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映画「逃走中 THE MOVIE:TOKYO MISSION」感想~私はそれを「胃に優しい」という~

2024年7月19日に公開された映画「逃走中 THE MOVIE:TOKYO MISSION」。
もちろん観に行きました。
本来なら出来る限り早く見たいのはやまやまだったのですが、封切日は仕事、そして翌日はFNS27時間テレビ放送開始、翌々日はFNS逃走中2024の放送。そこから予想レースの結果もまとめなきゃいけない。
とにかく時間だけが流れていく中でなんとかちょっとだけ早上がりできた日に家でご飯を食べてからレイトショーへ。
まさかの「映画館を間違える」というヘボミス(家の近くには映画館が2館ある)をしながらも間に合い、ほぼ貸し切り(JO1ファンの方と2人だけ)で見させていただきました。

ただ、ネタバレ防止のためになるべく情報を入れないようにはしていたのですが、皆さんの感想や様々なメディアでの取り上げでいろいろ言われているのを見たり、がりさん監修の映画パンフレットにミッション内容が載っていて「知りたくない!知りたくない!」と慌ててそのページだけ封印して見ないようにしたりと見るまでの間、正直かなり不安でした。

そして見た上での自分の感想は

やっぱ楽しかった!!!

でもあり

やっぱ人を選ぶのも分かるなぁ…

という両面でした。

今回はできる限り「今の『逃走中』の環境」というのに寄り添いつつ、自分の感想を書いていきたいと思います。

この映画のターゲット層はどこなのか?

実はこれが「この映画の最大のポイント」だと思っています。

そのヒントはパンフレットにありました。
実はこの映画が企画されたきっかけは昨年の「FNS逃走中2023」をスタッフの知人のお子さんが早起きしてまで見ていたことに「そこまで子ども人気が高いとは」という事から生まれた事。そこから企画・シナリオを経て冬に撮影して夏公開しているわけなんですよね。
上映後のCMでも観客を映すシーンではお子さんのみを取り上げています。

つまり、この映画のメインターゲットは「それなりに逃走中が好きな大人のファン」でも、「JO1やFANTASTICSのメンバーのカッコいい所を見たい!というファン」でもない(もちろんターゲットには入っているとは思いますが)。
子ども達なのです。

思えば上映時期が夏休み初日という「夏映画」という事にも気づくべきでした。
逃走中20周年はパイロット版基準なら6月、地上波第1回基準なら10月。編集の関係とかも含め6月が無理だとしても、「20周年のお祝い!」として秋に上映する選択肢もあったはず。
だが「夏休み初日」という所に、これが単なる「メディアミックス作品」ではなく「夏映画」として機能させるという狙いがあったのだと思います。

ただ残念だったのは「アンパンマン」が強すぎる。
特に今年のアンパンマンはばいきんまん側からの視点も描いており、どれだけやられながらも限られた資材で諦めずにアンパンマンと戦うばいきんまんの健気さ、創意工夫の努力など、大人が見ても心にぐっとくるストーリーとして話題となりました。
それに対してしまうと、どうしても今回の逃走中のストーリーは結構あっさり目に仕上がっているので「浅い」とか「子どもだまし」みたいな批評が出てしまうのも仕方ないなぁと思います。
まあでも普通はそうなんですよね。何かいつの頃からか「子ども向け映画だけれど大人も感情移入して感動する」みたいなのが当然みたいな感じになってて。

あと子ども向け映画に「消滅」とかその演出とかも大丈夫かなという心配はありましたが、ここもスタッフさんは「グロくできればグロくできるけれど、年齢制限がかかってしまうので怖くないように表現するのが大変だった」と語っていて、その通りに「QMAのホラー検定で高得点出すほど『知識』は豊富だが『リング』が観れない」自分でもちゃんと見れたので大丈夫です。
というか今の子達って結構すごくて、逃走中ノベライズのある児童文庫コーナー行くとオリジナルデスゲーム作品もあれば「リアル鬼ごっこ」も「カラダ探し」もあるという。マジで逃走中は「死んでないだけマシ」で結構死んでる作品多いです。私が中学時代に経験したのを皆もっと低年齢で味わってる。

「逃走中」というブランドの大きさ

ここからはストーリーをネタバレなしにしつつ重要なポイントを。
まずは前半部分。

これが冒頭からしっかりと「現実」とリンクしていたり、いろんな所が複雑に重なっていて面白くもあり不思議な感じをさせてくれる。

パンフレットの脚本さんのインタビューでもあったが「どうやって『映画でしかできない逃走中』にするか」というのに凄い苦心されていたことを語っている。
過去例としては「ローカル路線乗り継ぎの旅(太川さん・蛭子さん時代)」が劇場版として台湾を舞台に行ったが、その時は通常放送と同じフォーマットだった。
もちろん「劇場でもあの『シナリオのない』逃走中を」という声も目にしたが、折角の劇場版だからこそ「普段のゲームでは絶対できないゲームを」と型を破ろうとしていたのも当然だろう。
東京23区を舞台に賞金総額1億円、逃走者1000人(一般参加あり)。そしてデスゲームと化してからは「確保されれば消滅」「賞金100億円」というまさに「創作でしかできない」設定を作りつつも、決してアニメ版のように「完全に違った世界観」にはしておらず、「逃走中部分に関してはナノレベルであり得ると思わせるぐらいぶっ飛びすぎていない」と感じさせてくれました。

そもそも逃走中といえば「プロテクターを付けた逃走者」「ハンター」「マークさんのナレーション」「残り時間と賞金タイマー」の要素のうち2つぐらい、場合によっては「『逃走者』だけ」とか「『ハンター』だけ」でも「逃走中やないか!」とツッコミが来るぐらい「『逃走中』というネームバリューに対する印象の強さ」が大きすぎる。
その印象を打ち破るような「現実でできない逃走中」を見せてくれただけでもありがたい。
ミッションポイントの東京ドームで何十人という人たちがアイテムの争奪戦になり、主人公たちの前後を捜索している光景というのはエキストラがいる逃走中とはまた違うガヤガヤ感あって新鮮でした。

やっぱ友情っていいもんよ

何よりメインで描かれるのは6人の「友情」。
同じ高校の陸上部だった6人がある事情でバラバラになり、そして逃走中という場で再会して何が起こるのか。それぞれに想いを抱えながらそれを天秤にかけて行動に移していくという場面の連続。

見て改めて思ったのは「やっぱ友情っていいなぁ」

「いいなぁ」というか、自分の中ではそういう物がないという「憧れ」の感情も入っているかもしれない。
元々中学では超少人数陰キャ軍団を、高校に至っては仲のいい友人は1人だけだし卒業したら疎遠で本当に「Twitter開始以前の友人を持っていない」という状況。
漫画でもジャンプはこち亀しか読まないし、サンデーとマガジンは金田一とかギャンブル系かデスゲーム物しか読まないという青春時代を送ってきた自分にとって、「ドラゴンボール」とか「ONE PIECE」のような「努力・友情・勝利」みたいな冒険物も、「黒子のバスケ」や「ハイキュー!」のようなスポ根物も無縁の人間だった。

そんな中で大人になって「Dancing☆Star プリキュア」では「表ではダンスの部活、裏ではプリキュア」という形での青春の描き方を、そしてこの逃走中では「逃走中の中で友情を取り戻していく」という姿を見て「いいなぁ」と思えるようになった。
ありきたりなスポーツとかではなくて、「プリキュア」とか「逃走中」とか、ちょっと変化球の方が自分の心に刺さるのかもしれない。

先日、とある方と半日かけて「丁寧なやり取り」という名のレスバをしていたのだが、相手の方は「ヒーローとは自分に厳しく他人に優しくあるべき」「『友情』とは『友』の『心』が『青』臭いと書く」と友情や仲間を「馴れ合い」と断じて否定する方だった。
もちろん人によってそういう意見があるだろうし、それは否定しない。
でも自分の中ではやはり、「自分がこれまで一緒に楽しんできた仲間」と「見ず知らずの人」のうちどちらか1人しか助けられないというトロッコ問題に直面したら。何のためらいもなく「仲間」を捨てて知らない人を助ける事が「ヒーロー」であることなのか?それができるのか?と言われたら「それは理想論すぎるし、普通の人間ではできない」と思った。

その人が多分今回の映画を見たらブチギレるだろうなぁと思いながらやりとりしつつも、自分も一回心がへし折られてから「友情」という人の心を理解できたので、この心を理解できることも一つの「成長」なのかもしれない。

せめて創作の中だけでも綺麗事を見させてほしい

前述の通り子ども向けに作っているとだけあって、ストーリーラインとかは結構シンプルだし、なんなら大人からするとパンフレットを見るだけで最後の結末は多分分かってしまう。

でも最後まで見て改めて「やっぱり綺麗事で終わる結末でいい」という感想だった。
この年になるともう親子揃って夕食時や暇な時間はBSの時代劇ばっかり見る。「暴れん坊将軍」とか「隠密奉行朝比奈」とか、最後綺麗に終わってくれる作品は箸を止めずに見ることができる。

もちろん「現実はそんな甘くないと教えるべきだ」と多分レスバした人も言うかもしれないが、過去の逃走中派生作品に関しては
・舞台版→綺麗事で終わっている
・ノベルス版→綺麗事で終わることも多いが作品数が多くなってそうならない回もたまにある
・アニメ版→エリア内ストーリーはちゃんと決着がつくが、逃走中に関しては綺麗事で終わる率は半々(特に主人公の颯也はまだ逃走成功してない)
という感じ。
なにより現実の逃走中、特に先日のFNS逃走中に関してはご存知の通り綺麗事もへったくれもない終わり方したのも相まって、より「こういう結末でいいんだよ」と感じた。

というかこれも何か「まどマギ」以降「予想を裏切るシビアな展開が高評価の必須条件」みたいな風潮になっているような気がする。
一見して普通の作風から「力には代償が伴う」とか、がっこうぐらし!のような「死と隣り合わせの世界観」みたいなのが明かされて「そういう展開とは!」と裏切られて高評価というケースも多い。
もちろん自分も「そして誰もいなくなった」とか「十角館の殺人」とか好きなので「大どんでん返し」が嫌いというわけではないのだが、やっぱりこの年&心1回折れると別に「直球ど真ん中でもいいじゃん」というのが自分の意見である。

「ぼくプリ」感想記事でも書かせてもらったが、脚本を務めたほさかよう氏のパンフレットでの「『キレイ事で収まるか』という所に意地でもおさめる所」という言葉は「大勢の人が見てもらう作品」において結構大事なことだと思う。
見てもらう数の絶対数が多い・対象年齢の低い作品では「予想のつかない裏切りの展開」よりも「直球ど真ん中」の方が受け入れられる確率が高いのではと思った。

逃走中の歴史の一つとして

2004年に「一バラエティ」として始まった逃走中。
そこに「クロノス社」という設定が加わり、それが派生して舞台にノベルスにアニメと広がりそして映画となった。
もちろんこの作品を見て「これは逃走中じゃない」と思う人もいるかもしれないが、やはり自分にとっては「これもまた逃走中の一つの世界線」と受け取った。

「一バラエティ」に設定が加わり、その設定が派生して様々なコンテンツが生まれていく。
かつてのスタッフである高瀬敦也さんが思い描き、現在も挑戦している「1つのIPで多方面な展開を見せる」という例の最適解を逃走中という番組は実現しているのではなかろうか。

そして見ている側にとっても「『金の価値』『名誉の価値』『それでも埋めきれない価値』」というものを一生考え続ける番組でもある。
お金という物は凄い。ただ欲しい物を買えるだけではない。持つだけでそれが「力」となる。その「力」を求め人類は多くの愚行を犯して来た。
それでも尚何故お金を求めるのか。何を求めて逃げるのか。人の欲とは何なのか?
20年見続けて来ても人の行動原理はまだまだ分からないことだらけである。
これからもその戦いを見続けていきたい。

思ったより感想が長引いたのと「アニメが映画から設定を輸入してる」という事例が発生したので当初予定していた「逃走中世界線まとめ」は来月の議題にするとして、やっぱ「逃走中の真理」を少しでも理解するなら見た方がいいと思う。

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