初めての経験

小さな声

社会福祉士の試験に合格してから初めてのこと。

利用者が要望や叶えたい希望があり、それをその方が一刻も早く伝えたいと思うことがあります。それがその人にとってプラスになるかはわかりませんが。たぶん静かなようだが心で声が溢れてたんだと思う。


それは、伝えたいと思う方の中には、普段は自信がなかったりしてあまり自己表現しない人もいるからだ。

そこで、聞く側が手が離せなかったり、あとでとなると、また利用者が自信がない気持ちが強くなり、伝えたかった気持ちは忘れ去られてしまう。そしてそれで利用者のその時の人生が変わってしまうこともある。

だからと言ってその希望を叶えることがその人にとって正しいかはわからないが。

でもその時に初めて支援というものの難しさを知った。支援しようと考えてたら、すでに支援はしてる部分を把握できておらず、次の段階に入っていた。

ここで叫びについて書きたい。

自分ではどうにもならないことがある。ある方との勉強する約束をしていた。その間の講義中は落ちつかなかった。

それをその方は後ろの方で見ていたらしい。講義が終わって走り出した先はトイレだった。トイレのために走っていったんではなくて、心の叫びを落ち着かせたかった。

トイレをして落ち着いてから待ち合わせ場所に向かった。その際に携帯の電池が切れる。

待ち合わせ場所に着くと、すでにその方がおり連絡がつかなかったこととかが原因か怒ってる様子でした。

結局寒いしお腹が空いたからとの理由ですぐにサヨナラした。その後は、小さな声は大きな声となっていって、何も伝えられなくなってしまった。

やっぱり小さな声であっても消化しないと大きな声となり心の内側でループされてしまう。友達であってもそうだよね。たぶん。

だから、何かをしたいという気持ちは大切だし、それを聞く姿勢に入るタイミングも大切だと思う。聴くということはその時点でどう対応するか判断しないといけないと思う。

目的地まで走ってきてさ、聴いてもらう。それで、また今度伝えるってなると、話した相手は歩いて帰るだろう。

それも疲れたことが心に残って、もう聞きにこないかもしれない。

聴いて伝えると、歩いて帰っても、その人が次に伝えたいことが生まれて、また伝えに来てくれるかもしれない。

だから、聴くということは時にどう判断するか瞬時に判断しないといけないこともある。と思いました。


社会福祉士で言うバイスティックの7原則の受容の原則か意図的な感情表現の原則なのかな?もう一度勉強し直そう。

緑黄色社会のShowt Babyを聴いてたら書きたくなりました。