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『ゆるす』という言葉について… (祈り)

久々の投稿だけれど、今日は昔から密かに考えていた『許す』という言葉について、書いてみようと思う。

時々、「誰かがしたことを許す」「あの人を許したい」などと言っているのを見聞きするけれど、ちょっとおかしくないかな… と思うのは、そもそも許すという言葉を発する前提には、
『自分は正しく、相手は間違いを犯している』
という判断(きめつけ)があるわけで。
またそれは、上から目線にも感じるし…( T_T)\(^-^ )

どうしても、私も含めて皆、(人間だから。笑,)自分の考えをいつも中心に置きがちで、それがほとんどの人間関係のトラブルの元になっているのでは。とすら思う。

とは言え、明らかに相手のした言動がどう見ても、誰が見ても、法的にも明らかに悪⤵︎ の場合はあるけれど。
究極の例で、イエス・キリストが十字架にかけられた時に、
『この人たちは何もわかっていないのです。どうか彼らをお許しください。』
そう、神に祈った言葉の中での『許す』という言葉は、私達凡人間の小競り合いとは当然、別次元の話で… ⭐︎

それでは、私達は何か理不尽と感じる出来事に遭遇した時、どのような思い(祈り)をすべきだろう。

まあ、他人はさておき、、

私だったら
「あの人を許せますように」とは祈りたくない。
謙虚さがなく、あまりに傲慢に思えるから。m(_ _)m
神様の前で素の心で手を合わせると、
ごく自然に、この様な感じで祈ると思う。

神様、私は悪かったでしょうか。
このような気持ちにされることを私が何かしたのであれば、お許しください。
どうか、私の目を開いてください。
私が心を開いて、真実を受け入れる気持ちをもてますように。
その勇気をお与えください。
マリア様の愛を私にわけてください。
あの人の心が安らぎ、
魂が癒されます様に。

アーメン


あらら… 今日は久しぶりに軽やかな感じで書こうと思っていたけれど、ずっしり重たい内容に… ★彡
でも、心の整理が出来て良かった ♪

Thank you for reading ♡
Love & Peace ♧

&この場を借りて… 自己紹介(^^)
私自身についてですが、2013年にカトリック教会で洗礼を受けている、クリスチャン名はマリア・テレサです。
近頃はまたしても長い間ミサに行くのをサボっていて、どうかお許し(!) ください…  m(_ _)m ♡ + *



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