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のどやかに世を儚むということ

 「邦画で一番好きな映画は?」と聞かれると、ぼくは『横道世之介』という映画を挙げていた。

 長崎出身の横道世之介という素直でお人好しな青年のことを、学生時代を知る旧友たちがふと思い出しては「良い奴だったな」と笑みがこぼれてしまうという映画。
 これを早稲田松竹で観てからというものの、ぼくは「こんな人間でありたいな」と人に優しく分け隔てない世之介のような人物であろうとした。作中、祖母の葬儀で泣く人々を見て「自分が死んでもみんなは泣いてくれるのか」と考えた世之介は、10余年後、駅のホームから落ちた人を助けようとして死ぬ。

 さっきなんとなく、「ぼくはお人好しだよな」と考えていたら横道世之介のことを思い出したのだ。また同時に、人に温かな記憶を残したまま死ねた彼のことを羨ましく思った。

 祖父のことも思い出した。早くに父を喪い、16の時に母とも死に別れた祖父は、大叔母に言わせると「死にたかったんだろうね」と、多くが特攻兵を担った海軍飛行予科練習生(いわゆる予科練)となった。その祖父が生前に情景描写だけでぼくへ語った話がある。

「訓練中、白い光と、雲仙の山の向こうにバーッと大きい雲が広がるのが見えた」

長崎の原爆のことだ。事実かどうかは定かではないが、何度も頷きながら語る祖父の姿とその意味を、何となく理解できた気がする。

 死に場所を求めた結果、眼前に死神を見ながら死に切れなかったのだ。

 玉音放送が流れた時から、あるいは予科練に志願した時から、祖父は自分のために生きることをやめて「国のため」「人のため」に生きることにしたのだと思う。それが彼の美徳だった。悼んでくれる人は多かったが、果たして本人は幸せだったのだろうか。死んでホッとはしなかっただろうか。

 祖父がよく歌っていたという曲の一つに「街のサンドイッチマン」という曲があったそうだ。東京に出てきてから仕事としてサンドイッチマン(看板を前後に背負ったいわゆる人間広告)をしていた頃の自分を重ねていたらしい。

歌詞の一節には

サンドイッチマン サンドイッチマン
俺らは街の お道化者
呆(とぼ)け笑顔で 今日もゆく

とある。
 生きるため、人の役に立つため、道化を演じることも厭わない姿は尊いものだと思う。生きることを選んだことを、肯定していたのかもしれない。

 作中、世之介はサンバサークルに所属していて、眩しく笑い踊る場面がある。お茶らけていて、あまりにも死とかけ離れている姿だ。

 そんな多幸感あふれる人間賛歌のような場面を思い出し、ぼくはあることに気付く。
 「死にたい」と願う希死念慮と、本当に死んでしまうことは全く違うことなのだ。生きることは尊く、死を強いられることは悲劇でしかないのだ。

 「世を儚む」というのは、生きているからこそできることで、死を強いられた人たちにはできない。きっと平和を享受する者の行いなのだろう。

思い出の片隅の真ん中で、彼はいつも笑ってる。

 横道世之介のコピーは、悲劇を悲劇たらしめない。
 思い出の住人となってしまった世之介を想い涙ぐみながら微笑む昔の彼女は、世之介が望んだ姿なのだろうか。それは分からないけど、ぼくは世之介のようなお人好しであり続けたいと思う。

 そんなことを考えながら今年の8月9日を過ごしていた。

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