リーンスタートアップに場の思想をビルトインする
リーンスタートアップや顧客開発モデルの一番の要諦は、オフィスを出て顧客に会うということだ。どんなにブラッシュアップしたアイデアでも、どんなに優れたプロフェッショナルが仕上げたプランでも、実際に顧客に会ってみると、その仮説はもろくも崩れ去ることがほとんどだ。「最初のアイデアに恋に落ちるな」というのは、ビジネスモデルキャンバスを開発したアレックス・オスターワルダーの言葉だ。彼は、参加者の書いたビジネスモデルキャンバスをくしゃくしゃに握りつぶして、そう言ったのだ。握りつぶされた人の驚いた顔は今でも忘れない。
このことをもう少し大きなフレームで見ると、〈他者〉と出会うということだ。哲学的な文脈では、〈他者〉とは他人ということだけでなく、親や子供などの親類、車やビルといった物理的なもの、法制度や社会システムもまた〈他者〉と捉える。現実の世界に出たときに、コミュニケーションが断絶したなかで、想定外の応答を見せるものすべてが〈他者〉なのである。その〈他者〉との遭遇によって、ビジネスアイデアは鍛え上げられていく。投稿に対する厳しいフィードバックもまた、こうした〈他者〉表現の結果なのである。
重要なのは、その次のステップである。拒絶されたビジネスプランを手に立ち尽くすのではなく、〈他者〉と対話可能なものへの変化させていく必要がある。西田幾多郎はそのために、〈場所〉という概念を導入した。西田にとっての〈場所〉とは物理的なものに限らず、経験がなされる基盤となるような論理的な空間であった。その基盤を通じて、我と汝は関係し合うのである。
この、〈場所〉という概念が、リーンスタートアップにも顧客開発モデルにも、十分に織り込まれていないように思う。西田のいう〈場所〉には歴史的・文化的な文脈が流れている。そうしたものへの深い理解がなく、ただ顧客のニーズを満たすことが重要だという言い方をするのだと、それは持続しない。その瞬間のマッチングだけが議論され、時間が前に流れていかないのである。
ときには言葉も通じないような〈他者〉と、同じこの〈場所〉という基盤を共有しているということによって、通じ合う。この点で、西田哲学をさらに一歩進めたのが東大名誉教授で場の研究所の清水博である。彼の提唱したさまざまな概念−相互誘導合致、与贈循環、共存在の論理−を新規事業の分野で応用していくことが、私の役割のひとつだと思っている。とりあえず、その問題意識をメモしてみた。
小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授