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スウェーデン望郷録㉕:北でいただいたもの

ども、青いヤギです。

帰国して二日目。
これを執筆している時刻は3:41、スウェーデン時間だろ21:41。

そう、時差ボケです…つД`)・゚・。・゚・。

一通り勉強を終え、2:00にはベッドに着いたのですが、なかなか寝付けず…

寝ようとして羊…ではなく11の倍数を数えていたら、ふと大切なことが脳裏をよぎった気がしたので、忘れいないようPCにメモをとっているのがいま。
(余計寝られなくなるので、PCの画面なんて見たくないのですが…それだけ大切だったということです)

おそらく投稿は日の出後になっているかと思いますが、こういう悪ガキみたいなこともしているのだと、いつかの自分に気づいてもらえたらと思います。

※スウェーデンで感じた真面目パートは、いつかの回にお預けです。楽しみにしていた方、申し訳ありませんm(_ _)m
必ず執筆するので、その時まで生暖かい目で見守っていただけたら幸いです。


ところどころ感じる、向こうとこっちの良さ

帰国して二日が経過。
すでに向こうのよかったもの、こっちのいいものがたくさん感じます。

スウェーデンの良さ


・清潔感
これは日本は劣っていうというわけではありません。
ただ日本と同じくらい綺麗だな、その清潔感のおかげで交通に不便なく暮らせたのだなと思いました。
同時にこういう大事だけど見えないものに気づけたことに、
少し嬉しさを感じました。

・電車の中の過ごし方
日本の電車は、基本的に喋ることなく一人で過ごします。
スウェーデンの電車は喋りも飲食もOK。
なんならペットの乗車大歓迎です(大型犬が普通に入ってきます、結構びっくり)
さすがにバーガーキングとか食べられると嫌悪感を感じますが、車内は基本快適。
そして、この一人の時間の過ごし方がどこか優雅です。
本を読んでいたり、窓を眺めて何か考えていたり。
自分と向き合う時間を作っているという印象でした。

一方日本は、スマホをひたすら眺める人の大名行列。
悪いことではありませんが、「とりあえず画面を見て自分の世界に入ろう」という風にみえ、話しづらい距離感を覚えます。
それが少し寂しくなったり。
(ヤギはkindleを開くようになりました、少しでも自分が満足する時間になるように、と思いつつ、どこか日本人です…トホホ)

・木々に覆われた落ち着いた空間。
スウェーデンは大都市でもどこかしらに木々が見えます。
一方東京は、なんだかコンクリートがゴツゴツしていて、砂漠のような痛々しさがあります。
街路樹も少し寂しそう。
…冬ですね( ー̀ωー́ )

日本の良さ

・日本人の舌に合う食事
やっぱり母国の料理は本当に美味しいです。
不思議と便の調子も良くなった気がします。
特にカップ麺はマジで革命的だなと改めて思いました。
あれが海外では評価されないのか…
不思議な気分です…
おそらく日本で中華を食べる中国人、ソーセージを食べるドイツ人、ナポリタンを食べるイタリア人は同じようなことを思うのでしょうね…。

・日照時間
目が覚めたら陽の光に包まれていた…
こんな光景、久しくなかったです笑
おかげで午前中からめちゃくちゃ元気が出ました
(そして時差ぼけで午後にぶっ倒れました…(´;ω;`))
帰国直前は、吸血鬼みたいに陽の光を嫌い、
「逃げるな〜〜〜!!!卑怯者〜〜〜!!!」
と叫ばれるのではと不安でしたがそんなことはありませんでした。
最高の目覚めをいただきました、ありがとうございます。

こんな感じでしょうか…( ー̀ωー́ )
他にもスウェーデンで感じた日本の良さなどありますが、それはおいおい書いていこうと思います。

スウェーデンで学んだもの

いじっぱりな虚栄

本題に入るのですが、少し昔話にお付き合いください。

スウェーデンに行くまでの自分は、何かと去勢を張ることが多かったです。
「スウェーデンに行くんだ」
「向こうで働いて特別な経験をしてくるんだ」
その他もろもろ。

とにかく、自分を強く見せようと必死だった気がします。
有言実行できたものもありますが、うまく実行できず中身がすっからかんのものそれなりに…。

スウェーデンに来るまでの数年間、そして来てからも、
なんで見栄だけ張るんだろうとずっと悩んでいました。

理由は明確、いま目先のやるべき集中できていないから。
頭ではわかっています。
ただどうしても、心から納得することができませんでした。

また親や、自分のことを真剣に見てくれたバイト先の女将さんにも、
よく言われていました
「詰めが甘い」と。

それも心までは理解できないことがしばしば。
きっと、「なんとかできてるし」と舐めてかかってたからでしょう。
自分でも言語化できないほど、心の深いどこかで。

そうやって、見栄と去勢を張る。
そうすれば大半の人は納得してもらえる。
大半の人、は…。
そういう舐め切った自分が、心のどこかですくんでいて、
たまにその力を借りていたんだと思います。


ひび割れる殻

スウェーデンに来ても、その症状はしばらく続いていました。
なんたって、周りの日本人があまり行かない国に行けるのはすごいことだし、
新天地を回るのは純粋に楽しかったからです。

しかし、ある程度いろんな街を巡って、落ち着いた頃。
この虚栄にもガタが来はじめます。

それは帰国まで数週間に差し迫った、ストックホルムでのある日。
前の記事で載せた、ウクライナ出身の人にインタビューした時のことです。

記事にも書いたように、アルセニーさんの話はとにかく熱がこもっていて、
勇気をもらえるものがたくさんありました。
一方彼から質問を受けたときの返答は結構ぎこちない…
理論を整えようと言葉を探すのに必死、最終的に出る言葉は抽象的なものばかり。
(それを最後まで聞いてくれるのも、彼の優しさでした…)
虚栄なんて張る余裕もありません(張るつもりもありませんでしたが)。

でもたまに僕が変な質問を投げると、向こうもぎこちなくなることがあります。
今まで自信に満ちた口調から一変して、抽象的な言葉やあやふやな発言が増えるのが肌でわかります。

ふとこの時、疑問に思います。

果たして言葉が抽象的だから、ぎこちないのだろうか…
抽象的だからというわけではなく、
「わからないこと」を「抽象的な言葉でぼかそうとする」
から、ぎこちなくなるのではないか…

脳裏によぎったのは父の姿。
彼はどんなに抽象的な言葉でも、自信と信念を持って発信します。
高校1年の時、私にSDGsを語っていた時なんかは、
大人なのに子供のようにキラキラと語っていたのを今でも覚えています。
そうした純粋な父に対して、時に反抗的に、
特に虚栄を張りつつも、敬意を抱いて接してきました。

父ができて、インタビューしたアルセニーさんと自分にできないのなぜか…
そしてこれまで自分が接してきた、すげえやつはなぜすげえのか…

なんだか、とてもシンプルだった気がします。
抽象的な言葉というのは、その言葉の背景を感じられて初めて意味を帯びるものだから

換言すると
わかりやすい言葉は、努力を続けることで初めて説得力を持つから
そしてヤギは、まだそれだけの努力・経験が足りていない。

未熟者、ということです。

でも昔の自分は、自分が未熟だと知らずに、
文面や知らない人に対して、見栄を張っていた気がします。

どうに、ピキッという音が、体のどこかでした気がします。
虚栄という殻に、ようやくヒビが入ったと感じさせるくらい、
私にとって納得する結論でした。


短所と向き合う、悩める親友

もう一つ、自分にとって大きな出会いだった人がいます。
それは高校の同期で、当時からずっと尊敬している子です。

僕と彼女は同時期にnoteをはじめたということもあり、
よくお互いにやりとりしていました。
電話で話すこともしばしば。
(もちろんフラグなんて立ちません、ご安心を)

そんな彼女がすごいのは、自分の短所と素直の向き合い、
それをnoteで公表にしていること。
本人が嫌だなと思うことも、分け隔てなく言葉にし、
それと向き合おうとしています。
途中うまくいかないこともあったりとのことですが、
弱さを認める術を知らなかった自分にとっては、
間違いなく勇気をくれた存在です。
虚栄を張っていた自分より、よっぽどかっこいいです。

彼女の記録を通して、
虚栄を張ることが自分を蝕むんでいたことに、
そして未熟な自分を受け入れることの大切さを、
教えてもらえた気がします。

これまでと変わらず尊敬し続けるし、ずっと仲良くしていたい存在です。
note書き続けてくれて、ほんとうにありがと。


優しさの一つのかたち

自分の弱さ…
それは「わからない」ことをぼかそうとすること。
会話の中では「それっぽく見せよう」とごまかし、
ボロを出すことが何度もありました。
「わからない」を「わかるつもり」でいたのでしょう。
そして「わからない、なんてわからない」
と自分にわがままを言っていたのだと思います。


でも本音は逆だったのでしょうね。


わからない自分を認めてあげる。
むしろ「わからない」があるからこそ、好奇心がそそられるし、
他人のことにもをもっと理解しようと頑張れる。

アルセニーさんと親友、二つのエピソードを通して自分はようやく

「自分は世界について無知である。
もっと識(し)るために、目標に向かって走り続ける。
抽象的なことを口にする暇があるなら。」

それに気づけたのも、本当につい最近のことです…

そしてこれに気づけたおかげで…なんだか、今までより優しくなれた気がします。

旅行の中でそれに気づけた自分、
そしてそこまで導いてくれた
これまで出会ってきた皆さんに、本当に感謝です。
ありがとうございます。


今の目標は、スウェーデンに戻ることそれだけ。


そのためだけに、残りわずかな時間を費やしていこうと思います。


おまけ:最終日のストックホルム

そういえば、渡航最終日のストックホルムがとても幻想的だったので、それを共有しますね。


お天道様が顔を出しているのに、粉雪が宙を舞う幻想的な天気でした。
最終日に、晴れかつ雪、という美しい天気に巡り会えるとは…
なんだか幸せでした。

この国に戻りたいという決心が、また一つ増えました。

スウェーデン、観光で赴くにはとっても素敵な場所です。
(滞在は相応の覚悟が入ります…笑)

なので機会があれば、ぜひ行ってみてください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
今度は13の倍数でも数えながら寝ようと思います…

ではでは

最終日のアーランだ空港。またこの地に戻って来れるように。







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