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なぜこの業界が変わってしまったのか?

私がこの業界で仕事を始めたのは、1985年!ずいぶん昔ですが😀
バブルなのか、なんなのかわからない時代に、旅行会社があることすら知らなかった私が、人当たりがとても良いということで、(それしか特技がないのですが)
就職することになった某大手旅行会社。
本来は、その会社ではなく、幼い頃から住んでいた地域の私鉄関連の旅行会社に入りたかったので、その大手旅行会社の推薦入社するのをけり、一般試験で受けたものの、見事に落選。
再度その、大手旅行会社の二時募集で潜り込むという、なんとも不思議なご縁の会社に、長らくお世話になったわけです。
今思えば、すごく縁のあった会社だと思っています。

その頃、旅行会社というと花形産業といったイメージ。実態はドロドロしいものではありましたが、わがままで世間知らずな私も、たいそう可愛がっていただいておりました。😆

入社早々、宴会場の予約とか、パンフレットを広げれば、山代温泉という、今あるのかな?
ちょっとセクシーな宴会が繰り広げられるところの営業さん対応やら、挙句ストリッパーやコンパニオンの方の予約までしていたのですよ、国内旅行のどろどろ感すごかったな・・・。
添乗員で参加すれば、お酌するのは当たり前、別に嫌いではなかったのでいいですけれども、今だったら、なんとかハラスメントになりそうな感じです。😃

残業も夜中の二時三時までやって、そこから焼肉食べてタクシーで帰る。
朝は、九時十五分の朝礼に、汗だくで潜り込むなんて生活は、若いからできていたようなものです。
その割には、旅行代理店のお給料は安かった・・・って思います。

新入社員の研修は1週間かけて泊まり込み、ほうれん草のなんたるか、色々な勉強をしました。
ほうれん草とは、報告、連絡、相談の社会人としての基本の流れですが、今もやるのかなーー笑。

あの頃は、旅をしながら仕事ができるというのは、とても楽しく、それでもサービス業ですから、お客様神様的なところもありましたね。 
何かトラブルあれば、土下座しろと言われて、やっている人もいました。 私は、流石に土下座はしていませんが…

世の中変わった今では、そんな我慢をしなくても、自由にノマド人生。
好きな旅をしながら、配信しながら、生活をする人もいるわけで、羨ましいやら、できたらいいなと、時代の変わったことをしみじみ考えながら、還暦を迎えた今でも、試行錯誤している日々です。

さて、日本の会社の中でのあれこれは、語り尽くせないものもありますが、やはり、何かあった時のサポート面は素晴らしかったと思います。
アトランタでの空港閉鎖の時は、どうなるかと思いましたが、(その話は、またあらためて…)、あの時は、会社に所属していることに感謝したものです。

あの日の出来事も信じられないことの連続でしたが、
現在スペイン在住の私が、このパンデミック以降の世の中の変化、人種のるつぼでの驚きやあれこれは、本当に信じられないことばかりです。

ほうれん草→報告 連絡 相談なんて、何のこっちゃと言われそうなスタイルに呆れつつ、(そんなこと思うこと自体古いって言われますか?) 全てが、電話、ファックスじゃなくて、メール、携帯の入力。


ほうれん草基本に必死だったな・・

文字が小さいのよ携帯!見えないし!電話は仕事してる時は取れないのに、スペイン人は、自分たちの仕事が終わること優先にして、待つことを知らず、お客様と話してるので後にしてくださいが通じないし…
愚痴をこぼせばキリのない、そんな海外生活。

パンデミックの時は、旅行なんてできないわけですから、無職。隠居生活を強いられていたわけです。口も回らないし、感覚取り戻すのも必死。 ようやく慣れたところで、慣れないこと、時代に取り残されてることは、多々あります。海外だからというわけでなく、日本に住んでいたとしても、浦島タロ子であることは、間違い無いですね。

さて、これから、どうやってお仕事をしていきましょうか、今まで通りでは無理なんだし、自分なりのやり方を見つけていかなければいけません。

もがき苦しんでいる中、体力と気力が続く限り、新しいことにチャレンジしたいと思っている、今日この頃!

やるしかない!ですね。

時代とともに、新しい空気を取り入れながら、

そうです。扉を開けて、新しい空気を取り入れながら、自分にできることを探しながら、一歩ずつ進んでいくことにしましょう。

#創作大賞2024 #お仕事小説部門

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