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「月の砂漠のかぐや姫」これまでのあらすじ⑤(第46話から第47話)


「父上、肸頓族へ行くのはわかりました。竹が消えてしまうなんて、絶対に嫌です。阿部殿にお会いして、俺も月の巫女を月に還すためのお手伝いがしたいと思います」
もちろん、竹姫のことを大切に思う羽磋が、月の巫女である竹姫が消えてしまうことを、黙って受け入れるはずがありません。父の話を聞く中で羽磋は、どれだけ困難があるとしても、竹姫を助ける手段を必ず探し出すことを、腹の底で決意していました。
 でも、自分の思い違いで竹姫をひどく傷つけてしまったことにも、彼は思い至っていたのでした。「どうしても竹姫に謝りたい」、その思いで、羽磋は大伴に願い出ました。
「ただ、お願いです。この地を去る前に、もう一度竹に会って話をしたいのです」
「いや、もう、宿営地へ戻る時間はないのだ、羽磋。都合のいいことに、肸頓族へ向かう交易隊が、この近くにいるのだ。交易隊の隊長である小野には話を通しておいた。羽磋よ、今すぐにここを出て、交易隊に合流するのだ」
 大伴は、自分の顔を正面から見つめている羽磋に対して、そのように指示をしました。
 肸頓族の阿部の下へと辿り着くためには、ゴビの荒れ地や砂漠を長期間旅しなければなりません。これには、多くの水や食料を持ち歩く必要があります。また、道中には盗賊や獣などの危険もあります。これらのことから、ゴビや砂漠を長期間移動する場合には、単独で旅をするのではなく、隊を組んで行う必要があるのです。
 そのため、交易や遊牧などの集団としての目的を持ってではなく、羽磋のように個人的な目的があって長距離の移動を行う場合には、自分の目的地の方へと進む交易隊や遊牧隊と行動を共にするのが常なのでした。
 しかし、交易隊や遊牧隊はそれぞれの目的に従って移動していますし、それらの数自体も決して多いわけではありません。大伴が言うように、羽磋が目指す肸頓族の根拠地の方向へ向かう交易隊が近くにいるというのは、羽磋にとってはこの上もない幸運であると言えるのでした。
「それにな、この交易隊の隊長である小野は、我々と月の巫女の秘密を共有している、信用の出来る男なのだ」
 大伴はそう言いながら、羽磋に皮袋を渡しました。その皮袋の中には、いくつかの大切な品物が入っているのでした。
 羽磋にも大伴の言うことはわかりました。
 万が一、この機会を逃してしまえば、次に旅立つ機会がやってくるのは、いつになるのかわからないのです。
 では、竹姫に対しての謝罪の言葉を、大伴に預けていくのはどうでしょうか。
 いえ、羽磋には、それはできませんでした。自分のしてしまったことを深く後悔しているからこそ、自分自身で竹姫に謝りたいと考えていたのでした。それに、そもそも彼と竹姫の間で生じたすれ違いのことなど、父は知りはしないのでした。
「それでは、父上、これを竹に渡してください。俺からこれを竹に贈ると。そして、俺の夢は変わらない、きっと竹を迎えに行くと、そう、伝えてください・・・・・・」
 羽磋は、自分の短剣を手に取りました。その鞘には自分のこれまでの名である「羽」の字が彫りつけられていました。羽磋は、大伴から贈られた短剣の先で、その字の横に「輝夜」と彫り込むと、それを大伴に渡したのでした。
「それに、父上・・・・・・、竹に、ありがとう、と。そして・・・・・・、悪かったと。俺が戻るまで、元気で・・・・・・と」
「ああ、わかった。必ず伝える」
 大伴は、激しく動く感情を必死に押さえつけている羽磋の震える背中を、その大きな手のひらで優しく叩くのでした。


 宿営地の中では、竹姫が自分のために用意されている天幕に閉じこもっていました。
 羽磋と別れて宿営地に戻ってきた大伴は、天幕の外から竹姫に声をかけて呼び出すのですが、外に出てきた竹姫の生気のなさに、ひどく驚かされるのでした。
「ご心配ありがとうございます、私は大丈夫です。ところで、大伴殿。羽がどこにいるかご存じないですか」
 自分の体を心配する大伴に対して、竹姫は羽がどこにいるか知らないかと尋ねるのでした。朝の一件の後もずっと、竹姫は羽が言ったことを考え続けていたのでした。
 竹姫に対して大伴は手短に説明をしました。羽が成人して「羽磋」となったこと。彼の能力が認められて肸頓族に「出される」ことになり、急遽旅立ったこと。そして、彼から預かったものがあること。
「羽磋から、あなたに伝えてくれと言われました。この短剣をあなたに贈る。自分の夢は変わらない。きっとあなたを迎えに行く。そして、悪かった、自分が行く時まで元気で、と」
 竹姫は、あまりにも急な話を呆然とした様子で聞きながら、大伴が差し出した短剣を両手で受け取りました。


 大伴が去ったあとで、再び天幕に入った竹姫は、崩れ落ちるように敷布の上に座りました。
 大伴の話はしっかりと聞いていたのに、まだ、まったく理解が進んでいませんでした。
 気が付くと、自分は何かを握っていました。そう、それは、羽磋から贈られた短剣でした。竹姫がそれを良く見ると、「羽」の字の横に別の字が彫られていました。
「これを、羽、いえ、羽磋がわたしに贈るって・・・・・・。輝、夜・・・・・・」
 竹姫は、その字を何度も読み上げました。輝夜、ああ、輝夜! 羽がこれを私に贈ると!
 竹姫はわかったのでした。これこそが、羽磋が話していた「名」だと。彼が心を込めて自分に贈ってくれた名だと。
 そして、それと同時に、彼女の身体のどこかでせき止められていた気持ちが、一気にあふれ出しました。
 羽、羽は、どこにいるの? 羽は、幕の向こう側になんて、行ったりはしなかった。認めてくれてたんだ。わたしを、わたし自身を。そして、わたしに大切な名を贈ってくれたんだ。羽は、羽は、どこに行ってしまうの? 羽、羽・・・・・・、羽・・・・・・。
 いつしか、竹姫の頬を涙が伝い、敷物を濡らしていました。
 竹姫は、誰も訪れる事のない天幕の中で一人、羽磋から贈られた短剣を握りしめ、いつまでも肩を震わせているのでした。
                           (第一幕 了)




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