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部活の思い出

「〇〇高校の定期演奏会に行かない?」

中学2年生の春休み。
同じ吹奏楽部の友人に誘われて行った、地元の高校の定期演奏会。
田舎の弱小吹奏楽部での経験しかなかった私の目と耳に飛び込んできたのは、ステージ上を埋め尽くす大勢の高校生と楽器たち、そして圧倒的に豊かな音圧だった。
途中、自分がやっていたトロンボーンのソロパートがあり、特に心が躍った。
自分もああなりたい。あのステージでソロを吹きたい。
そう強く思ったことを今でも覚えている。

ほどなくして訪れた高校受験で、私がその高校を志望したのは言うまでもない。
受験には無事成功し、私は憧れの吹奏楽部の門を叩くことになる。


* * * * *


入部して数ヶ月が経ち、私たちは吹奏楽コンクールの県大会に向けた練習に取り組んでいた。
吹奏楽に限らず、複数人で合奏する場合は、同じ楽器の中でもパート分けというものがされている。それらは大体1st、2nd、3rdというような形で分けられていることが多い。コンクールで演奏する曲で、私は3年生のA先輩と一緒のパートに振り分けられていた。

ある日、私はA先輩から「一緒に曲練をしよう」と誘われた。
A先輩はクールビューティといった感じの、ショートカットがよく似合う大人っぽい人だった。その一方でユーモアのセンスも持ち合わせており、よく面白いことを言ってはトロンボーンパートのみんなを笑わせていた。
もちろん楽器も上手く、私は密かに彼女に憧れていた。

そんなA先輩と2人で一緒に練習することになり、私は嬉しさと緊張でいっぱいになっていた。そんな状態だったからかもしれない。2人での練習は、あまり上手くいかなかった。

同じ旋律のパートを複数人で演奏する時には、音程(ピッチ)を合わせる必要がある。複数人で吹いても、まるで一つの音に聞こえるように。そうすることで、他のパートや楽器と合わせたときに、綺麗な音の重なりを生むことができるのだ。
私は、先輩と一緒の練習に舞い上がってしまい、上手く先輩の音に合わせることができなかったのだ。先輩の音をよく聴いて、一つの音になるように音程に気を付けなければいけなかったのに。
その時、A先輩に何と言われたかははっきり覚えていない。けど、若干呆れたような、がっかりしたような、そんな雰囲気だったことは覚えている。
2人での練習が終わり先輩が去って行ってから、私は激しく後悔し、反省した。

その後の個人練習で、私は一から譜面をさらい直した。
チューナーを使って、一つ一つの音の正しい音程を耳に叩き込んだ。
舞い上がっている場合ではない。先輩に失望されたままではいたくない。
先輩の最後の夏を、ぶち壊すわけにはいかない。
必死だった。このまま甘ったれてはいられないと思った。

数日後、再び先輩に声をかけられ一緒に練習することになった。
今度は、先輩の音をよく聴いた。落ち着いて、正しく譜面を音に変えた。
明らかに、前回の練習より手応えがあった。
先輩との間に流れる空気も穏やかなまま、練習は終了した。

良かった、と胸を撫で下ろしながら個人練習に戻る。
少し経った頃、廊下からA先輩の声が聞こえてきた。

「あの子すごいよ、大物になるよ」
「さっき音程もぴったりだったし、完璧だったよ」

あれ、もしかして、と思った。

もしかして、私のこと?

いやそんなわけないだろと平静を装いつつも固っていると、廊下にいたA先輩がB先輩と一緒に、練習していた教室に戻ってきた。
「柴崎さんすごいじゃん!Aがこんなに褒めるなんてなかなかないよ」
B先輩が驚いたように私に言う。
いやほんとすごかったんだよー、とA先輩はニコニコしていた。

あまりに突然の出来事に、いやそんなことないですよとしどろもどろになりながら応じる。それでも、内心は爆発しそうなくらい嬉しかった。

憧れのA先輩に、褒めてもらえた。
もう、本当にそれだけで、全部報われた気がした。

最初は失敗したけど、地道に努力して良かったと、心から思った。

その後の練習中はおろか、家に帰ってからも、先輩の言葉を思い出しては自然と頬が緩む。嬉しくて嬉しくて仕方なかった。

この経験は、3年生になって部活を引退するまで、私の心の支えになり続けた。


* * * * *


あっという間に3年生になり、私はトロンボーンパートのパートリーダーになった。
しかし、私はそれがきっかけで、少し躓いてしまった。

元々みんなを引っ張ってくリーダー的な役割は苦手だった。
けど、大好きな部活の、大好きなトロンボーンパートでなら、何とかやっていけるんじゃないかと思ったのだ。
同じパートには同級生も、しっかりした後輩もいたし、いざとなったら知恵を出し合って助け合うこともできるだろう、という思いもあった。

そんなこんなでパートリーダーになってみたものの、思った以上に自分にリーダー適性がないということと、他のメンバーは頼れない、ということを徐々に知ることになる。みんなそれぞれ他の役職で忙しかったということも追い討ちをかけた。

自分の判断に自信が持てない私は優柔不断になりがちで、他のメンバーを少し苛つかせた部分もあったと思う。
私も私で、普段はなかなか協力してくれないのに、いたらいたで「それ違うんじゃないの?」等と口出ししてくる同級生に少しムッとしたりもすることもあった。

そんな感じで、少し周りの人間が信じられなくなった時期があった。
パート内はギスギスするようなことまではなかったものの、私はだんだん部活が行くことが嫌になっていた。楽器を吹くこと自体は好きだったから、それだけが部活に行く唯一の理由だった。

最後のコンクールは県大会銅賞であっけなく終了し、私は部活を引退した。
正直、とてもスッキリした。

季節は過ぎ、受験が終わり、卒業式の日を迎えた。


その当時、卒業生にはパートメンバー一同からのプレゼントと、各自が書いた手紙を渡すことが慣習となっていた。
私も、パートの後輩たちから手紙をもらい、お互いに目を赤くしながら言葉を掛け合った。

家に帰り、少し落ち着いてから、もらった手紙を読んでみる。

「先輩は、私の憧れでした」

その一文が目に飛び込んできた時、あぁ、と胸がいっぱいになった。

私がA先輩に憧れていたように。
自分自身も、誰かの憧れになることができたのか、と。

自分は、ダメな先輩だと思っていた。
優柔不断で、みんなを引っ張ることができない、頼りないリーダーだと思っていた。
けど、それでも、私を憧れだと言ってくれる人がいるなんて。

卒業する先輩への、お世辞の一つなのかもしれない。
間に受けるものではないのかもしれない。
けど、その手紙はじんわりと私の中に染み込んでいって、心の中に明かりを灯してくれた。

嫌なこともあった。辛くて、心の調子を崩しそうになったこともあった。
それでも部活を続けて良かったと思った。全てが報われたような気がした。

この手紙を、A先輩に憧れていた頃の自分に見せたら何て言うだろう。
そんなことを思いながら、午後の光が差し込む部屋で、ひとり手紙を読み続けた。


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