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人というのはティッシュペーパーの箱のようなものです

昔、あまり好きではない担任の先生がいた。

その人がやることなすこと、なんというか「押さえつけ」「強制」で、全く子どもたちの意見を取り入れない、自由な部分を削除してしまうような先生だったからだ。

だがそんな先生が、一人気にかけてケアしている生徒がいた。

あまり詳しく生い立ちはわからないけれど、複雑そうな家庭環境の男の子。

勉強もなかなかついていけないし、ちょっと性格的にも難しい子。

多分学校が休みの日も、十分に親と過ごす時間もなく、寂しかったのではないかと、先生の話の端々から想像していた。

クラスのみんなも、ちょっと悪い言い方をしたら「偏見」の目で彼のことを見て接していたように思う。
私もちょっとその子との関わりは苦手だった。

先生が、わざわざ何かの科目をやるべき1時間をかけて、彼のことを話し、最後の方にこう言った。

「人ってね、平面じゃないのよ。ほらここにあるティッシュペーパーのケースみたいに、みんなからはこの面が見えているのかもしれないけれど、本当はもっと立体的で、いろんな面があるの。だから学校で見せている部分だけで判断したりするのは違うんです。」

苦手な先生だったが、このシーンと言葉はよく覚えている。

私が社会に出て、最初に勤めたのは製薬企業だった。

そして私の配属された部署の上司は、いわゆる"嫌われ者"。

他部署の人から、アイツは何も現場のことが分かってない!とか、体型を評してあのタヌキ!とか、いろんなことを言われていた。

そんな人が上司になるのか...
ちょっと周りの意見を聞いて不安になり、流されそうになっていた時、他部署であり同期の友達が一言私に言ったのだ。

「◯◯さん、みんなからは結構ズタボロに言われているけど、私はなんか憎めないというか、嫌いじゃないなー。良い人だと思うんだよね。」

その同期の発言でハッとした。
そうだ、私は何も上司のことをそんなにまだ知らない。そして嫌だと思ったことは一度もない。

みんなに流されて、意見を揃えることなんてしなくていいんだ。

まるで、昔の苦手な先生に諭されたことと同じだった。

その同期の発言のおかげで、私は退職までの間、その上司の一面だけではなく多面的な部分を見るようにしたために、とても良好な関係を保ち、意見も交換し合いながら気持ちよく仕事をすることができたのだった。

そういえば、中学時代、みんながあの子嫌い!っていうくらいに嫌われている女の子がいた。
私もなんだか苦手だった。

でも、とある子は、自分のグループもあるのだけれど、その嫌われている女の子とわざわざ一緒に帰ったり、一緒にどこか出かけたりしているようだった。

おそらくその子にしてみれば、みんなが嫌っている女の子のことを自分は嫌いだとは思わない、という気持ちを貫いたのだと思う。その子は、嫌われっ子の他の部分もちゃんと見ていたのだ。

中学時代なんて、そんなことをしたらもしかしたらグループを外されてしまうかもしれない。そんなような雰囲気さえあったのに、堂々と嫌われている女の子と一緒に行動する姿は、私からしたら尊敬というか、羨ましくもさえあったほどだ。

人との付き合いに限らず、何か世の中の出来事、有名人に対しての評価、感想というのは、得てして多数の意見に飲み込まれやすいと思う。

よくよく考えて、私もあなたと意見が同じです、というならば良い。というか仕方がない。

けれども、人の心理として、薄っぺらにしか考えず、自分は本当はそんなことを思っていないのに、周りの意見に流されてしまい、その結果を評価として意見するということが往々にしてあるのではなかろうか。

昔の苦手な先生が言っていたように、本当にそれは物事の真実なのか?断片的な情報で判断していないだろうか?

よくよく考えてから自分としての意見を表明するということが益々必要になってくるのではないか。

そして、いろんな情報から自分が下した判断、評価で動ける人こそ強いと思う。
そして、カッコいい。

信憑性の低いものから高いものまでごちゃ混ぜな情報に溺れている現代だからこそ。

人に限らず物事は多面体なのだ。

それを総合的に見て、周りに流されない人でいたいと思う。

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