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自己アピール【天然温泉 八百治の湯@福岡県】(1/2)

 僕は、努力を自分からアピールしていない人が好きなのかもしれない。というのも、以前にこんなことがあったからだ。
 ある記事の作成にあたって、僕が編集者の立場でライターに仕事を依頼したことがあった。そのライターは自分の働きぶりに自信を持っているらしく、とても頼もしかった。
 ところが、いざ納品してもらった記事を読んでみると、「よくこれで『ライター』という肩書きを名乗れるものだ」と思ってしまうほど、文章構成や情報の整合性に欠陥があるだけでなく、少し確認すればすぐに気づくような初歩的な誤字脱字などのミスも目立っていたのだ。これでは評価をしようにもできない。

 実は、そのライターにはそれまでにも数回仕事を頼んだことがあったのだけれど、それは他に頼むことができるライターがすぐに見つからなかったからであって、消去法的に指名をしたに過ぎない。結局、その後ほかに人格的にもスキル的にも優秀なライターと出会えたことで、この案件を最後にそのライターに仕事を任せることはなくなった。

 この時、とても印象に残る出来事があった。そのライターは、あまりにも実力や努力が不足しているにも関わらず、自信だけは持っている(※それを過信という)ために、なかなか自分の仕事が評価されないことに対して「私はこれだけやっているのに、どうしてあなたは認めてくれないのか」と僕に言ってきたのだ。仕事において年齢は関係ないとはいえ、僕より7年も多く人生を経験している人に、まさかこのようなことを言われるとは思わなかった。
 そもそも評価に値するライティングができていないのだから、僕がその人の仕事を認められないのは当然ではあるのだけれど、そのライターはさらに続けて「私はこれだけ努力をしている。普段からこのようなことにも取り組んでいる」とアピールをしてきたのである。おそらく、自分が評価をされないのは自分に問題があるのではなく、僕の見る目がないということを伝えたかったのかもしれない。
 ただ、事実として記事に欠陥や初歩的なミスがあり、それをそのライター自身にも説明して認識してもらった上でこのようなことを言われるのであれば、さすがの僕もこれ以上はまともに相手をすることができない。

 さて、そのような後味の悪い出来事があったとはいえ、これは僕にとって「努力」というものについて考え直す良い機会にもなった。というのも、僕は普段自分が何かに向けて努力をしようと思うこともなく、そして努力をしている実感もなにも持っておらず、ただ純粋に「やりたいと思ったことをやり、必要だと思ったことに取り組んでいるだけ」なのだが、それこそ他人から見ると努力そのものなのかもしれないのだ。なんなら、このnote『#連続サウナ小説』も、他人からしてみれば努力の一つと思われるかもしれない。
 実際、これは誰に頼まれたわけでもないけれど、最初の記事を公開した2020年10月19日から現在まで、僕はどれほど仕事が忙しくなろうが体調が悪くなろうが、毎週欠かさず2記事を更新し続けてきた。これが僕にとっては当たり前のことなので気に留めていなかったのだけれど、1記事を更新するのに最低でも2〜3時間はかかっているわけで、その記事を企画し、途絶えることなく更新し続ける作業というのは、客観的に考えてみれば努力以外のなにものでもないのかもしれない。
 また、僕がこのnoteを更新し続ける理由はいくつかあるけれど、その一つが「執筆業を生業とする人間として、最低限のライティングスキルは維持したい」ということが挙げられる。もちろん、これも努力などとは思ったことはなく「仕事に必要だと思ったからやらなければならない」、ただそれだけだ。それ以上でも以下でもない。どれほどライティングの知識や経験があったとしても、アウトプットをし続けなければライターの腕なんてすぐに落ちてしまうのである。筋トレと同じ感覚かもしれない。

 つまり、努力を努力と認識している時点で、それは「努力していること自体が目的になってしまっている」とも言えるのかもしれない。努力は目的を実現するための手段でしかなく、努力をすること自体はそれほど重要ではないのだ。と、僕は考えている。
 さらにいうと、努力をアピールする行為というのは、逆に考えると「私はなにも結果を残せていません」と自ら認めてしまっているようなものだ。結果が出せていないから周りから評価されず、とはいえ周りから評価をされたいがために、少しでも成果(のようなもの)を伝えたいのだろう。これを承認欲求という。

 本当に努力している人というのは、本人は当たり前のようにそれをやっているから、努力を努力とは思っていないことが多い。そもそも、努力をアピールせずとも、周りから認められるほどの結果を出せているから、わざわざ普段の努力をアピールする必要がないのである。結果とは、それまでの努力の積み重ねなのだから。
 わかりやすい例が、アーティストやアスリートなど、なにか特定の分野で結果を出した人の日常に密着をしたテレビ番組である。ここで初めて、大きな結果を出している人の普段の並々ならぬ努力を、僕たちは知ることになるのだ。

 7月21日(木)、福岡県は博多にて、あるビジネスで成功を収めた経営者に話を聞く機会を得られた僕は、そのことをさらに実感したのだった。

ーー後編に続く

(written by ナオト:@bocci_naoto)

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