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台湾の友人と話しました。

先週は台湾に緊張が走りましたね。中国軍のあまりにも速い「軍事演習」に、既に戦闘態勢に入ったと思いました。事実はそうだったかもしれない。言葉とは便利なもので「軍事演習」といえば軍事演習という印象を作り出すものです。しかし台湾を取り囲む軍事演習の布陣をみれば、戦闘に有利な「高地」をとり、台湾の兵力を分散させるものになっていることは明らかで、同時に米軍の攻撃に対する防御も果たしているように見ました。いまでも演習の終了は明らかになっていないらしい。つまり、これが何らかの偶発的な行動によって、そのまま戦闘に突入しても不思議ではない印象を抱いています。

中国軍の速い動きをみて心配になり、Lunch Club(SNS)で知り合った台湾の起業家にLINEしました。「連絡をもらって嬉しい。私は無事、元気でやっていますが、中国が台湾周辺に軍事訓練を増強しつつあるのは明白です。願うことなら、これによって戦争になることなく、単なる脅威で終わり、これ以上なにも起こらないことを願っています。(8月4日に拝受)」。これだけの文面からはなかなか伝わりませんが、彼もまた戦争が始まる時の恐怖を強く感じたようです。「日本も中国の動きを警戒しているだろう?」とも訊かれました。「もちろん。ただそれをどうすることも出来ない僕たち自身に直面しているのが本当のところです」。

多くの日本人にとって8月は、かつての戦争や今の平和に思いを巡らす月だと思います。いくつかの平和式典もあり核の廃絶や平和を望む声は多くありますが、今年のそれらはどこか虚しく思えました。台湾しかり、ウクライナしかり。そして日本の平和・国防に関する立場や状況もしかり。なにか「訴える」、または政治家がよく使う「強い言葉で非難する」だけではまったく実際的でない虚無感とでもいうか、何というか・・・。まあ、いまさらかもしれませんが、今年は特にそうでした。問題なのは、強者はお構いなしに弱者を攻めるが弱者はそれを止めることが実質できないことでしょう。強者は攻める口実を作るためなら嘘もつくし成り行きや偶発も利用する。ましてやロシアや中国という常任理事国がそれを首謀しているのは、悪い冗談を見ているようです。弱者が嘲笑われるかのような虚しさと苛立ちを感じます。