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親が死ぬ、その瞬間も生活の中にある

結構頻繁に、親が他界したあとのことを考える。
今はまだまあ一応元気だと言えるけど、
それぞれ持病や身体の不調はあるし、
20年後には80代だ。

最近は自分よりも上の世代の方たち、とりわけ60代以上の方を見ると、
「この人は年齢的に親を亡くされている可能性が自分より高い。それだのにこの瞬間、こんなにしっかり生活していてすごい。」
などと思ってしまう。

実際にその方が親御さんを亡くされているかはわからないが、生物学的な観点で(?)考えるとそういうことになる。
また、親御さんと折り合いが悪く「死んでせいせいしている。むしろ自分が殺めたかった」というような場合ももちろんあるだろうが、そのへんはわからないので勝手に割愛している。

とにかく、私からするとかなり大きな出来事 “親の逝去”  を経験した(かもしれない)人が日常生活を送ってる様子を見ると、妙に愛おしいような、崇めるような気持ちになる。

私は、自分の親がいなくなったらちゃんと生きられるのだろうか。
ちゃんと生活できるのだろうか。

今週末実家に行き、家族に会う。
3月に他界した祖母の納骨をしに行くのだ。
祖母の死を受け入れる儀式をしに行くのだ。
生活の中で。生活をするために。

最近、そんなことについてずっとぼんやりと考えている。

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