにも送らないでね」が年末の決まり事になっている。

子供の頃は、宛名も裏も手書き。絵も自分で描く。社会人でもしばらくそれが続く。非効率。今は、PPTや宛名ソフトも活用し自宅印刷。印刷技術も上がるから写真も活用。あとは、宛先ごとに手書きで皆に一言。ラク。

もはやモノに印刷しポストに入れることも非効率。データを送ればいいし、テキストだけでいい。なので「年賀状、やめるね」と毎年だんだん減って行く。

近い将来に必ず年賀状は無くなる。5年後? そんな習慣があったね。そうなる。ただ、義務感の年賀状は無くなるが、趣味としては細々と生き残る。

友人が俳句の会を仕切っている。ご両親が俳句の道でひとかどの人物で、その影響。そこにはなぜか若い人が多少いる。ま、若いは40、50代だが。ホテルの囲碁クラブ。平均年齢80歳超えかな。でも、こちらも若いひとは多少いる。ここでも若いは50、60代だけど。似ている。細々と存続。年賀状を書きたいから書く。描きたいから描く。こんな人が続ける。

しかし、ちょっとした難題がある。短歌や俳句、囲碁・将棋などと違うのが、「一方通行が許されない習慣」という点。「受け取ったら慌てて送り返す」。これがイヤなのだ。だから「送りたくないから、送らないでね」。こうして、年賀状を書く/描く楽しみ・自由が奪われえる。

ボクは「送る/贈る楽しみ」を奪わなくていいのかな、と思うのです。つまり、一方通行を平気で受入れる。TakeだけでGive Backしなくてイイじゃない! そして、返信しないなんて失礼だ、なんてと思うレベル低い人格の人は、そもそも年賀状を書き送る喜びなんて感じない、かなと。年賀状を送るのを楽しむ人は、それだけを楽しみ、返信は期待しない。

送りたい人が送ることを受入れる、一方通行を受入れる、そんな社会、になればよい、と思うのです。

年賀状を比喩としたのですが、これはつまり、Giveだけで良しとする感覚でもあると思うのです。より高度な良質な関係に思います。GiveしたのにTakeが無いと怒るようなセコい心でも無いし、受け取っただけで返さない自分を蔑む歪曲した心でも無い。

”品ある一方通行”の社会。Give率先の社会、ボランティア的社会、誰が見ていなくても善行できる社会、社会・人間関係・未来を支える良質社会。だから、一方通行の年賀状。悪くないような。

読んで頂きありがとうございます。
(職場を/人生を良質にするコンセプトv6_79)


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