ピンチは突然に

 ドラマのタイトルの通り、「ラブストーリーは突然に」来ることがあるそうだが、ピンチはもっと突然にやってくる。
 夫不在のある火曜日の朝、ひなちゃんの元気がなかった。ミルクは飲むけれど、あまり泣かずすぐに眠り込んでしまうことが続いた。
普段午前中は起きて
「わーわー」
騒いでいることが多かっただけに、心配になった。
大丈夫とは思ったが、念のためかかりつけの小児科に電話をすると、外来の看護師さんが出てくれた。
看護師さんからは熱はあるか、呼吸状態はいつも通りか、顔色はどうかとひなちゃんの状態に関するいくつかの質問をされた。
私は自分が全盲であることを説明し、顔色がわからないことを伝えた。
看護師さんは、
「診察いたしますので、お越しください。ただ先生は1時間後に出張で出られます。1時間以内に来られますか?」
と尋ねられた。
私は一瞬言葉に詰まった。その日ひなちゃんを連れて行けるのは私一人だったからだ。急すぎて同行援護(移動支援のヘルパー)も頼めない。
さらに今までひなちゃんを一人で連れ出したこともなかった。しかもこの日は、大雨が降っていた。
病院までは徒歩10分であるものの、これからひなちゃんと私の出かける準備をし、1時間以内に診察室前に着いておける自信はなかった。しかし迷っていられない。
「なんとかして行きます」
と私は答え、電話を切った。
服を着替え、おむつ替えをしコートを着せ、財布・携帯、ひなちゃんのおしりふきやおむつ・おくるみ・診察券・母子手帳・お薬手帳をリュックに放り込んだ。そしてだっこひもにひなちゃんを押し入れ、前に抱え後ろにはリュックを背負い右手には白杖、左手に傘を持ち出発した。
歩道に出ると、雨で周囲の音がかき消され真っすぐ歩くことはいつも以上に難しかった。さらに、5キロ近いひなちゃんを抱えているため、重心が前に傾きなんだか歩きづらい。
いつもは前を夫が先導し、夫のリュックにつかまって歩けばよいが、今回は一人で進む方向も確認しなければならなかった。またいくつか生えている電信柱やポールにもひなちゃんの頭をぶつけないよう注意を払いつつ白杖をいつもより大きく振って歩く必要があった。
ただ子供を連れて近所の病院に行くだけだが、ハードなミッションに取り掛かっているような気すらした。バックミュージックをつけるなら絶対に、情熱大陸のテーマソングがいい。そんなどちらでもいいようなことを考えながら、ゆっくりではあるが病院にじわじわ近づいて行った。
最後の難所は大小数本の道が複雑に交わる交差点だ。信号も短い上、交差点を斜めに渡らなければならなかった。
一人であれば多少策やポールにぶつかりそうになりながらも勢いで渡りきることができる。しかし今回はひなちゃんがいる。
安全第一ということで、周囲の人に声をかけ一緒に渡ってもらうことにした。
「すみません。ちょっといいですか?」
と近づいてくる足音に声をかけた。
しかし、今日は雨だ。もともと予想はしていたが、止まってくれる人は少ない。
ちょっとずうずうしいがなるべく歩いている人に接近し、傘も傾けて声をかけた。すると5人目ぐらいの通行人Aが
「どうしたん?」
と止まってくれた。
気の良さそうな大阪のおばちゃんといった感じの声だった。
「一緒にここの交差点を渡っていただけないですか?今日は雨で渡りにくくて」
と説明すると
「ああ、行ったるわ。」
と快く引き受けてくれた。
おばちゃんは信号が青になると、私の手を取り、一緒に渡ってくれた。
「どこまで行くん?」
と言われ、病院に行きたいことを伝えると、
「ついでやカラそこまで行くわ。」
と言い案内してくれた。本当に助かった。
病院までの道すがら、
「えー?まま一人で赤ちゃん連れてんの!大変やなあ。
交差点のとこな、あれもっとでかい声で言わなあかんで!困ってんのかようわからへんで!みんな助けてくれるねんから!」
と大阪らしい暖かいアドバイスをしてくれた。
私としてはかなり大きな声を出していたつもりであったが、雨や車の騒音でかき消されていたようだった。
「はい。次はもっと大きな声で言います。ありがとうございました。本当に助かりました。」
とお礼を言いながら歩くうち、病院の前に着いた。
「まま頑張ってや!!!」
とおばちゃんは言いながら私の肩をポンポンたたき、颯爽と歩いて行った。なんだか多量のエネルギーを注入されたような気がした。
 病院の入り口に着くと警備員さんが私を見つけ速やかに案内してくれた。外来の看護師さんは私が来ることを受付に伝えておいてくれたようだった。
 いざ診察になると、これまで眠り込んでいたひなちゃんが
「ふわー」
と大きなあくびとともに目覚め、
「あうー、わうー、きゃっきゃ!」
と突然元気に騒ぎ始めた。先生も
「今のところ特に異常はないですよ。体もしっかりしてきたね。」
と言ってくれた。そして来たついでにと体重を測り帰ることとなった。
体重は四日前にあった助産師さん訪問の時よりも200グラム増えていた。
 帰りは、少しごねて交差点を渡るところまで病院の警備員さんに送ってもらった。
たくさんの人々の優しさを実感するとともに、自分自身の度胸と根性を試される火曜日となった。

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