見出し画像

猫を棄てるを読んだときに僕の語ること

父親の死をきっかけに村上さんは、戦争が抱える罪を伝える必要性を強く感じたように思える。それは喉にひっかかった小骨のようなと、ご自分でも書かれている。(父親について書くということは、日本が起こした戦争について、ふれることを意味していたから)
父親に対する尊敬と謝罪。複雑な思いを抱え作家として走り続けてきた村上さん。若き日の村上さんは先頭集団走るランナーを気にせず後方をマイペースで走る存在だった。それがノルウェイの森のベストセラー化を潮目に少しづつ立場が変わりはじめ、そろそろ何か社会に向けた発信やご自分の(社会的な)立場を明確にしておくべきだと考えるようになったのだろう。今までにない長編作品によってそれを示そうとされながらも、「国境の南、太陽の西」と「ねじまき鳥クロニクル」に分割を余儀なくされた経緯は彼の強い意気込みの結果ではなかろうか。(それでも後者は長編とよぶにふさわしい枚数になっている)もう少しくだいて言うと、中上健次らのトップランナーが鬼籍に入ったあと、自分が先頭に立ったことに気づかされ、「ねじまき鳥クロニクル」を通じて日本が負うべく戦争責任について書こうとされた。あの意味のないノモンハンでの忘れられた戦い。大本営の愚かな決断を強いられた兵隊は他の日本国民(民間人)に知られることなく悲しくも死んでいった。のちに現地を訪ねた村上さんにその光景がまざまざと広がっていた。(「辺境・近境」より)
少年の頃の体験を大人になった今でもずっと忘れられずにいることを描くことで、戦争が人の心や人生に及ぼす影響を描こうとされた。それは”(ハジメの)恋心” *1 に限定され「国境の南、太陽の西」に分けられたことは結果として良かったと思う。

*1 「国境の南、太陽の西」の主人公


父親についての説明がある程度済んだあと、この本の核心部分にいよいよふれてゆく様な感じを受けた。それは、小学生低学年であった頃の村上さんに中国人捕虜斬首の話を父親が語って聞かせるくだりだ。この状況が僕には想像がつかない。僕の祖父は戦争体験について一言もしゃべらなかった。何も教えてくれなかったし、何かを伝えようともしなかった。それは果たして僕にとって良かったことなのか、悪かったことなのか今でも分からない。しかしながら、この本で書かれている内容、つまり幼い頃に捕虜を殺した話を聞かされる村上さんに何となく同情の念を抱く。このために村上さんは負わずともよいものを負うことになったのではなかろうか。父親の「心のしこり」は「村上さんの心のしこり」として確かに継承された。そう考えると父親の思いとは、戦争の持つ罪を、あとに続く者達にいかにして託す事であったろうと考えられる。作家である村上さんは「ねじまき鳥クロニクル」であったり「騎士団長殺し」等でそれらの事にふれてきた。そして本作において、しっかりと伝えておきたいと再確認したのではなかろうか。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」残忍な光景を言い残し、伝えゆかねばと願っているのは父親ではなく、実は村上さん本人なのでは考えてしまう。


- 今でもときどき学校でテストを受けている夢をみる -と書かれている。これは父親に対する申し訳なさをよく表している言葉だと思う。なぜなら50年以上前の光景を夢でみるなどということは、なかなか得がたい体験であるからだ。思いの強さが夢へと現出し、それをこうして文字に置き換えてゆく。
松の木に上っておりられなくなった猫を思いだし、かつて文筆活動に没頭し父親をおざなりにしてきたご自分を振り返る。(父親と疎遠になりはじめた頃は、ちょうど海外に拠点を移した頃だろうか)その時の自分はあの”松の木に上った猫”であったし、今もおりるタイミングを図りつつその難しさを痛感されているのかもしれない。そして父親の死は、村上さんにとって明確なターニングポイントとなりえたと思う。村上さんが作品の中で取り上げてきた”戦争”についてのメッセージ。彼の心の裡に長い間、暗い影をおとしてきたことを書くことによって、少しだが村上さんの肩の荷がおりたような感じすらする。これにより、次の長編作品が若い頃の作品に立ち返り、立場を示さない初期の熱心な読者が好む作風になるのか、それともさらに構成を熟成させるのか。(例えば「騎士団長殺し」にも見られた登場人物それぞれにダイアグラムをもたせたり、複数のテーマを内包して何層にも重ねるような作品を目指してゆくのか。)そんな事を考えながら2022年か2023年であろう、次の長編作品の発表を待つのも悪くない。



この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
スキありがとうございます😊 またよろしければ見にきて下さい!
9

こちらでもピックアップされています

村上春樹『猫を棄てる』みんなの感想文
村上春樹『猫を棄てる』みんなの感想文
  • 254本

村上春樹さんの『猫を棄てる 父親について語るとき』の感想文をまとめたマガジンです。ハッシュタグ「#猫を棄てる感想文」をつけて、ご自身のnoteにご自由にお書きください。担当編集者がピックアップします。

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。