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【マガジン】月の砂漠のかぐや姫

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今ではなく、人と精霊が身近であった時代。ここではなく、ゴビの赤土と砂漠の白砂が広がる場所。中国の祁連山脈の北側、後代に河西回廊と呼ばれる場所を舞台として、謎の遊牧民族「月の民」の… もっと読む
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2020年4月の記事一覧

「月の砂漠のかぐや姫」これまでのあらすじ⑯(第78話)

「月の砂漠のかぐや姫」これまでのあらすじ⑯(第78話)

 寒山の交易隊が立ち去ってから、長い時間が経ちました。
 彼らが出立したときに巻き上げられたゴビの赤土も、すっかりと収まってしまいました。
 いたずらな風が次々とやって来て、一人残された理亜の背を叩いては去っていきました。
 高熱に侵された意識の中で、彼女は自分の置かれた状況をどう理解していたのでしょうか。
 自分。置いて行かレタ。熱。熱い。オージュ、村。カアさん、村。オカアさん・・・・・・。王花

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「月の砂漠のかぐや姫」これまでのあらすじ⑮(第75話から第77話)

「月の砂漠のかぐや姫」これまでのあらすじ⑮(第75話から第77話)

「お前は逃げないのか、案内人」
「僕はこの通り、子供の頃に経験しているので大丈夫です。それより、理亜、いえ、彼女は、本当に風粟の病に罹っているのですか」
「わからぬか。奴隷の顔に、ほら」
 寒山の問いに、王柔は自分の頭布をめくって痘痕を示しました。痘痕があるということは、風粟の病に罹ったことがあるということだからです。
 どうしても少女が風粟の病に罹ったと信じたくない王柔でしたが、寒山に言われるが

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「月の砂漠のかぐや姫」これまでのあらすじ⑭(第72話から第74話)

「月の砂漠のかぐや姫」これまでのあらすじ⑭(第72話から第74話)

 どうして、王柔はこれほどまでに、奴隷の少女を気にかけるのでしょうか。
 実は、白い頭布を巻いて月の民の男として振舞ってはいるものの、王柔は月の民の人間ではないのでした。彼は、月の民の勢力圏の西側で遊牧を行っている、烏孫(ウソン)という遊牧民族の男でした。
 彼がまだ十にもならない幼い頃で、まだ皆からは柔(ジュウ)と呼ばれていた頃のことでした。彼の部族を風粟の病という恐ろしい病が襲い、彼と妹の稚(

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「月の砂漠のかぐや姫」これまでのあらすじ⑬(第69話から第71話)

「月の砂漠のかぐや姫」これまでのあらすじ⑬(第69話から第71話)

 行進についていくのに精いっぱいでお互いに関心を向ける余裕などない彼らでしたが、ある連では話し声が生じていました。それは、その連につながれている、まだ十になるかならないかに見える小さな少女が、たびたび立ち止まってしまうからでした。
「おい、しっかりしろよっ」
「お前が止まると、同じ連の俺たちまで止まってしまうんだよ。奴らに怒鳴られちまうだろうがっ」
 長い縄で一繋ぎにされた同じ連の奴隷たちが、見張

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「月の砂漠のかぐや姫」これまでのあらすじ⑫(第67話から第68話)

「月の砂漠のかぐや姫」これまでのあらすじ⑫(第67話から第68話)

「あ、あそこ、なにか動きませんでしたか? 大丈夫ですかね、大丈夫ですかね・・・・・・」
「おい、お前が聞くなよ。案内人はお前だろうが」
「すみません、すみません。もちろん、大丈夫です。大丈夫ですとも。案内人は僕ですからね。でも、あっ・・・・・・、あの岩の陰で、なにか動きませんでしたか?」
「あのなぁ・・・・・・」
 交易隊の先頭では、オアシスに立つナツメヤシのようにひょろっとした男が、こわごわとあ

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「月の砂漠のかぐや姫」これまでのあらすじ⑪(第63話から第66話)

「月の砂漠のかぐや姫」これまでのあらすじ⑪(第63話から第66話)

 無事に隘路を抜けた小野の交易隊は、それ以降は順調に歩を進めることができました。
「一つ目のオアシス」と呼ばれるオアシスを経由して、いくつかの交易路が交わる要所である土光(ドコウ)村にたどり着くと、補給と交易を行うためにそこにしばらく留まることから、交易隊は一度荷をほどくことになりました。
 交易路は、秦(シン)と呼ばれる東国から始まり、祁連山脈の北側を通っていました。そして、祁連山脈の西の終わり

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「月の砂漠のかぐや姫」これまでのあらすじ⑩(第60話から第62話)

「月の砂漠のかぐや姫」これまでのあらすじ⑩(第60話から第62話)

 匈奴といえば、数年前まで月の民と戦争をしていた、新興騎馬民族でした。月の巫女である弱竹姫の力を利用するという御門たちの策略によって、月の民は烏達渓谷の戦いで匈奴を打ち破りました。その結果、月の民と匈奴は、月の民を兄とし、匈奴を弟する和睦を結んだのでした。つまり、月の民が戦いに勝利したのでした。
 和睦のために匈奴から月の民に差し出されたものはいくつもありましたが、その一つとして、匈奴の単于の息子

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