姫百合協定つまはじき 3章

○ひとりごと 全部あの子が持ってきた

 りんごは夏帆が持ってきた友達だ。夏帆とりんごは幼い頃からの友達なのだそうだ。夏帆は母が持ってきた。
 入学してしばらくした春、母は私にクッキーを持たせた。私はそれを夏帆に渡した。なんのことはない。個人的に親交のあった私の母と夏帆の母の間のお使い役である。そんなことが二、三回続くうち、私と夏帆は親しくなった。つまり、夏帆は母が持ってきた友達だ。だから、夏帆にとってはりんごこそが友達なのだとおもう。私はオマケだ。
 満は姉の美咲が持ってきた。満は美咲と仲良くなった。だから私は満と仲良くなった。私はいつでもオマケだ。

〇私の方が昔から

ひぐらしの鳴き声に紛れて、しゃりしゃりと鳴る金属音がある。それは、満の足首を飾るアンクレットが立てる音だ。
「それでなんでカモが千鶴を誘う流れになるわけ?」
「さあ?本人に訊いてみれば?」
 牧村美咲は、三原満と連れ立って歩いていた。
「鴨川さんが自分を奪おうとしてると思った?」
 美咲はわざとらしく顔をしかめて見せた。
「そうは言わないけど、千鶴と仲悪いんじゃなかったの?」
「私はまだ結構信じてるんだけど」満はいたずらっぽく笑い、美咲を焦らした。「あるじゃない、誰かと仲良くなるために、まずその周囲と仲良くなるって」
 つまり、由香は美咲と仲良くなりたくて、その準備のために千鶴を利用していると。そういう見解なのだ、満は。
「誰かを特別扱いするのってさ、誰を特別扱いしているか知られるのって、怖い?」
 満にとってその回答は予想外だったようで、意外そうな表情が返って来た。美咲は気にすることなく続けた。
「千鶴も大変だね。無関係の人間関係に巻き込まれてさ」
「私の方が、前から美咲のこと好きだったのに」
 しゃりしゃりと鳴る音が止まったので、美咲は振り返らなければならなかった。満はいっそ不思議そうな顔で美咲を見ていた。流石に一瞬驚いたけれど、すぐに『そういう』話ではないと判断した。満の声は、何かを読み上げるような芝居がかったものだった。
「あんがいそんな風に思ってるかもしれないわよ。湊は」
 満が再度歩き始めて美咲を追い越したので、美咲は抗議の目でそれを見つめた。満は振り返った。
「それで、どっちを選ぶのよ。もしそういう話だったら」
「そりゃあ、先約の方だよ」
「だったら、歩夢と来てあげればよかったのに」

++++++

 牧村歩夢は、ふわふわした毛玉をぼんやり見つめていた。歩夢とはまた違った意味で癖のある小山夏帆の髪は、後ろから見ると菊の花をひっくり返したように丸く層になっている。
「ねえりんごちゃん。選んでよ」
 夏帆が振り向きもせずに手を伸ばした。選ぶ、というのは夏帆がにらめっこしている屋台のかき氷のことだ。酒匂りんごはそのとき別の屋台を覗きに行っていたので、そこにはいなかった。
「りんごちゃん、薄情」
 そこにりんごがいることを疑いもしない夏帆の様子が面白くなかったので、歩夢はそれを放置した。しばらくすると、りんごが戻ってきた。その手には、赤く光る飴が握られている。
「お、りんご飴」
「その先言ったら、ゼッコーだから」
 りんごは冷めた目で言った。夏帆は結局メロン味のかき氷を選んだらしく、緑色の山をストロー製のスプーンでシャクシャクやりながら輪に加わった。
「あ、りんごちゃんがりんご飴」
 歩夢はこっそり夏帆を指差し無言でりんごに問いただした。りんごは真顔でゆっくり首を横に振った。

++++++

 鴨川由香は、ゆっくりと目を開けた。瞬きをすれば多少は夢が覚めて、マシな世界が広がっているのではないかと思ったが、そんな手品はなく、目の前には相変わらず湊千鶴の猫背気味の立ち姿があるだけだった。
「晴れて良かったな、今日」
「晴れましたね」
「千葉のなんとかいう町で熱中症十三人やって、怖いな」
「そんなことがあったんですね」
「今日何しとったん?午前中」
 千鶴は黙った。話題が千鶴自身のことに及んだからだ。そもそも、彼女は数日前から自分の感想すら話さない。ことの始まりは由香が千鶴をこの祭に誘った日だ。その日、由香は彼女から協定もどきを持ちかけられた。

 もともと由香が持ちかけた話は、本来千鶴が美咲と約束していた祭の予定を、由香に譲るというものだ。千鶴はそれに条件を付け、協定もどきとして成り立たせた。
「本当にすまんな、約束を破らせて」
 そう声をかけた由香に、千鶴は言った。
「それは許します。その代わり、私から出す条件を呑んでください」
 千鶴の条件は、簡単であり、そして複雑なものだった。
「今後、私のことは話題にしないで」
「無視しろってこと?」
「そうではなく、天気のこととか、ニュースのこととか、私自身と関係がないことを話題にして欲しいんです」

 結局、その場は曖昧な空気のまま話が流れ、それでも千鶴は待ち合わせ場所に現れた。つまり、すでに由香には協定もどきを守る義務が発生しているということらしい。
「あたしはな、午前中、本を読んでたんよ。知っとる?工藤渚って」
「知っています」
 千鶴は興味なさそうに返事をした。
「よう分からんかったわ。頭いい人はああいう無駄に難しくした言い回しがいいんかね」
 自分の声は、考えていた以上に皮肉っぽく、意地悪に聞こえた。そんなことを言わせた千鶴に対して、一層理不尽な怒りがわいた。
「私、あれがいいなんて一言も言ってませんが」
 盗み見た千鶴は平和な顔で屋台を眺めていて、その落差に由香は失望のような感情すら覚えた。二人の沈黙を割って、声が聞こえた。
「うーすカモ」
 手をあげて近づいてきたのは、橋本凛だ。バスケ部のチームメイトである。凛は首を伸ばして千鶴の顔を見た。
「奇遇じゃん、そっちの彼女は……妹さん?」
「ちゃうちゃう。これはウチのオカンやねん」
「へえー。若いって言われるでしょう」
 ジロジロと眺め回す凛を制して、千鶴が口を挟んだ。
「お言葉ですが、私は鴨川さんの家族ではありません。ただの友人です」
 凜が「ほう」と真面目ぶった声を出して、二人の顔を見比べた。由香は居心地悪く千鶴の横顔を見た。メガネのフレームが見える。
『友人』という言葉は由香の心をざわつかせた。ほとんど傷ついたようにすら感じた。自分は千鶴の友人になりたかったのだろうか?混乱した心の中では、答えは出なかった。

〇カミサマの落とし物

 美咲と満との逢い引きは、唐突に終わりを迎えた。クスノキの下で、二人は待ち伏せを受けたのだ。相手は歩夢と夏帆だった。
「やーっと見つけた」
 歩夢が携帯電話のアンテナを銃口のように美咲に向け、発砲した。
「りんごちゃんはどうしたの?」
「それが、夏帆がちょっと落とし物しちゃって」
 夏帆は泣いた形跡のある顔でうつむきながら、クスノキの根元に座っていた。歩夢はその背中をさすっていた。夏帆は浴衣の上から肩にかけたポーチを握りしめている。
「ほら、例のカエルのマスコット。確かにこのポーチに付け替えたはずなのに、いつの間にかなくなってたんだって」
 満があたりを見回した。
「よりによってこんな日にこんな場所で落とさなくてもいいのにね」
 歩夢がとがめるような目を向けた。

++++++

 世界はテントの下だけにある。普段の生活で気づくことはあまりないが、夜の森というのはかなり暗い。というより、夜というものは元来暗いものなのだ。
 酒匂りんごは、世界の外にいた。
 マスコットの心当たりを探し終えたりんごは、獣道まで足を伸ばすことを検討したが諦め、一度探した落し物受付に未練がましく戻ってきていた。受付で運良く落とし物を見つけたらしい子供が連れ合いの元に返っていく。彼は元の世界に戻るパスポートを手に入れたのだ。
「りんごやんか」
 声がして振り向くと、鴨川由香がいた。隣には千鶴の姿もある。朗読会のためについ最近出会ったばかりの相手を、よくこの人混みの中で見分けたものだと思う。由香はりんごと落とし物受付を見比べると、「斬新な出し物やな」と言った。
「そうですね」
からかいを含んだ言葉に、りんごは少しむきになって、神社の奥に歩き始めた。由香は追いかけてきてその肩をつかんだ。
「広場に行くんか?一緒に花火見てもええか?」
「花火?」
「違った?まあ、空を見とったら落とし物は捜せへんもんな」
 立ち止まったりんごのスニーカーが足下を撫で、ざりざりと音が鳴った。
「それはもう良いんです。この混みようじゃ、どちらにしろタイムアップです」
 由香は空を見て何かを考えていたのかいなかったのか、励ますように、りんごの背中をたたいた。
「そういうのはな、諦めたぐらいにポンと出てくるもんよ」

++++++

歩夢は美咲達を引き連れて、奥まったところにある稲荷神社の近くに集まっていた。
「みさ、確かそのマスコットって去年のお祭りで手に入れたのよね」
「うん、くじ引きで」
美咲が頷いて自分のマスコットを顔の前に掲げて思案顔になった。
「もしかしたら今年も同じ店でくじをひいたら当たるかもって?そんなに都合良く在庫があるかな?あったとしても、くじで当たるとは限らないし」
 歩夢は腹の底が妙に騒ぐのを感じた。
「二人とも、それ、本気で言ってる?」
 見返す美咲の頭の横で、はねた髪が動物の耳のように揺れていた。現れ方は違うが、歩夢と同じくせっ毛なのだ。歩夢はその頭をつかんで髪をぐしゃぐしゃにしたい衝動に駆られた。
「ずっとちっちゃい頃から持ってる大切なものなんだよ?代わりじゃ駄目に決まってるじゃん」
 じっとりと両頬を撫でる湿った空気のなかに、妙に冷たいものが混じった。満のアンクレットが音を立てたが、それは歩夢を肯定も否定もしなかった。
「そう、かな?」
 ぽつりと言ったのは夏帆だった。歩夢は夏帆を見返した。
「もしかしたら、いいかも。代わりでも」
 美咲は無造作に自分のマスコットを鍵から外して、夏帆に突き出した。
「良ければあげるよ」
「でも」
「大事にしてくれる人が持ってたほうがいいもの」
 歩夢は思わず手を出して、美咲の手首をつかんでいた。
「なんで自分より夏帆の方が大事だってわかるの?」
「だって、わたしにとっては特に大事ではないから」
 つるりとした美咲の顔がしゃくに障る。歩夢は、すがるようにつかんだ手首に力を込めた。
「やだ、離さないで」
 美咲は鼻白んだ。
「お前、私の何だよ」
「なっ……。妹だよ!」
 本当は、美咲が聞きたかったのは、『何様か』ということなのだろう。『妹様だ』とでも言えれば良かった。妹とは一体、『何様』なのだろう。ぼんやりしているうちに自分はどんどん何者でもなくなっていく。
「歩夢?」
 恐る恐るかけられた夏帆の声に、多少現実に引き戻された歩夢は、ゆっくりと手を離した。まだ納得のいかない顔の美咲に後ろから満が手をかけ、「みさ」と声をかけた。美咲は不承不承という様子で、あらぬ方を見ながら口を開いた。
「じゃあ、交換条件。その落し物って、きっと思い出があるんでしょ?それを聞かせてくれたら、お礼としてこれをあげる」

〇友情の代わりに

 鼻先に冷えたガラス瓶を突きつけてやると、りんごは逃げるように首をすくめた。彼女がそれを受け取ったのを確認した由香は、自分の分のオレンジジュースに口を付けた。由香はなかば強引に出店にりんごを引っ張っていき、瓶入りのサイダーを押しつけたのだ。
「あんた、冷めたやつと思っとったけど、案外優しいねんな」
 由香はすでに、夏帆の落とし物の件をりんごから聞き出している。
「先輩は、優しい人間の方が、いいと思います?」
 炭酸の弾ける音が由香を不安にさせた。千鶴に拒絶された分のお節介欲をりんごにぶつけているような自覚が、一応は由香の中にもあった。
「優しくない人間よりはええやろ。優しい人間が増えれば、世界に優しいことが増えるわけやし」
「楽観的ですね。優しい人間の方が一方的に不利だとは思わないんですか」
「そういうのよく聞くけども、わからんのよな。親切にしろ意地悪にしろ、そんな正確な勘定でやり取りされるもんとちがうやろ」
 もにもにとサイダーを口の中で転がしていたりんごは、それを飲み込むと小銭を突き出した。
「なによこれ」
「代金ですよ」
 りんごは小銭を握っているのとは反対の手で空の瓶を振った。
「そんな細かいこと気にすなや」
「お祭りでの数百円が小さいことなもんですか」
「あたしらいったい何歳よ」
 ポン、と音がして、由香はそこに千鶴がいることを思い出した。少し猫背の姿勢でラムネの泡が吹き出すのをただ見つめている千鶴が何を考えているのかは、相変わらず一向に分からない。千鶴は三分の一ほどを地面に飲ませてから、やっとラムネに口を付けた。
「数百円を気にするような人間が、こんな足下見た金額のもの買えませんよ」
 りんごと由香は互いの視線を交わした。由香はにやりと笑って見せたが、りんごは乗らなかった。
 そんなに借りを作るのが怖いのか、訊いてみたいとは思ったが、あっさり「そうだ」と返されてしまいそうで、結局訊けなかった。

++++++

 『思い出』を語らせると夏帆はやや饒舌で、ともすれば感情的過ぎるくらいに、熱意を込めて話し始めた。
「私、小さい頃からエリオットの絵本が好きで。でも、子供っぽいって思うでしょう。先輩はそう思わないかもしれないですけど、そう思う人っていっぱいいるんです。私が友達と思ってた人のなかにもやっぱりそういう人がいて」
 美咲の顔の前を、しゃぼん玉が横切った。すぐ近くで、不機嫌にしゃぼん液をかき混ぜる歩夢の姿が見える。傍らの満がちらりと美咲を見た。
「麻子っていう友達がいたんですけど、その子は私を裏切った」
 夏帆は、美咲の渡したカエルのマスコットを両手に握り込んでおでこに当てて、祈るようなポーズをとった。それからハッとしたように顔をあげて、言った。
「癖なんです。落としちゃった人形、私にとってはカミサマみたいなお守りみたいな。何かあるとこうするんです。おそろいのマスコットだから。私とりんごちゃんがずっと友達で居るっていう、約束の証だから」
「そっか。二人にとっては、協定の証みたいなものだったんだ」
 美咲の言葉に、夏帆は薄く微笑んだ。
「私、ちっちゃい頃から引っ込み思案で、自分の好きなもの守れなくて。でも、りんごちゃんは違う。いつも正義で、正しくて、ちっぽけな私の気持ちを、守ってくれるんです。今だってそう。あんな古い人形、探してくれるのはりんごちゃんだけ」
 歩夢の吹き出していた大きなしゃぼん玉が、ぱちんと割れた。歩夢の顔にかかったしゃぼん液を、満がハンカチで拭き取っていた。

++++++

 結局りんごとは途中で別れて、由香と千鶴は二人きりに戻った。花火の開始が告げられると、客足は広場へ向かうようになり、出店の並ぶ目抜き通りは多少まばらになった。どちらからともなく、二人は鳥居に向かって歩いていた。
「なあ、あんたのオススメはどこなん?出店とか」
 沈黙に耐えられなくなったのか、自分でも分からなかったが、由香はぽつりと言葉をこぼした。千鶴はずっと足下に視線を向けている。
「私から一言アドバイスしますと、こういうとき一番のお気に入りは当てにしない方がいいですよ」
「なんで?」
 千鶴はペロリと自分の舌を出して、指でさして見せた。
「その人の舌に合いすぎているからです。三番目とか四番目の方が、もっと普通の尺度で褒められるものが出て来ると思いますよ」
 由香はアイスキャンディーを噛みながら、回答を選んだ。
「なんか分かるわ、そういうの」
 千鶴は失望したように、瞬きの前後に寂しい顔を見せた。
「ちなみに私が一番好きなのは焼きそばです」
 からからと千鶴の下駄の音が必要以上に大きく響く。オレンジジュースを飲み干したばかりなのになんだか喉が渇いたように感じる。
「だからここで分かれましょう」
「話のつながりが分かれへんけど」
「焼きそばを食べると、歯に青のりがつきますよね。だから、花火が始まってみんなが上を向くようになったら、焼きそばを食べて、そこでバイバイ」
 千鶴が顔の横で両手をひらひらと振って見せた。背後で花火の音がして、妙にあどけなく見える千鶴の顔を照らし出した。自分は千鶴に白い歯でいて欲しいなんて思っていない。
往来のど真ん中で立ち止まった二人は邪魔な存在に違いなかったが、人混みに慣れた人々は二人を避けて流れ続けた。由香は千鶴の二の腕をつかんで、道の脇に引っ張ろうとして、唐突にその意欲をなくした。中途半端に腕をつかむ掌を握りこむことも離すことも出来ず、無力をさらして千鶴にすがりつく。
「やっぱりこないだの協定もどき、なかったことにしてくれ」
 由香は、提灯の明かりに照らされて堅く光る自分の声を聞いた。
「あたしのこと、許す必要ない。なんか知らんけど、あんたを怒らせたこと、ずっと恨んでくれていい。せやから、今後一切、あたしのこと、友達だとか友人だとか、そういう風に呼ばんとってくれ」

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