「子供なら変えられる」はヤバイ。


やはり「i」の世界は美しい。

もう自分にとっての「あい」は「愛」でなく「虚数単位の i」でしかない。

実数にはない魅力がつまっておる。実に奥深い世界。

ロックな数学者 : 岡潔師匠がハマった理由がなんとなく分かるような気がする。

ホントかどうか知らないけど、

たしか師匠には統合失調症だった疑惑があって

毎日起きてすぐに「+の日」「-の日」って自分を測定?してたらしく

それによって仕事するかしないか決めてたとか決めなかったとか。

こんなの師匠だったから許されたようなもの。

やっぱり師匠はスケールが違う。




自分は今、すっかり「i」の魅力にハマっているんだけど

ふと

「公式・定理の意味だけを徹底的に教える私塾(プライベートラボ)」

というビジネスが思い浮かんだので書いてみた。

教科は数学だけ。

使う参考書は「学校で使っている教科書」

持参物はノートと筆記用具のみ。

月曜~金曜の夕方だけのオープン

好きな時に好きなだけいれるようにしといて

月額10000円。(小学生は5000円)

叩き込みの受験数学とは完全に真逆を行く

「いかにしてこの公式・定理が生まれたか」を徹底的にかみ砕くことで

数学本来の面白さを提供する。というのがコンセプト。

需要があるのかはさっぱりわからないけど

とりあえず面白そうなので書いてみた。


いや、さっきふと

「1+1=2なのに1×1=1になるのって小学生にどう説明する?」

とか

「2+2=4で2×2=4で同じになるのって小学生にどう説明する?」

とか

「1-1=0なのに1/ 1=1になるのって小学生にどう説明する?」

とか思って。


「四則計算の意味を小学生に説明するときどうするか?」

案外このへんでいきなり壁にぶちあたる子って多いからなーとか思って。




もしもリアルに説明するなら、自分だったら

<足し算>は

例えば自分の手にリンゴを持ってるとして「+」の度に机の上に置いていくとすると

1+1  なら  〇 〇   で 1+1=2

<掛け算>は

同じように手にリンゴを持ってて

1×1  なら  足し算の時と同じで初めの「1」だけ机の上に置く。

そのときを「1という状態」として捉えて

「×」のとき、

さっき机においた「1の状態を何回繰り返すか」を意味する。

んでこの場合「×1」だから

もうすでに机の上には「1の状態が1回繰り返されている」から

手持ちのリンゴを机に置かなくていい。

だから 1×1=1  になる。

2×2なら

最初に机に 〇〇 って2つ置いて

「2の状態を2回繰り返す」んだから、

1×1の時みたいにそのままにはならず、

手に持っているリンゴをさらに2個机の上に置かないと繰り返せないから

机に置いてある「2の状態」をもう一回繰り返すために

自分の手に持ってるリンゴを「2の状態」にして机に置くと

〇〇 〇〇    になるから

2×2=4

これが、2+2=4のときと「結果の数」だけは同じになると。

んで、

<引き算>は

足し算のときと逆で「-」のたびに机のリンゴを取っていく。

1-1なら、はじめの「1」は足し算と同じでリンゴを机に置く。

そのリンゴを1個だけ取るから

1-1=0           机にリンゴがなくなる。

これが

<割り算>になると

1 / 1 なら、まず足し算と同じで机にリンゴを1個置く。

んで、

「/」っていうのは「机の上にあるものを分割したその一つ状態のこと」を表すので

「/1」は 机のリンゴを「1で分割したうちのひとつの状態はどうなってる?」だから

1/ 1  =1             机のリンゴはなくならない。1個ある。

ここで

「先生!そのリンゴ、包丁で6等分すれば6個になりますよ!」って言うのは

分数の話になるので今は一旦置いておいて

例えば 6 / 2 のときだったら最初リンゴ6個置く。

〇 〇 〇 〇 〇 〇

んで「/2」だから机の上のリンゴを2つの状態に分ける(分割する)。

〇○〇   〇〇〇

「この分割したひとつの状態はどうなってる?」だから

ひとつの状態は 〇〇〇  の3個。

だから 6 / 2=3  になる、と。

あー、決まった。これなら分かるでしょー。ガン決まり。






小学校の先生って一応全科目やるけど

先生にも得意不得意あるし、なんせ数学って好きな人間のほうが少ないから

余計に「はい、ここ覚えといてね」で逃げがちになるんだよなー。多分。

んで、今の教科書とか見たことないけど

小学校で英語やらないのに何故か算数で突如あらわれる

謎の点A。

「お前急に現れたけど誰なんだよ?!」ってカンジ。

もうアルファベットとかギリシア文字ぐらいぶっこんでもいいよなー

そしたらαだのβだの急に現れても

「あーアイツかー」ってなるから。

しかし、九九とかやりはじめたらリンゴが81個いるからヤバイ。

八百屋か青果市場にでも行かない限り81個も揃わない。

スーパーのリンゴかき集めてもいいけどドえらい迷惑な話になるしなー。

あと√とかπとかってリンゴじゃ表現できないから別のモノで表現する必要が出てくる。

√は身と皮と種ぐらいに分解して言えなくはないんだろうけど

πはヤバイ。

πなんか超越数っていう一つの概念みたいなもんだからムズイよなー。

まぁ、それはいいとして

あの小学生っていうのは言う事聞かないのがいいんだよなー。

「子供だから変えられる」

なんて幻想を抱いちゃいけないところがあって

自分も過去に小学生だとか幼稚園の皆さんにあれやこれや教えたことあるけど

アイツらは最高に面白い!

あーだこーだ思ったこと好き勝手に言うからリアル聖徳太子になるんだけど

ヤツらは案外根源的なことを聞いてきて納得するまで引き下がらないから

「お、なかなかやりおる」と思うことが結構ある。

そういうのが多分学校とかだと許されなくて

「言う事聞きなさい!」とか先生に怒られたり

「お行儀の悪い子」だとかでレッテル貼られたりするんだろうなーと。

あれって結局先生のエゴで「そうしてほしい」ってだけだから

子供が自分で納得しなければいくら怒ったって無駄なんだよなぁ。

実際自分があれやこれや教えて、

納得した子供って勝手にこっちの言う事聞くようになってた。

怒るとかなかったもんホント。

あと、自分がクソガキだからヤツらの気持ちがよくわかるっていうのが

大きかったのかもしれない。

子供は自分の事分かってくれる人にしか心なんか開かない。

だから大人の世界でいくら偉い人だろうが

子供には違う目で映ってることは多い。

初等教育関係はほんと先生のエゴがヤバイからなー。

先生によって違うとは思うけど、自分が見てきた中では

「子供なら変えられる」って相当思いあがったようなところある人多かった。

変えられるのは「意識と考え方」だけで

子供の元々持っている人格までは絶対に変えることは出来ない。

人格をどういう方向にするか、それは可能だけど

自分のエゴで人格を強制させるっていうのは相当ヤバイ。

子供がー、子供が―、って言ってる人に限って

実は子供を変えられるとかヤバイ発想を持ってることが多いから

ほんとゾッとする。

「子供なら変えられる」はヤバイ。

とりあえず自分は教員免許ないから先生になることはないけど

ちょいちょいヤツらと接するたびに

「あー、コイツは学校では肩身の狭い想いをしているんだろうなー」

と思うことは多い。

そういうときは「愛」じゃなくて「i」をぶっこんでやりたくなるけど

それはただの自分の好みなので封印している。

1度ヤツらの一人がナイス質問してきたので

「うぉぉぉ。そこ聞いてくんの?最高じゃん!」とかテンション爆上がりして

死ぬほど分かりやすくロック魂で説明したら

ヤツらドン引きしてたもんなー。

「・・あの人そこまで説明すんの?もう分かった!ほんと分かったから!」

みたいな。

だからあんまりかみ砕きすぎてもダメだとその時知った。

バランスは大事、と。

いやー、あの子相当面白かったんだよなー、元気かなー。






拙い文章お読みいただきありがとうございました。





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