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スウェーデン備忘録㉒:ウクライナ出身の人にインタビューしてみた

ども、青いヤギです。
ストックホルムは雪に包まれ、外に出るのも億劫な時期になってきました。

気温は氷点下を越えればいい方…

そして日照時間はこちら!

日照時間7時間未満…
もう…アホです(´・ω・`)

太陽さん、社会福祉国家とはいえ、17時間睡眠は体に毒ですって…



今回はホステルで知り合ったウクライナの方にお話を聞くことができたので、インタビュー形式で紹介していこうと思います。

現場で感じたウクライナ紛争の様子を、少しでも皆さんの共有できたら幸いです。

※本人から執筆の許可および添削を受けたうえで投稿しています。
また、今回は史実の情報をはじめ、「ウクライナ側」に偏りのある情報が多く提供されています。そのため、より精密な審議が気になる方は、恐れ入りますが、ご自身の手で調べてみることを推奨します。あくまで「数ある情報の中の一片」として読んでいただければと思います。


実際のインタビュー

◇まさに歴史の教科書の出来事が起きた◇

「開戦直後は…もう混沌としていたよ。もうパニックで本当に何をすればいいかわからなかった。」

一緒のホステルで生活していたアルセニーさんは淡々と語り始めました。
ウクライナのドネツク出身で、高度なプログラミング技術を持つアルセニーさん。
普段はキッチンでワッフルやアップルパイを作る可愛らしい一面もありますが、この時の眼差しは真剣そのものでした。

アルセニーさん
「まるで歴史の教科書の事実を体感しているようだったよ。
そこに書かれていることって、どこか他人事に見えるじゃない。
ふ〜ん、そんなことあったんだ、と。
それが目の前で起きているんだ、信じられなかったよ。
それに経緯も第二次世界大戦(以降WW2)と酷似していたしね。」


「似ている、というのは」

アルセニーさん
「WW2の発端は、ナチス・ドイツのポーランド侵攻じゃない。あれって「ポーランド国内ドイツ人が差別を受けている」ていうヒトラーのでっちあげから始まったじゃない。今回もそう。プーチンが「東部のロシア人が弾圧を受けている。彼らを守るために他に方法がなかった」と信憑性に欠ける声明を出した。こうした民族保護の視点ですごく似ているんだよ。」


「外交政策以外にも、そうした共通点があったんですね。」

アルセニーさん
「衝撃的だった。でも1ヶ月近く経っても戦況があまり変化していないのをみて、少しずつ希望が持てるようになったんだ。そして象徴的だったのが、第2の都市キルハウからロシア軍を撤退させたことだよ。」


ウクライナ紛争開戦直後と開戦1ヶ月後の勢力図。
侵攻はあるものの、想定よりかな遅かったとのこと
(参考:Ukraine Interactive Map


「なぜ、そこまで象徴的だったのですか。」

アルセニーさん
「この奪還はウクライナの攻撃的な戦略が成功した初めての事例なんだ。これまでの攻防戦は防衛のため、守ることに神経を注いでいたんだ。3月にロシア軍が北部3都市から撤退した時も、ロシア側の供給不足で勝手に撤退したようなものだったんだ。」

2022年3月25日の戦況(参考:AFP News Agency
2022年4月6日の戦況。北部からロシア軍が撤退していることが窺える(参考:AFP News Agency


「なるほど」

アルセニーさん
「そして9月に起きたのがロシア軍のハルキウ地方からの撤退。この時は彼らの物資不足ではなく、ウクライナが攻撃作戦が始め、周辺の村を奪還。ついにはロシア軍の国境付近まで後退させたんだ!」


「劇的な勝利だったわけですね」

アルセニーさん
「そこからは、南部ヘルソン地方でロシアの物資輸送の遮断に成功、もう勢いに乗ったね。開戦当初からではあったけど、絶対にロシアに負けないって意思がより強固になったよ。」


◇ロシアに反対する背景◇


「キルハウの奪還が、ウクライナとしての結束をさらに深めたのですね」

アルセニーさん
「戦争が、というわけではないよ。政治的にも歴史的にも、ウクライナとロシアは別々の国で、ロシアに従いたくないという考えは強かったよ。」


「歴史的、というのは」

アルセニーさん
「ロシアとウクラインの領土には、9世紀前半に「キエフ大公国」という国があったんだ。
キエフだけでなく、今のサンクトペテルブルクやモスクワも領土に含まれていた。
その後12世紀に入ると、モンゴルの侵入があり、キエフ公国は滅びるんだけど、
この時ウクライナとロシアに分裂したんだよ(詳細は参考情報へ)。
この時からウクライナと呼ばれるようになっていったんだ。
そしてモスクワ側がロシア自分たちをロシアと呼び始めたのは14世紀頃。
つまり史実から見れば、僕たちは全く違う分類なんだ。」


「ウクライナの方が先に名前が出てきたというのは、驚きでした。」

アルセニーさん
「政治的に見ても、僕たちはロシアを支持しているわけではない。
ウクライナ国会って400議席あるんだけど、その内親ロシア派を主張するのは13%。一応、ロシアに服従しようという姿勢ではなく、あくまで協調路線ね。
加えて、僕の出身のドネツクでも、ウクライナよりもロシアを支持する人はほとんどいない。」


「ミンスク合意では、住民投票でロシア側につくことが可決されたって読んだとことあるけど」

アルセニーさん
「結果としてはね。
でも現地の住民でロシアを本当に支持している人はほとんどいないよ。」


「そうだったんですね。」

アルセニーさん
「そう。だからプーチンが「ウクライナはロシアにろうとしている」ていう声明もあるんだけれど、あれも全てでっち上げなんだ。僕たちとしては、ウクライナ人として暮らしていたいと思っているよ。」


◇いつ電力が断たれるかわからない不安◇


「それだけロシアのことを嫌っていたら、ウクライナ国内でロシアのことを簡単には話せないのでは」

アルセニーさん
「そんなことはないよ。文化の面に関しては寛容だよ。
以前、親戚のロシア人が
「ウクライナに行ったら皆自分のことを嫌うのでは」
と心配していたけどそれは誤解だよ。キエフでもドネツクでも、ロシア語とウクライナ語、どっちを話してもOKだよ。」


「そうだったんですね」

アルセニーさん
「ただ今回の戦争で考えがガラリと変わったね。ロシア政治に対する不満から、
ロシア国民そのものに対する不満が大きくなった。」


「国内での生活も苦しくなっていることも起因しているのでしょうね。
失礼ですが、現時点でのウクライナの生活状況について聞いてもいいですか。」

アルセニーさん
「国境付近をはじめとする戦線地域以外は、基本的に不足に困ることはないね。
ただ一番怖いのはロシアからのミサイル攻撃。
この時期は地域にもよるけど、基本的に氷点下になるほど寒い。
暖房が必須というわけだ。
そんな中、ロシアに発電所を攻撃されて電力供給がストップしたら…生活が苦しくなるのは想像に難くない。」


「いつ来るかわからないミサイルに不安になりながらの生活…相当のストレスですね。」

アルセニーさん
「そうだね。一刻も早く戦争を終えてほしいよ。今でも核兵器を持っていたら、こうしたことはなかったんだろうなと思う。」


「(…少しズキっとくるヤギ)核兵器ですか…そういえば、ウクライナは現在核兵器を持っていないですよね。」

アルセニーさん
「そうだね。独立した直後のいウクライナは、世界で3番目に大きい核保有国だったんだ。その後、核拡散防止条約に加盟するにあたって核を放棄したんだ。この時、ロシア、アメリカ、イギリスと「核を放棄する代わりに、ウクライナの統一政権と国境の不可侵」を約束する議定書が定められた。ここに「国境の不可侵」と書かれているんだ。でも結果として、クリミア、ドンバス地方、そして今回の紛争と、プーチンは約束を守らずに着々と侵攻している…呆れるよ。」


◇深まることを知らない溝と…◇


「最後に、今後の展望についてよければお聞きしたいです。」

アルセニーさん
「まずは、この戦争がすぐに終わることを祈るばかりだよ。そしてロシア側には、これ以上武力行使ができないよう、強力な制裁を課すべきだと考えている。」


「より強行的な措置をとってほしいわけですね。」

アルセニーさん
「最初はゼレンスキーも、平和的なアプローチを考えていた。
しかしロシアがこれまで何度も議定書や条約を破ったことを考慮すると、
いつ同じことを繰り返すかわからない。
だからより強い措置を取らないと自分たちの国を守れないんだ。
もしプーチンが脱却し、かつロシアの政治体制もガラリと変わるのであれば、
平和的解決も考えなくはない。
ただ今、現状は不可能だし、したくないね。」


「もしかしたら、戦後の日本にGHQが介入したように、システムそのものから変える必要があるのかもしれませんね。」

アルセニーさん
「そうかもしれないね。同時にこの戦争で生まれたロシアとの溝は、10年かかっても治るのは難しいのではと考えているよ。」


「具体的に教えてもらってもいいですか。」

アルセニーさん
「戦争前までは、ウクライナの人が嫌うのはあくまでロシアの政治体制であって、
ロシア国民を批判するわけではなかったんだ。でも今回の戦争で、そのヘイトがロシア国民にもむかってしまった。事実、多くのウクライナ人がロシア人に対して何かしらの負の感情を持っている。」


「戦争の被害を被ると、そうなってしまいますよね。」

アルセニーさん
「都市にまで爆撃を仕掛けるのは悪手だったね。
都市への攻撃を始めたことで、ロシアに対する不満が大きくなり、
積極的に戦争を支持するようになった。
おかげで税収に関係なく、多くの寄付金がウクライナ軍に送られているくらいだよ。

少し話はズレるけど、日本もウクライナへいろんな支援をしてくれたよね。本当にありがとうね」


「(びっくりするヤギ)
いえいえ、あれはたしか財政支援、物資をはじめとした人道支援がメインで、他国に比べ小規模だったのでは…」

アルセニーさん
「だからこそ助けられたんだよ、多くの国は武器や兵器などの軍事的支援がメインだったけど、最初に人道支援を行なったのは日本だと覚えているよ。
生活面を支えてくれた、という面で心から感謝しているよ。本当にありがとね。」


「…国際世論からは批判の目が多かったと覚えているので、本当に嬉しい限りです。こちらこそ、ありがとうございます…。」

アルセニーさん
「(真摯に受け入れるアルセニーさん)。
ところで日本について質問なんだけど…(他愛もない雑談が続く)」


インタビューを通して

まず、私の素朴な疑問から、2日にわたってインタビューに応じてくれたアルセニーさんに、改めて感謝申し上げます。

インタビューを通して感じた感じたとして、

◇決して他人事ではないと、歴史を振り返り実感◇

今回のインタビューは、戦争の過酷さや敵国同士の理解の難しさ、核兵器の影響力に触れてきました。
こうした情報を理解する上で、歴史の知識に助けられたことがいくつもありました。
例えば、戦争後の動きについて。
ロシアのウクライナに対する執着を取り除くことは、日本の戦後処理に似たような抜本的な改革がないと難しいのではと感じました。

WW2の時の日本は、軍事政権化であり、天皇を絶対的存在として信奉していました。
その体制が戦後になって大きく崩れたのは、やはりGHQの介入が大きいと思われます。
特に天皇の地位が大きく変わったことは、当時の国民にとっては相当大きなものだったと思います。
私の祖父は戦争を生き残った人でしたが、天皇の地位が大きく変わったことでその後の人生が大きく転換したそうです。

またアルセニーさんもおっしゃるように、ロシアとウクライナの間には、歴史的に大きな亀裂があります。

詳細は割愛しますが、明確な解釈の違いは17世紀まで遡れるとのこと。
キエフ公国がモンゴルに敗れたのち、当時でいうウクライナとロシア(ハールチ・ボルイニ公国とモスクワ公国)は、どちらが正当な後継国であるか議論していました。
他国の干渉により国家としての成立が難しいハールチ・ボルイニ公国と、モンゴルに従うことで着々と勢力をつけるモスクワ公国。
次第にモスクワの方が優位な立場を築くようになります。
そして、1667年にハールチ・ボルイニ公国はモスクワ公国に忠誠を誓います。
しかし、自治権のあり方をめぐて両者は合意できずじまい。
そこから、両国の亀裂は深まったと言われています(コテンラジオより)。

そして開戦直後にも物議を醸したものですが、日本もロシアと北方領土に関しては合意ができていない状況です。

私たちは戦地に赴いていないため、100%の共感をすることは不可能です。
でも、少しでも理解を深める、同意して寄り添うことができる。
それを手助けしてくれるのが、歴史なのだなと、今回のインタビューで強く感じました。


◇数字からは貰いきれない勇気と自信◇

開戦直後は、両国の圧倒的な戦力差から結果は目に見えていると感じていました。
しかしアルセニーさんは、圧倒的戦力差でも負けを確信したことはなかったそうです。

事実、これまでに多くの都市を奪還しています。

そしてその出来事を、真剣な眼差しで話してくれるアルセニーさん。
それは勝利を確信しているものでした。

逆境に立たされたからといって、諦める、逃げるだけは手段ではないのだなと、強く感じました。
もちろん、全てに対して、ヤケクソになっていいわけではありません。

でもどんな逆境でも、一筋の光を照らす「勝ち方」は存在するのだと、感じさせる瞬間でした。


◇パンドラの残した希望◇

前回の記事でも書きましたが、
ここ最近はやたらとこうした軍事関連の話題に
触れることが多いです。

その中で、自分の考えの甘さも痛感します。
今回のインタビューの中でも、
「もしかしたら平和的に解決するのでは」
ではと、淡い妄想を抱いている瞬間もありました。

しかし実際に話を聞いてみると、日本で暮らすだけでは想像できないほど、
深い溝があること。
そしてそれが今もありふれていることを感じ、
少なからず悲しい気持ちになります。

でも同時に、打ちひしがれることだけが選択肢ではないのだなと感じます。
私には私なりにできることがある、そしてそれを少なからず誰かに届けられるのでは、と改めて実感しました。


古代ギリシャから言われているように、
パンドラは禁忌の箱を開けて世界中に不幸をばら撒いてしまった。
そして、箱の中に唯一残ったのが「希望」
故に、人は不幸に負けることなく、希望を探す旅をしなければいけない。


…本当に、よく言ったものですw

どういう風に、と言われるとうまく表現できませんが、

どこか強くなれた

そういう気持ちになりました。

「日本では感じられない争いの足跡」を感じらる。
インタビューを通して、旅をして本当に良かったと心から感じた瞬間でした。



今回はこの辺で失礼します。
拙い文章が長々と続いていまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

次回の投稿も楽しみにしていただけたらと思います(๑•̀ •́)و✧

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