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#3 私が京都サンガとガンバ大阪を並行して応援するようになったきっかけ〜というテーマで書き始めた結果、最終的にファンの生態とはなんぞや、多分一種の病気だと思うの、っていう結論に辿り着いたnote〜

人生でドリンクバーを使う事って多いと思うんですよ。

実は私、密かにこだわり的なものがあったんですよね。


1杯目は絶対コーラっていう。


クッソどうでもいいでしょう?
どうでもよすぎるんですよ、このこだわり。

結局、あまりにどうでもよすぎて気が付いてたら無くなってましたこのこだわり。
今ドリンクバー頼んでnote書いてますけど、ゴリゴリ1杯目からコーヒー飲んでます。


ごめんなさい、クソみたいな始め方してしまって。



でも、人間って結局こだわりは割とどうでもいい事が多くて、きっかけは割とすごく単純だったりしますよね。少し、いや非常に繋ぎ方に無理がありましたが今回のテーマは「きっかけ」についてです。


きっかけ

〘名〙 物事のはじまり。きっかけ。(広辞苑より)


過去の2回のnoteでも、メインのはてなブログの方でも度々書いている…ってかはてなブログに関しては半分それありきでやっていますが、私はJリーグで好きなチームを挙げろと言われればガンバ大阪、そして京都サンガFC…この2チームの名前を挙げます。

https://www.rrr3k.com

サッカーを始めたのも見始めたのも2005年。ガンバもサンガもほぼほぼ同時期に応援するようになりました。
中には「どっちかに絞れやー!」という方もいるでしょうが、Jリーグファンの中には複数チーム応援している方も多い事でしょう。ただ、それぞれのチームを応援する理由、応援するに至ったきっかけは似ていたとしてもきっとそれぞれ違うはず。今回のnote、初めてnoteらしいnoteを書く今回は

「なぜ私がガンバファンになったか」

「なぜ私がサンガファンになったか」


の二本立てでお送りさせて頂きます。

クッソ関係ない話を急にぶっ込みますがB'zで一番好きなのは「love me,I love you」です。

一応私、出身は京都と言っています。実際今も住んでいますし、元々母もずっと京都で育ってますし関西の血で生きてるんですね。ただ、幼稚園に関しては父の仕事の都合で京都じゃない…なんなら関西じゃないところに住んでいたんです。幼稚園を卒園し、小学校に入学する…というタイミングで京都に戻る事になりました。
幼稚園を過ごした土地はサッカーよりも圧倒的に野球のシェアが強く、母曰く幼稚園時代の友人は大体みんな小学校で野球の道に進んだらしく。かつて母は「もし京都に戻ってなかったら多分あんたは野球やってたと思う」とすら言っていたので、………まぁ、実際阪神ファンですし、小学校の時にサッカー部の面子で草野球の真似事みたいな事もしてた(ちなみに鳥谷敬に憧れてショートやってた)くらいには野球は野球で大好きですが、今のように「ガンバァァァァァァ」「サンガァァァァァァァ」…ってなるような状態に至った一つの転機は間違いなく京都に流れ着いたこの6〜7歳期が一つのポイントでした。


父も母もスポーツ観戦は好きなタイプの人間で、父はスポーツ観戦は於いてはかなり多趣味な人間でした。母も母でのめり込んで見るほどでは無くても日本代表戦は欠かさず観ていました。その頃のサッカー界といえば2002年の日韓ワールドカップでサッカー熱がグンと高まり、2004年のアジアカップ優勝、ジーコジャパンに於ける「黄金の中盤」みたいなキャッチーなフレーズでサッカー人気がかなり高まっていた頃です。

小学校1年の時は主に遊具中心の休み時間を展開していた私でしたが、小2くらいからは主にドッジボールかサッカーに興じるようになりました。小学生が休み時間にボールを使うとなったら大体この2つ。それと同時に父が持っていたサッカーゲームを(無断で)いじるようになったり、徐々にサッカーに興味を持つようになったのです。

そんな折に届いたのが「京都パープルサンガ無料招待券」でした。実は前年も同じ招待券でサンガの試合を観に行ってはいたのですが、当時は全くもって興味が無く試合中にいとこと「とっとこハム太郎」のゲームボーイで遊ぶ始末…。ただ、この時は自分で興味を持ち、自分の意思で積極的に行きたいと思ったのでしょう。2005年5月28日の事でした。初めてのサッカー観戦じゃないけど、自分の意思としての初めてのサッカー観戦がこの時の京都パープルサンガvs湘南ベルマーレ戦です。
この年のサンガは柱谷幸一監督の下でJ2では圧倒的な強さを見せていました。この試合を機に私は自分の意思でサンガを追うようになり、日本代表戦がある度に時間とチャンネルを合わせるようになり。この時はなんというか…サッカーを好きになりつつある自分とサンガ、そして仲の良かった友人がサッカー部に多くいたという環境が上手くクロスしました。実際、この時のサッカー部って異様なまでに皆サンガ観てましたからね。サンガがこの年は強かったのもあるでしょうけど……どれぐらいかって、サッカー部の中で「アレモン派」「パウリーニョ派」ってなってたくらい。

…ですので、多分自分にとってサンガを好きになる事、応援する事になるのは運命的な出会いというよりは凄く自然な成り行きで、京都に引っ越してきた時点で多分遅かれ早かれそうなっていたと思います。だから私は勝手ではありますが……サンガはある種、自分の中で「親戚」のような立ち位置で観ているんだと思うようになりました。
だからこそ、多分「心を奪われる」だとかそういう意味で好きになったのはガンバの方が当てはまるんですが、去年までのサンガのホームスタジアムである西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場(たけびしスタジアム京都)は家から自転車でも行ける距離にあって足繁く通っていて、そこをキーポイントにその後、自分自身サッカーを始めるようになった……自分のサッカーに於けるルーツを辿るとすればそれは間違いなくサンガであり、これからどれだけ素晴らしいスタジアムを巡ろうとも、たとえ素晴らしいスタジアムかと聞かれればそうでは無いかもしれないけれど、私のサッカーの原点は確かに西京極にありました。

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話はまた2005年の6月に戻ります。
少しずつサッカーを覚え始めた私は日本代表戦を観るようになりました。あの時は父や母の方がサッカーに詳しかったので、父と母に色々教えられながら観たのが2005年6月8日、タイのバンコクで無観客試合として行われた試合……ジーコジャパンがドイツW杯出場を決めた日本代表vs北朝鮮代表の試合でした。

「あれが前の試合でゴール決めた小笠原」
「あれがこの前決めた大黒様」
「あれがキャプテンの宮本」
「いつもは中田英寿と中村俊輔ってのがいるけど今日は出場停止で…」

…とかなんとか。
その試合を観てふと思った事が「…ガンバ大阪ってところにえらい中心人物固まっとるなぁ」…と。その時は別にそれ以上の感想は無かったんですけどね。

その後、J1はコンフェデレーションズカップ参加に伴い中断していた事もあってずっとサンガを観ていましたが、J1が再開した7月……何気なくテレビのチャンネルを回すと映し出されたのは「ガンバ大阪vs東京ヴェルディ1969」の一戦。ガンバ大阪に所属していた宮本恒靖と大黒将志はこの時にまさしくスーパースターでした。遠藤保仁も代表常連だった事で名前は当時から把握していましたし、「あぁ、これえらいいっぱい人いたガンバの試合やん、観てみよー」と軽いノリでそのまま試合を視聴したのが今思えば運命の瞬間とも言えました。

小2でも衝撃を受けるほどの攻撃サッカーを見せつけたガンバはアラウージョの3ゴール4アシストなどで7-1でヴェルディをフルボッコに。この試合で初めて「J1」を観て、そして「とんでもないもの観た…」となった私をそれ以降サンガと共にガンバを追うようにするのに時間がかかる訳も無く。サッカーを好きになる、サッカーの入り口になったのがサンガだとすれば、出会ったサッカーの中でサッカーを観て好きになったのがガンバでした。
2005年……あの年の最終節、あの最後のアラウージョのゴールは、既に9割方ガンバファンに育った私の運命を決定付けるには十分過ぎる展開でした。


改めてこうやって振り返ると……人間ってやっぱりゲンキンな生き物というか単純というか、やっぱり根っこはどうしてもミーハーだと思うんですよね。
前述のように、サンガについては京都に来た時点で遅かれ早かれ好きになっていたというか応援するようになっていたと思います。ですがガンバについては入りは完全にミーハーもミーハーです。極端な話、私が最初に観たガンバvsヴェルディ戦でヴェルディが7-1で勝っていたとしたら私はヴェルディファンになっていた可能性だってある訳ですし、あの北朝鮮で仮にセレッソ大阪の選手が活躍していたとしたら最初にセレッソの試合を観る事になっていたかもしれない訳で。そういう偶然のタイミングが重なった結果、今も私はガンバガンバと言っている訳で、一つ何かのタイミングがズレていればガンバファンだったかどうかもわからないんです。運命という言葉はあんまり信じたくなですが、偶然とタイミングが未来に及ぼす力って自分が想像するより大きいんでしょうね。

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サッカーに限らずスポーツファンって面白いもので、好きになる理由はびっくりするぐらい単純だったりミーハーだったりするんですよ。でも一回ファンやらサポーターになってしまったら最後みたいなところもあって。

例えば好きなミュージシャンが居たとしましょう。
その人のライブを観る為にファンは安くないお金を払ってチケットを買います。2〜3時間のライブを観た後、もしかしたら「席が遠かった」「あの曲聴きたかった」ぐらいの不満はあるかもしれませんが、よっぽどエグい出来事でも起こらない限りライブが終わった時の感情は純粋に「楽しかった」となるはずです。ライブなどのチケットは言ってしまえば「幸せの引き換え券」みたいなもので、このチケットを買えば多幸感を持ち帰る事が出来る…そんな感覚だったりします。

ではこれがスポーツで、それも好きなチームを持っていた場合です。
スポーツにはどうしても勝者と敗者が存在します。言い方を変えると、どちらかが喜ぶ為にはどちらかが泣く必要がある。これがファンの立場になると、ライブでは幸せを保証してくれるチケットは幸せを保証してくれないどころか、悲しみを金で買う結果にすらなりかねないのです。安くないお金を出して買ったチケットで飛び込んだスタジアムの帰り道の足取りが行きよりも重くなる可能性は低くない……数学的に考えれば割の合わない買い物です。
でもスポーツファンというのは、おかしな事に気付いたらまたチケットを買ってしまっている。一度好きなチームが出来たら最後、これが幸せの引き換え券になるとは限らないなんて理解していても、金で悲しみを買う結果になるかもしれない事など百も承知だとしても。スタジアムに行かずとも、散々な負けっぷりを見て「二度と観るか!」と文句を吐き捨てたところで、結局次の週には時間とチャンネルを合わせて好きなチームを観てしまっている。たとえ喜ぼうが悲しもうが……。


知人で一人、バリバリの関西人で阪神ファンに囲まれて育ち、関東に縁もゆかりも無く特別強い訳でも無いのに千葉ロッテマリーンズのファンの人間がいます。たまに「何をきっかけで…」と思う事もありますが、多分きっかけは単純だったりするのでしょう。そして彼もきっとハマったら最後の呪縛に陥り、二度とロッテなんか観るかと思いながら試合の時間にチャンネルを合わせるのでしょう。好きになる事に特別めいた理由は無いけれど、好きになった以上私達はやたらと積極的に十字架を背負って歩くようになってしまっているんです。多分。

今回のnoteではサンガファンとガンバファンになった理由ときっかけについて書きました。最後は少し話が逸れる形にはなりましたが、多分みんなそれぞれ違うのはきっかけだけで、きっかけの後の話を語らせれば心根では似たような事を言い出すんじゃないかなと。
どこかのスポーツチームを愛する事は間違いなく病気です。だって定期的に精神的ダメージぶっ込んでくるのに皆懲りないんだもん。でも、もはや私達は自分達が「病人」である事にすら誇りを持っているのでしょう。今(2020年3月)はちょっと、その薬の処方が途絶えているところですが……。


中断期間のうちに、改めて自分にとっての「きっかけ」やファン・サポーターって結局なんぞや、と思ってこんな感じのnoteになっちゃいました。次回は何を書こうかしら。次回もよろしくね。

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