映画『愛と法』

一月ほど前の話になるが、伊方原発運転差し止めの決定を広島高裁が下したニュースが新聞の第一面を賑わせた日、法テラス岩手主催の映画会に行ってきた。
上映作品は『愛と法』。ゲイであることを隠さず、ともに事務所を営む弁護士夫夫(ふうふ)の3年間のドキュメンタリー映画。


観たいと思いつつ、盛岡で上映されなかったので忘れかけていたところ、新聞の折り込みで上映会があることを知り、しかも主人公のひとり、南和行弁護士の講演もあるということで、迷わず申し込んだ。
当日はどのくらい人が集まるのかなあと思っていたら、約500席あるホールが、空席が目立たないほど埋まっていたので、ちょっと驚き。映画への関心の高さなのか、性別や性に対する考えを深めたい人が多いのか、どちらにせよ喜ばしいことであった。



映画はとてもよかった!
南・吉田夫夫のほか、ろくでなし子さんの裁判、君が代不起立、無戸籍問題など、新聞の社会面で小さく報道されていた事件、多数派に押し切られ蔑ろにされても、自分の信念に背くことなく行動する人たちの姿が同性愛と並列に、丁寧に描かれていた。

また、南・吉田夫夫が、裁判官や検察官を
「あいつ頭おかしい」
「まあまあ理解あったな」
的な評価をしていたところ、日ごろ裁判官・検察官礼賛ブログを綴っている者として興味深いものがあった。

そして、私も南・吉田夫夫が事務所を構える南森町で仕事をしていた時期があり、西天満の裁判所前は長らく通勤路で、個人的にも懐かしさを感じる映画だった。


それはさて置き、少しショックだったのは、南・吉田夫夫の成熟した関係。
社会的少数派であり、生殖的にはイレギュラーであり、法的保護も受けられない関係だからこそ、打算などまったくなく、愛だけで繋がり、ともに生きていくと決めたふたり。直接性的な描写が出てくるわけではないのだが、こちらがドキドキするほどの純粋で濃密な関係性が伝わってきた。
私、異性愛者だけど、男の人とこんなふうに愛し合えたこと、あったかな。あるとすれば、高校や大学時代の打算も危機感もなかった時期の恋愛。今はもう…。


盛岡は田舎だから、ゲイカップルを目にすることがなかったのだが、折しも『愛と法』を観てすぐ、近所のスーパーで中年男性ふたりが手を繋いで歩いているところに遭遇した。
あろうことか、その時とっさに私はそのふたりから目を逸らしてしまった。見てはいけないものを見てしまった気がした。
頭では「同性愛、いいじゃない」と思っていたはずなのに、『愛と法』で同性愛への理解を深めたはずなのに、とっさに目を逸らした自分が恥ずかしくて情けなくて、世界中の同性愛者に謝りたい気持ちになった。

その後もそのふたりには遭遇するのだが、やはりまだドキッとしてしまう。



一月前のことなので、一言一句正しく覚えている訳ではないけれど、南さんが上映後の講演でこう話していたのが印象に残っている。

「地方から都会に出てくるLGBTの人は、本当は自分の生まれ育った場所で生きていきたいと思っている人がたくさんいる。でも、自分がLGBTと知れたら家族にも迷惑をかけるし生きていけないと言って都会に出てくる。」

「LGBTという言葉でひとくくりにして特別扱いしているかもしれないけど、もし性別で何も困っていないとしたら、あなたはシスジェンダー(性同一性一致)でありヘテロセクシャル(異性愛者)というだけのこと。それもLGBTと同じく性のひとつのアイデンティティでしかない。」


堂々と同性を愛する人を、異性カップルと同じく空気のようにポジティブに見流せる、そういう人に私はなりたい。



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