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「いい子」とは?

「いい子だね!」 

誰もが一度はこの言葉を使ったことがあるのではないでしょうか。また、誰かから言われたこともあると思います。

では、この「いい子」という言葉は“誰”にとってのいい子なのでしょうか。
「いい子」という言葉の主語は“誰にあるのでしょうか。

この点を掘り下げることによって、自分自身の無意識を見つめていきた胃と思います。

子どもとは?

そもそも前提として、「子ども」という言葉について少し考えてみたいと思います。

以下は、僕が考えてる「子ども」の定義なので、異なる考えの人もいると思いますが、ご容赦ください!

僕は、「子ども」という概念は相対的な概念である考えています。親や大人からみたら「子ども」ではあるのですが、その子自身だけでは「子ども」という概念は生まれません。

つまり、「子ども」とは、ある誰かから見たときに発生する概念であり、その人が「子ども」であるというよりは、私から見たら「子ども」であると言えるのです。

ここからさらに、「子どもとは、何歳までが子どもなのか。」「子どもって言葉を使ってもいいのか。」「大人とは?」ということも考えてみたいのですが、今回のテーマの本質からはズレてしまうので、ここでは「子どもが絶対的な概念ではなく、相対的な概念であると言える」ということだけ述べておきたいと思います。

誰にとってのいい子?

僕は子どもの頃、大人から「いい子」と言われることが好きでした。その理由の1つに、自分自身が大人に認めてもらえる感覚が嬉しかったからだと思います。今考えると、その喜びは承認欲求が満たされることによって生じていたのかもしれません。

大半の人は、大人に「いい子」と言われることに少なくとも悪い気分はしていなかったのではないでしょうか。

では、もし、今のあなたが誰かから

「本当に君はいい子だね。」

と言われたら、どんな気分がするでしょうか?使われる相手や状況にもよりますが、多くの場面で今の僕はこう思います。

「え、いい“子”なの?」

発言した人から見たら、僕はいい「子」なのかと思ってしまいます。つまり、その人から見たら僕はまだ子どもなのです。その人にとっては僕は子どもで、自分は大人なのです。


僕は、「いいやつ」「いい人」と言われても嫌な気分はしないのですが、「いい子」と言われるとなんだか嫌な気分になります。


また、子どもに対して、「いい子だね。」と使う場面をいくつか思い浮かべてみてください。

その場面のいくつかは、大人が言ったことを子どもがしてくれた時や、何かお願いを聞いてくれた時、自分の思う通りに動いてくれた時ではありませんか。


つまり、これらをあえて振り切って解釈し、省略せずに述べるとすると、「いい子」という言葉の前には、

“私にとって、 都合のいい 子ども”

とも取ることができるのです。もちろん、このように意識して使ったことのある人はいないでしょうが、「いい子」という言葉の裏には多少なりともこのような思いが隠れていると僕は考えます。

むしろ、無意識に使ってしまっているからこそ、その思いが無意識のうちに日々の行動に出てしまうのではないかと思います。

子どもたちはそのような無意識の思いを汲み取る能力に非常に長けています。なぜなら、日々の親や大人の行動をすごく細かく観察しているからです。

“子ども”は、無意識のうちに「大人にとっての都合のいい子」を演じるようになっていき、「自分がやりたい行動をする」のではなく、「大人がやってほしい行動をする」ようになっていくと考えられます。さらには、「大人(親や養育者)」からその対象が「他者」に拡大し、「他者のしてほしい行動」を選択するようになり、最終的には「自分の軸」ではなく、「他者」に沿って生きるようになっていく可能性も十分に考えられると思います。
(※少し、拡大解釈が過ぎるかもしれません。)


基準はどこにある?

これらを通して、結局僕が何を考えたかを整理しますと、

「その言葉の基準はどこ?」ということです。

普通は〇〇だよね。

世間は〇〇だから…

常識がない行動である。

拡大解釈しないでほしいと思います。これらは、どれも「あなたにとっての」ものです。「あなたにとっての普通」は、「みんなの普通」ではないのです。

「不登校Youber」があんなにも叩かれるのはなぜでしょうか。皆さんが「不登校Youber」に嫌悪感を持つのはなぜでしょうか。

「学校に行くことが普通である。」と心のどこかで決めつけていないでしょうか?

「不登校」という言葉が僕は嫌いです。
「じゃあ、登校することが正なのか?」といつも思ってしまいます。

これらの言葉を使わないでほしいということを主張したいわけではないです。ただ、無意識のうちに自分の価値観を拡大解釈して、他人に伝えてしまっているかもしれないことや、無意識のうちに決めつけてしまっているかもしれないということを、少しでも意識できたらいいのではないかなと僕は思います。


自戒の念を込めて、これらの文章を残したいと思います。


「いい子」を考えるようになったきっかけ

最後に、僕がなぜ「いい子」という言葉を考えるようになったかについてのエピソードを紹介したいと思います。

僕は子どもたちと関わる色々な活動に携わらせていただいてきました。
(一部は今でもお世話になっています。)

その中で、ある保護者が短冊に書いていた言葉を見て、とても衝撃を受けました。その内容とは、

〇〇(子どもの名前)がいい子になりますように。

というものでした。子どものことも保護者のことも僕はよく知っていたため、非常に衝撃を受けました。これだと、子どもも親もお互いに辛いだろうなと心底思いました。前からなんとなく心に引っかかっていた想いが、「いい子になるってなんだ?」という形で言語化された瞬間でした。

無意識のうちに伝えてしまう・伝わってしまうものがあると思います。
学校現場ではヒドゥンカリキュラムという名前で、教師が無意識のうちに子どもに指導してしまっている内容が多くあると言われています。
(気になる方は詳しく調べてみてください。)

その中でも、言葉というのは強いツールであると思います。
他者と関わっていく上で、言葉の1つ1つを丁寧に使っていきたいです。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
後半はメッセージ性が強くなってしまったかもしれません笑

また、お時間がある時にのぞいていただけたら幸いです。

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ありがとうございます😊
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教育業界に強く興味のある、好奇心が爆発している若者のたわごとです。多くの場面において浅はかであると自覚しています。暇つぶし程度に見ていただけると幸いです。 トプ画は自画像です。
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