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「デジタルミニマリスト」を読んで携帯電話の変遷を振り返ってみる

ジェイです。

早川書房から刊行された「デジタル・ミニマリスト」とうい書籍を読みました。

SNSなど日頃なんとなく使っているサービスやテクノロジーに少々疲弊している面があるなぁと個人的にも感じていたところなので、非常に面白く読み進めています。まだ読了したわけではないので本書の結論が最終的にどうなるのかはわかりませんが、読みながら「スマホと言わず、携帯電話がなかった時代ってどうだっただろう?」ということを思い出しているところです。

歴史を振り返ってみます。

スマホ(初代iPhone)が登場したのが2007年、それ以前、今で言うところのガラケー、なかでも一世を風靡をしたiモードが登場したのが1999年です。僕個人は学生時代にポケベル(先日合同葬が催されていましたね)を持つことがありませんでしたが、初めて携帯電話を手にしたのがiモード以前の東海デジタルホン(後のJ-Phone)の端末でした。大学院時代の1997年、当時の友人が「携帯電話なるものを買いたいと思う。どんなものか分からないから一緒についてきてくれ」というので一緒に近くの店舗を訪問することになりました。僕自身は店舗を訪れるまで全く購入するつもりはなかったのですが、店員さんが想定外に可愛らしく、さらに何度も「バイブ」という言葉を言うのになぜかキュンキュンしてしまい結局友人ではなく僕が携帯を買ってしまったことを覚えています。

なぜ「バイブ」と言う言葉にそこまでキュンキュンしてしまったのかは今となっては謎のままです。

まあとにかく、僕が携帯電話を、つまりどこにいても電話ができる状態になったのは1997年、23歳の頃でした。

共同電話:
それまではどうだったのか。連絡手段は公衆電話、下宿に引いた固定電話、そして下宿にある共同電話でした。固定電話を自室に引くまでは「共同電話」のみが僕個人に連絡ができる手段。僕に連絡を取りたい人はその番号に電話をかけてくることになります。共同電話とは、文字通り下宿に住まう学生たち(この時は1棟に12人)が共通で使う電話で、下宿の外(共有洗濯機が設置されている場所)にあり、リンリン電話が鳴った時に誰か近くにいる人(主に1階の住人)が善意で受話器を取り、該当する学生が住まう部屋のブザーを押すと言うかなりアナログな仕組みでした。

ただでさえだらだらしている学生たちが多い地方国立大学の下宿においてまともに電話応対してくれる人は稀有な存在で、現実的にはほぼ連絡は取れないという代物。仕方なく高い加入権費用を工面して、固定電話を引き格段にQOL(Quality of Life)が向上したことを覚えています。何が言いたいかというと、自宅住まいの人、またはそれなりに裕福な人を除いて、学生たちは連絡手段がほぼないという状況だったのにうまくやっていたんですね。

待ち合わせ:
当時待ち合わせなどはどうでしていましたか。

例えば18時に駅改札で集合という約束で出向いたものの、待てど暮らせど相手がやってこない。今ならLINEでもSMSでも簡単にメッセージを送ることができるので、相手の状況をクリアに確認できますが(ブロックされていたらダメだけど)、当時はこういう時の連絡手段がありませんでした。よって、自分なりに「あと30分待って来なかったら帰ろう」とか何かしらターゲットを決めて待つ、そして駅によって設置されていた「伝言板」にメッセージを書いておくなど、共同電話と同じく非常にアナログな方法のみ有効でした(ポケベル持っている人はもうちょっと違ったんだろうけど)。

あと「待っている間何をしていたのか」です。今だとSNS眺めたり、スマホでゲームしたりして「時間を潰す」のが主流かと思いますが、当時の僕はいつも読書をすることに「時間を使って」いたと思います。この「潰す」と「使う」は同じように時間を過ごしているものの、残るものは大きく異なると思うのです。

登場から10年強で生活には欠かすことができなくなったスマホ。そして簡単に様々なコミュニティさらに世界につながることができるSNS。使い方次第でとても有効ではあるということはユーザーである僕自身もよくわかっているつもりですが、時間を「潰す」ではなく「使う」ことに意識をもっていければと強く心に刻んだ次第です。

駄文ですがちょっと感じたことを自分用の忘備録として。

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