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考えることを邪魔する呪縛

考えていない。
いや、考えられていないのだ。


考える隙間時間がない。
いや、時間を作れていないのだ。


知りたい情報、読みたい本、学ばなければならないこと...
激流の如く押し寄せてくる。

それを左から右へと一生懸命に追いかけるので手一杯。

それらをうっかり鵜呑みにして、無意識のうちにトゲトゲ呪縛を抜くのは、やはり自分の意見とすり替える。

あたかも自分が考えたかのように思えてくる。

そんな具合だから、いざ自分の頭で考えてみようと腰を据えて挑んでみても、なかなかうまく思考が乗らない。

乗ってきても、もしかしたらこれは誰からかの借り物の意見かもしれない、とふと思う。

ランニング中、あるいは通勤中の徒歩時に降ってきた言葉や考えを必死にケータイのメモに書き留めるも、こんなことは昔の人から今の人まで、たくさんの世界中の人が、つまりは私以外の誰かがもうとっくのとうに思いついて、学問として昇華させ、完成させてしまっている考えかもしれない。

そんな懸念がよぎる。

堂々と自分の考えとして述べて良いのだろうか。
「そんなことはもう昔の偉い人がさらに学術的に高度なものにして理論化されていますよ。」
誰かさんの声がする気がして、躊躇ってしまう。


もっと自由に考えたいのに。
もっと自分の考えを表現したいのに。

自分以外の周りの目を気にして、思考停止をさせてしまう、呪縛の言葉たち。

トゲトゲ、プスプスと私の心を突き刺してくる。

トゲトゲの針を抜くのは、やはり自分しかいないのだろうか。

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