ピエロの服を着た悪魔 12吊るし

 トイレに入ると、そこに悪魔がいた。体にぴったり合ったピエロのようなカラフルな服を着て、天井からぶら下がっていた。ちょうど猫くらいの大きさで、まるで胎児のようにくるんと丸まって、ミノムシのようにゆらゆらと揺れている。

 ドアノブに手をかけたまま、この見なれない光景にポカンとして、その不思議なかたまりに目を凝らしていると、それまで暗闇だったのが急に明るくなったせいか、このミノムシ悪魔はそれまで心地好さそうにつむっていた目をパッチリとみひらいた。ブルーベリーサプリメントの広告に出てきそうな、青みがかった白目とまっすぐな瞳がキラキラと濡れたように光っている。まるで警戒心はなく、赤ん坊のように信頼しきった眼差しだった。互いに表情もなくしばらくはそうして目を合わせていたが、悪魔はまた目をつむったかと思うと、しょうがないな、という感じでノロノロと手足を動かし始めた。「ちょっと待って、そこで動くのはやめて。なんか怖いから」と心の中で呟くと、それを聞いていたかのようにまた目をあけて、ふっと消えてしまった。その消えるときに、じゃあとなりの風呂場に行くか、と言ったのを聞いた気がして、となりの風呂場を覗き込むと、電気の消えた浴室の物干し竿に逆さまにぶら下がって揺れていた。まだしばらく眠りたいようだった。電気をつけるのははばかられたので、そのままにしてトイレで用を足し、自室に引き下がった。

 ひとめ見て悪魔だと分かったのは、頭にピョコンとちいさな触覚のようなツノが生えていたからだ。それに、ゆらゆらと揺れたときに背後にちいさな矢印型のしっぽが見えた。まだ赤ん坊に毛の生えたような悪魔の子どものようだ。うちに悪魔の子どもがぶら下がっていると思うと、私の心もゆらゆらと揺れた。悪魔といっても不吉な感じはしないし、かと言って吉兆とも思えない。たた、これまでの平穏な日々になんらかの亀裂をもたらす存在であることは確かだった。

 悪魔はその後も基本的には、浴室でぶら下がったままだった。私が風呂に入るときには姿を消しており、いなくなったのかと思えば朝方には戻っていた。風呂に入る気配を感じ取ると、ふっと姿を消すのは、私を気遣ってというよりも、騒がしいところではさなぎの生長に妨げとなる、ということのようだ。いつも丸まっているのでよく見えないものの、ピエロのような服は赤、青、黄色、緑の布で構成されていて、ウデのところは清々しい水色だった。頭、というか本体は黒い。すべすべした肌で毛は生えていないようだ。

 悪魔が現れてから十日ほどが経ち、その存在にも慣れてきたある真夜中すぎ、私はハッと目を覚ました。何かがいつもと違う。なんとなく予感がして、おもむろに風呂場に向かう。廊下を近づくにつれて、やや足のこわばりを感じる。果たして開けっ放しの風呂場では、悪魔が全身を広げていた。廊下の光が差し込む暗がりの浴室で、悪魔がうんと手足を伸ばしているのが見えた。そんなに伸びてもやはり猫くらいの大きさであるのは変わらず、小さく握りしめられた黒いこぶしには、小さいが鋭そうな爪が小さく光をかえしていた。色とりどりのその衣装を明るい場所で見てみたかったが、驚かせるのは本意ではないので、そっと浴室をあとにした。

 私は考えた。あの悪魔はさなぎの状態から脱皮するためにこの部屋を選んだのだろうか。それとも成長していると思っているのは私の一方的な思い込みで、もうあれで一人前の悪魔であり、夜にはいつもああして手足を伸ばして、どこかに繰り出しては悪魔的務めを果たしているのだろうか。私にはわからないことばかりだったが、ことこのの件に関しては最初から、あまり追求しても仕方がないという諦念が頭をぼんやりとさせ、その時も考えがまとまらないままに再び眠りのなかへ落ちていった。

 気がつくと、悪魔が寝床のすぐそばに立っていた。「どうしたの」と聞くと、寂しいから一緒に眠って欲しいというようなそぶりを見せた。よく見ると、いつものピエロ的衣装が今日は体より少し大きめのゆったりとした寝巻きになっている。悪魔と寝るのは気が進まなかったが、もはや家族同然なのだと自分に言い聞かせて、布団をめくって入れてやった。私は猫を飼ったことはないが、飼っていればおそらくこんな感じだろう。暖かなちいさなものが腹のあたりにうずくまり、すぐに寝息を立て始めた。その小ぶりの猫のような悪魔の子どもを腹に感じながら、私もすぐに眠りに落ちた。

 朝目が覚めると、悪魔はもう寝床にはいなかった。さては浴室に戻ったかと思うと、そこにも姿はない。はてどこに行ったのだろうと寝ぼけ眼の顔を洗ってふと鏡を見ると、そこには大きな顔をした、正真正銘オトナの悪魔が写っていた。触角のようなツノがだらりと眉のあたりにまで垂れ下がり、いつもよりやや黒みがかった顔には見覚えのある美しい瞳が光っている。それでいて、その大きな顔はいつもの私の顔に違いなかった。のっそりとした気持ちでもう一度浴室をのぞいてみると、からっぽの浴槽の中にあのピエロのようなパジャマの抜け殻ともいうべきものが残されていた。それは早朝のぼんやりとした光のなかでうっすらと輝きを帯びており、袖を通すと体に馴染んで消えてしまった。

 この時から私は、夜になると外を飛びまわり、昼はさかとんぼりにぶら下がって寝てしまう悪魔を胸に抱えて過ごしている。

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サンキュ〜
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ブログ (https://bobio8.com )で主にエイブラハムの実践記録と西洋占星術に関する記事を書いています。
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