自分の幸せを「正しく」優先しよう。自分が幸せだから、他者を幸せにできる
1.久しぶりに会う従姉。推し活で幸せそう。ボクも幸せをもらう
親戚事で従姉に会う。50歳を超えた「おばさん」、と自分で言っている。「いつも若くてきれいだよー」なんて返すけど、お世辞にも限界が。お腹も出て、ちょっとお太りになられているかな。。。
で、この従姉、BTSだか韓流アイドルの展示会か何かに行った、とのこと。推し活だ。で、皆が推しのキーホルダーやらマスコットを抱えているから、誰が誰の推しか分るらしい。そして買ったグッズや、イベントで貰ったグッズを、交換し合う。
「すいません、もしかしたら、テテペンですかぁ? このグッズと今、引いたそのカードと交換してもらえませんか?」。そんな感じらしい。
ちなみに「ペン」ってのはファン・推しという意味らしい。で、「テテ」というのは世界的にかなり著名な韓流アイドルの名前。
とにかく楽しいらしい。女友達と行って、何かを手に入れ、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ推し活話は尽きることがない。
「私みたいなおばさんが多くてねー。きゃはは。みんな楽しそうだし、真剣な目なのよね。それであちこちで交換。アラフィフが、あれ、アラシックスかしら、まるで幼稚園のポケモンカードの交換よねー。きゃはは」。
で、今日は三越のスヌーピーグッズ展に行って来た、とのこと。ハンカチを貰った。かわいいタオル地のハンカチ。
で、こっちも楽しかった、とのこと。スヌがいっぱいで幸せ。ハンカチと寝間着と枕カバーとアレとコレと色々買った、とのこと。
「これまたね、私みたいなおばさんが多くてねー。きゃはは。でも、こっちはおじさんもいるのよね。キモいわねー。でも、スヌ、最強ねぇー。きゃはは」。
「私って、韓流やら、スヌで幸せもらって、単純ね。誰にも幸せはあげられていないけど。ま、そんな人生よ」。
2.「シャンパンタワーの法則」を思い出す。自分が幸せだから他者を幸せにできる
昔、先輩に教えてもらった「シャンパンタワーの法則」を思い出す。
一番上が自分の心のグラス、その下が大切な人の心のグラス、その下が友達だったり、会社のひとだったり。沢山の人に支えられ、自分が一番上。
この法則が伝えてくれることは、
1.自分の心が幸せで充分に満たされないと、その下の大切なひとを幸せで満たせられない。いっぱいではダメ。こぼれるほどに、なみなみでないと
2.自分の心を満たし”続け”ないとダメ。そうでないと、大切な人に幸せを与えられ”続け”られない
3.そして、自分は支えられている。一番上にいながら、色んな人に支えられている。その事実に感謝し、身近な大切な人から幸せにしていく。たったひとりで誰かを支えることはできないのだ。シャンパングラス1つの上に複数のグラスは乗せられないし、1つで1つを支えたとしても、シャンパンは下のグラスにこぼれ落ちず、たまらない。多くのひとから支えられている構図のみが、シャンパンの幸せを恩返しとして提供できる
4.そして、自分も、他者のシャンパンタワーのどこかに位置する。上から2番目なのか、3番目なのか。だから、誰かから幸せをもらっていることになる。自分が与えた幸せで、誰かから幸せをもらう。ぐるぐる回っている。
ということで、自分が幸せじゃないと、支えてくれている人々に幸せを与えられない。久しぶりに会った、小さい頃には遊んでくれ、お世話してくれた従姉が元気で、なんだか楽しそうにお話していて、ハッピーをもらえたボク。シャンパンタワーのシャンパンがこぼれて来た。ボクは彼女にとって上から2番目なのか、3番目なのかわからないけど。お陰で、ボクが誰かを自然に幸せにできるシャンパンを貰えた。
3.でも、自分の幸せを最優先でイイの?
シャンパンタワーの法則は整理すると「色んなひとに幸せを与えることを優先せずに、まずは自分の幸せ最優先で良い、そうしたら気づかずに他者を幸せにできる、もともと支えてくれている方々に、幸せを、自然に与えられる」となる。
つまり、利己的で良いってこと? 自分の幸せを最優先で本当にいいの?
これは違うと思うのです。説明が難しいのですが、自分を大切にして、愛して、幸せにすることと、自己の利益追求ばかりで突き進むこととは違います。我が儘、自分勝手、利己的、とは明らかに違うのです。
4.「正しく」自分の幸せを追求するならば、それが優先で良い
他者を不幸にする目的のための行動は自分の幸せとは関係ありません。これは話にならないです。
が、自分の幸せを追求することによって、大切なひとをどうしても不幸にさせてしまうことは、人生でありえます。悩ましい二律背反。
でも、悩んで、悩んで、でも、自分はこっちで行きたいと決意するなら、それは利己的でも、自分勝手でも、我が儘でもありません。結果として誰かがその時は不幸になるとしても。
そして、その他者が自分のシャンパンタワーを支えてくれている人ならば、どこかで恩返しができるはずです。
それに、自分も誰かのシャンパンタワーのどこかに存在しているのですから、他者を陥れ、不幸にするだけならば、自業自得にもなりえます。幸せのおこぼれがなくなります。
人間社会で普通に成長してくると、利己的・自分優先を追求し過ぎると、幸せを感じないように人間はできていますから、大概、問題は無いと思うのですが、難しい線引きではありますね。
自分が傷付き不幸になるほど、大切でもない他人のために生きるべきではない、ということだけは確かですね。
読んで頂きましてありがとうございます。
(v8_84)
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