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映画『ヒミズ』監督:園子温,原作:古谷実

はじめに

※ネタバレは・・・あります
観ていない方はご注意


「U-NEXT」をせっかく契約しているので、昨日本作を観た。
(テレワーク中、かつどこにも監視の目はないという理由もある)

初見ではなく、2~3年ぐらい前に観た記憶がある。よく内容は覚えていなかったので、この機会にちゃんと観ておこうと思ったのも理由の1つである。

おそらく、私には暗い映画や小説を貪る時期が周期的に訪れるので
その際の出来事であったのだろう。

さらには、水っぽい、梅雨の時期にはぴったりな映画だと考えたからである。
ミズだけに(当方関西人)。



それで、改めて観た感想であるが

主人公

「住田くん(主人公)、まともやなぁ」と最初に言いたい。

息子に無関心な両親に育てられ(育てられたと言っていいのだろうか)、

父親は住田くんにいとも容易く手を挙げ、
母親は息子に無関心、挙句にどっかの男と共に出ていく。

散々すぎる(住田くんはまだ中学生)

あくまでフィクションではあるが、観ているこっちも心配になってしまった。

特に父親は、主人公にひどいとしか言いようのない言葉や
苛烈な暴力を何度も何度も振るう。

やがて限界に達した住田くんは父を殺し、今作のテーマともいえる
」に埋めてしまう。

そして父親を埋めるために全身「泥」に浸かった住田くんも
当然、泥まみれになるのだ。

あの父親と同じように。

しかし、住田くんは人殺しをした己を
「おまけ人生」を生きていると捉え、自分がせめて社会のために何かしようと考え、「悪い」奴を殺そうとする。
考えようによっては・・・まともだ(発想が危ない)。

あんな目に遭ってもそう思えるのは、やはり主人公。
同じ泥まみれでも

父親とは違うのである。

そもそも、父親を殺したのは衝動的なものであり、彼がぐったりしたときには、
「おい、どうしたんだ、起きろよ!!」と言っていた。

住田くんは元々平凡な存在を志向しており、人殺しになどなりたくなかったのである。

しかし、意図せず殺人、死体遺棄をはたらいた彼の、
本来持っていた真面目さが「おまけ人生」として暴走するのが後半の展開となる。

泥と水

すでに触れたが、「泥」の存在が今作ではしつこいほど強調される。
それもそのはず、住田くんの家業は貸しボート屋。
家の近くに沼があるのだ。

また、雨のシーンが多いし、津波が街を襲ったシーンがフラッシュバックのように登場人物たちを襲う。

「泥」と「水」が今作においては何らかのメタファーであると言ってよいだろう。


住田くんが父親や借金取りにどつかれると、大体泥まみれになってしまう。

勝てないからだ。

貸しボート屋の周辺はいつも湿っていて、地面に倒されると泥がつく。
おそらくあの辺りを私が歩くと、靴も靴下も素足も泥から逃れられまい。
何となく、嫌な場所に感じてしまう。それが監督の狙いだろうか。

劇中で、借金取りに泥まみれにされた住田くんは言う。いや叫ぶ。

「俺はな、たまたまクズのオスとメスに生まれただけだ、
だがな、だが俺はクズじゃねえんだよ!!!」

あくまで、クズに染まらず(心は泥にまみれず)生きていこうとしているのである。

住田くんが、彼を襲う暴力に勝てないのはそこのところに原因があるのかもしれない。優しすぎる(勝とうともしていないかも知れない)。

彼はその心の真っ当さと裏腹に本作で、最も泥まみれとなる。
(次点は父親か。親子らしい。・・・住田くんに怒られそうだな)

その一方、本作でのクズに限って、なかなか泥まみれにはならない。
その点だけはリアリティがある映画である(リアリティだけが映画の魅力ではないことを付言しておく)。


一方で、泥あるところには(きれいな?)水があるというか、
本作にはヒロインがいる。

茶沢さんという女の子である。
主人公とは同級生で、学校で聞いた住田くんの「語録」を部屋に貼ったり、勝手に貸しボート屋の宣伝ビラを作成するなど"強烈"な女子中学生だ。

そしてとにかく、彼女の登場シーンには水にまつわるものが多い。



主人公に沼に突き落とされる

などなど・・・。

主人公との関係において、

泥は洗剤だけではとれない。きれいな水を流し込んでやらないことにはどうにもならない。

彼女は「水」の象徴である。少なくとも、監督の意図は私に伝わってきた。

茶沢さんは後半、「おまけ人生」中のイっちゃってる住田くんに
「自分で決めたルールでがんじがらめになっているだけだよ」

と言って彼を説得しようとする。

この二人、相性がいいと思えるところがあって、


住田くんは心が真っ直ぐだが、現実や自分と向き合えない。
茶沢さんは情緒不安定だが、現実的。

だから、住田くんが茶沢さんの説得により
父親殺し及び死体遺棄の件で自首するという

「マシ中のマシ」なエンドを迎えられたのだろう。

水は泥を生み出し、かつ拭い去りもする。
そういう風に勝手に私は解釈したのであった。


酒、暴力、金、煙草

私は少々変わっている人間なので、普段あまり感じないが見ていて疲れる映画というものはある。
暴力描写が多い・・・韓国映画、『時計仕掛けのオレンジ』など
悪意に満ちている、展開がめまぐるしい・・・『セッション』など

今作はさしもの"ちょっと壊れている"私でも疲れた。
私について知りたい方は↓を参照されたい。

暴力がいつ顔を出すかわからない作りだからだろうか。

住田くんが、震災の津波で色々失ったホームレスと楽しんでいても父親がぶち壊すし、
また別の日にホームレスと楽しんでいたら、母親はどっか行くのだ。
主人公はもう学校行くどころではなくなってしまったのだ。

もう、逆に笑ってしまう。

住田くんが何も積み上げられないからだ。彼に落ち度はないのに。


「いいこと」は自ら積み上げねばやって来ない。
しかし「よくないこと」は何もせずとも向こうからやってくる。
by Blumenkranz

ということを思い出させられた(私のモットー)。


も、両親の象徴といえるかもしれない。

父親は
「お前、生まれてこなきゃよかったのにな」
と何度も主人公に言う。

だが、酔っているため
自分が発した言葉を覚えておらず、また何度でも言うのだ。

何回も何回も・・・。

母親は酒と煙草、知らない男に夢中で、父親の相手は息子に任せきり。


こんな状況でまともでいられる住田くんは、ホームレス達には(貸しボート屋周辺に住み着いている)人気がある。

その一人、夜野さんなどは

父親のせいで借を背負った住田くんのため、殺人をやらかす
(住田くんの未来のためにやった、ということである)

ほどである。


以上、このような泥の部分(汚い大人)と水の部分(まともな人たち)、
二つを行き来してストーリーは進んでいく。

だが、第三の勢力ともいえる存在もこの作品には用意されている。

「火」と「借金取りの親分」である。

借金取りの親分

こいつは、最初は取り立てに貸しボート屋に現れ住田くん(中学生)をボコボコにしばく。

単なる嫌な奴、クズ、まさに泥のような野郎だった。

しかし、後々の別の場面、住田くんが「おまけ人生」と称し包丁を紙袋に入れ街を彷徨しているときに出逢ったときには別の姿を見せる。

包丁を見ても、主人公に「殺すぞ」と言われても動ぜず、車で家まで送ってやり、
住田くんに
「お前は病気だ。周りが見えていない。一番ヤバそうな道を自ら選んでいる」

とまともな大人らしいことを言う。
(それでも、住田邸に拳銃を置いていくのが、本作の登場人物らしい)

思うに、この男は住田くんが初めて出逢った「強い」大人なのではないだろうか。
父も母も、暴力や蒸発など行動はしていたが、そこには強さはなかった。

現に息子と向き合っていないではないか。

それに比べ、借金取りの方が住田くんの成長には貢献しており
(主人公が己を客観視するきっかけとなる発言をした)

・茶沢さんに自分が父親を殺したことを告白する
・「おまけ人生」は的外れだったことをある程度認める

などの影響を与えている。

だが、思春期によくあると思うのだが、自分を見つめ直すことは本当に辛い

借金取りのおかげで、住田くんは内向的な己の世界から出ることはできたが、
外の世界も辛いことが本当に多いのだ。
一体自分は今まで何をやっていたのだ?

ハッピーエンドにはもう少し、役者がいる。

それが「火」。そして茶沢さんの言葉だったのだ。

火と茶沢さんと沼と拳銃

「自分を見つめ直し」当然のごとく(?)絶望した住田くんは貸しボート屋に帰る。

もちろん茶沢さんは、不安定な彼の自殺を危惧、監視しようとそこにいた。

その後の、説得され自首を受け入れるシーンもいいが、印象に残ったのは
やたら部屋にキャンドルを飾るシーンである。

家燃えるんちゃうか、ぐらい飾られたキャンドルが暖色を演出している。

これまで述べてきたように、『ヒミズ』は「泥」と「水」が強調されている。
寒色系ばかりだ。

水で泥は落とせるがそれだけでは駄目で、最後は暖かく乾かさなければならない

・・・そんなメッセージを読み取るのは私の暴走だろうか。


ストーリーとしてもここは重要で、
住田くんが自分の今までを反省し、
茶沢さんは、彼女の想う二人の未来を彼に語りかける、
ロマンチックでキャンドルが似合うシーンなのである(うらやま死しそうになった、私は)。

沼でどつきあいしていた二人がついに和解したのである。
互いの濡れた体を乾かしていると言ってもいいだろう。



だが、一筋縄ではいかない人生を送ってきた主人公。
茶沢さんが寝ている隙に拳銃を持ちながら、沼へ入っていく。

つまるところ、未来というものは嘘である。なかなか嘘は信じられない。

それでも、彼は妥協をした。内に籠るのではなく。大人に近づいて。

平凡な人生を送りたかった彼が、まだマシでいるには懲役を食らわざるを得ないと。
もう、それは平凡ではないのかもしれなくても。
残念ながら、客観的にはそうなんだから。

・・・私としては、茶沢さんのために死ななかった説を採用したい。
私でも、たまにはいい風に物事を解釈したいのだ。

それもそれで、成長ってやつだよ。

服役したことないから、よくわからんが・・・


住田、頑張れ

頑張れ、住田

ついでに茶沢さんも

総括

お気に入りの監督(『自殺サークル』も観た)なので観たわけだが、
私としては、ハッピーエンドで救いがある方の作品だった。

ストーリーを追っている最中は、何をやらかすかわからない登場人物に目を奪われ
退屈もしない。

演出についても、メタファーが散りばめられていて、よく練られているのではないだろうか。

そして、染谷将太氏と二階堂ふみ氏。
両氏の「成長過程」の演技を観られる貴重な作品である。
もっとも、本作での演技は本物であるが。

特に、主人公が父親に殴られた後の苛立ちを表すシーン。
茶沢さんが母親とバトるシーン。

今どきの若者はすごいな〜。


私自身やみなさんも、本物の人生を手にできればいいな。

以上



何かに使いますよ ナニかに