見出し画像

松井利夫・小山龍介|きりぶえが呼ぶ地域アート ーかめおか霧の芸術祭が示すポストコロナの表現と生活ー

今回のテーマは、地域の芸術祭。地域に住む人、誰もが芸術家であり、表現者であるというコンセプトで実施されている「かめおか霧の芸術祭」。この芸術祭が示している方向こそが、実は、ポストコロナの表現と生活のありかた、可能性を示しているように思っています。

国際的に評価される現代芸術家であり、そのかめおか霧の芸術祭の総合ディレクターを務める松井利夫氏に、芸術祭で起こっているできごと、その可能性について伺います。(小山龍介)

芸術の地産地消でアートの自給率を高める

小山龍介(以下、小山) 松井先生は、陶芸家という枠でだけではなくて、今日ご紹介する「かめおか霧の芸術祭」の総合ディレクターをされていますね。アートを使った地域の魅力の再発見や地域の新しい関わりの形をつくるなど、いろいろな活躍をされています。

松井先生は京都芸術大学の教授であり、私が現役の学生として修士課程からお世話になっている先生なので、今日は「松井先生」とお呼びしたいと思います。今日のテーマの「かめおか霧の芸術祭」が始まったのは、いつからになるのですか。

松井利夫(以下、松井) 準備から入れると、もう3年目になります。

小山 いわゆる地域芸術アートフェスティバルというのが、有名なところで言うと「越後妻有」や「大地の芸術祭」、「瀬戸内国際芸術祭」などいろいろあるのですが、そういった流れの中で亀岡でも開催されているのです。でもかなり特徴的というか、ほかとは違う取り組みをされていますよね。

松井 大学院で、ずっと芸術祭の調査を学生と一緒にやっています。「越後妻有」や「瀬戸内国際芸術祭」など、全国で年間1000件ぐらい芸術祭、アートフェスティバルというのを調査しています。

現場に行っていろいろなヒアリングをしていく中で見えてきたのが、外から有名なアーティストが来たり、そのアーティストが地元の魅力を掘り起こしてくれて地元の人たちが気づかなかった幸福に気づかせてくれたり、そこはすごく良かったなと思うのです。

それが、どうも続かない。1年か2年たったら違うアーティストが来て違うことをしていくということで、アーティストのほうにはキャリアとして何か残っていくのですが、地域には何も残っていかないというニュアンスのことを、地元の方からたくさん聞くわけです。

アーティストやアート業界の人たちにとっての芸術祭というのは意味があることだと思います。僕は実際に亀岡に仕事場がありますし、周辺に実はすごくたくさんアーティストがいて、大先輩もおられたり、自分の教え子までこの辺りにいたりするので、そういう人たちで充分何かできるのではと思いました。

亀岡は京都の郊外で、京野菜の生産地であり京都市の後背地みたいなものですよね。そういった野菜の地産地消みたいに、アートも自給率を高めて地産地消ができないかと思ったのです。日本は欧米の文化で成り立っているわけじゃないですか。音楽で言うと、ロックやポップス、ジャズにしても、みんな外部のものです。

実は平安時代の歌舞音曲なども、僕らは習わないし知らないし、よほどそういうことに興味がある人でないとわからない。でも、それが突然100年、1000年超えて現れたときに、衝撃的なおもしろいものがあったりするのです。それを日本人は気づかずに、海外の人が海外に持っていってすごく大ヒットさせてしまう。そういうのを見て悔しいし、亀岡だって絶対おもしろいものがあるはずだということで、けっこうおもしろい芸術祭ができるのではと思っています。

KIRI CAFÉで小さな芸術祭を積み重ねる

小山 具体的に、こんなことをやってきたというお話を伺えたらと思います。

松井 亀岡はアーティストがたくさん住んでいますし、僕らが来る前から自分たちで積極的に「カメオカアートボンチ」という芸術祭を開催していました。亀岡の地元のレストランとアーティストを組み合わせた周遊型のイベントです。あるいは「H商店街」というのがあり、盛り上げるために自分たちで、どんどんイベントをやるという下地がありました。ちょっと声を掛けるとすぐ一緒にやってくれる人がいるのです。

この「KIRI WISDOM」では、亀岡の地元のアーティストやうちの大学関係の研究者などを毎月お呼びする講演会を企画し始めました。それともうひとつ、「KIRI KIRI芸大」というものをつくりまして、地元のいろいろな先生方が地元の人たちに公開講座をしてくださっています。亀岡には、書家やヨガの先生、お料理の先生ももちろんいますし、レストランの方、ガラス作家や漆の作家、陶芸家、画家、版画家、ペインターなどさまざまなアーティストがおられるのです。

KIRI KIRIとずっと言っていますが、亀岡は霧が多いので、市長が「霧の芸術祭」という名称をつけました。「KIRI WISDOM」と「KIRI KIRI芸大」の開催場所は、私が今いる「KIRI CAFÉ」を使っていただくということを今進めています。

ということは、何もわざわざ大きな芸術祭を開かなくても、これはひとつの小さな芸術祭の積み重ねだと僕らは考えているのです。KIRIKIRI芸大のワークショップやWISDOMのレクチャーや後援会をひっくるめて見ると、充分芸術祭のコンテンツ、中身を反映しています。それを、こういうのんびりした場所でお茶を飲みながらゆっくり楽しめるというのは、すごくいい空間だなと思うのです。

大きな芸術祭では、直接アーティストから声を聞けたり地元の人と交わったりする機会はなかなかありません。けれども亀岡では、KIRI CAFÉがあることによって地元の人とも交われるし、芸術体験だけではなくて、気さくに自分の考えを言える環境の中で芸術に対してみんなが何を考えているかということを話し合えるところが、すごくおもしろいと思います。

小山 参加しているのは、地元の方がけっこう多いのですか。

松井 多いですね、7割ぐらいが地元の方です。

小山 経済効果のため外から集客するのが目的で開催している芸術祭がほとんどだと思います。ですが、霧の芸術祭はどちらかというと、地元の人が地元のために関わるというほうに軸足を置いているのでしょうかね。

松井 そうなんです。経済効果といっても、亀岡は京都駅から20分ですからね。みんな日帰りだから、お金はそんなに落とさないですよ。それより、地元の人たちのポケットマネーで講座やいろいろなものが聞けて、地元の人たちの中でお金が回っていく。その回転数を上げれば上げるほどお金はどんどん回るから、たくさんのお金は必要ないのです。

小山 まさに地産地消ですよね。京都に行って消費して、亀岡に帰ってきてというのではなくて、京都に行かずに亀岡の中でそういうのを楽しんでいくということですよね。

松井 そうです。亀岡にそんなすばらしい人たちがたくさんいるというのを、みんな知らないんです。言えばびっくりするような作家も住んでいますが、作家というのはひっそりと住んで、あまり表に出たくはないわけです。でも、今日ちょっとWISDOMをやるので、できたら2時間ほどこれまでの作品のお話をしてもらえませんかということを逆に言いやすい。

芸術で亀岡の出生率を上げる

小山 これをやることによって、亀岡はどんなふうに変わっていくものなんですか。ほかの芸術祭は、どうしても芸術家が来ては帰って、を繰り返して、芸術作品は残っていくにしても、ちょっと空虚な感じがしますよね。

松井 僕らは、亀岡の出生率を上げようと思っているんです。交流人口を増やす目的というのは、交流してここに住む人を増やしたり、交流することで恋に落ちてここで結婚するとか、ここで子どもを育てるとかしてくれると、すごくにぎやかになっておもしろいということです。だから、今子どものアーティストを探しているんですよ。

小山 子どものアーティスト。それはどういうことでしょうか。

松井 この間も、メロンパンをつくるのがすごく上手な子どもさんが来て、そのメロンパンをここで販売したのです。また、近所にアーティストの夫婦が住んでいて、その娘さんがやたら料理がお上手なのです。そこで、何日間かここでシェフとして働いてもらって、「彼女のパスタが食べられる日」にしました。

美術館にあるものだけがアートという世界もあるかもしれないけれども、亀岡でつくるアートは、生活を美しくしたり楽しくしたりする技術です。そういう技を持った子どもたちは、実はすごい破壊力を持っています。

子どもが来ると、じいちゃん、ばあちゃんが絶対ついてくるでしょう。そしてじいちゃん、ばあちゃんが心配だから、息子やなんやらが来て、1人の子どもが来たら4人ぐらいついてくるんですよね。でも芸術祭といったら、カップルで来て2人ぐらいがいいとこじゃないですか。ここはたくさん人が来ますよ。

コロナ以後の生活の楽しみの可能性

小山 今日のタイトルにもつけた「ポストコロナ」は、いろいろな人がいろいろなことを言っていて、ちょっと流行り言葉みたいになっています。松井先生がおっしゃったように、芸術というのが生活を楽しむ技術だとすると、もしかしたら亀岡に住んでいる人が亀岡に籠もって、でも生活が楽しくなるというのは、コロナを経たあとのライフスタイルとして、すごく大きな可能性を秘めていると思うのです。

わざわざ人の多い京都に行かなくても、わざわざ東京に出なくても、自分の住んでいる町ですごく楽しいし、家に籠もっていても楽しいあり方というのは、今このタイミングですごく魅力的に感じます。

松井 亀岡の僕のアトリエの周辺は人口密度があまりにも低いので、人と密になりたくてもなかなか密になれない。だから、ふつうに生活できてしまうのです。もともと、近代農業は集団でするものではなく、一人ひとりがトラクターに乗りながら畑や田んぼをうろうろしているだけです。自分たちの生業(なりわい)、仕事が野良にある人たちが多い。

兼業の方々もここが踏んばりどころというので、「会社に行かないのだったら、なんぼでもしっかりやるべ」みたいな感じで、けっこうみんな張り切っています。広い田んぼを持っているというのはすごい資産だと、みんなが言うんですよ。

ここから先は

9,280字

¥ 500

未来のイノベーションを生み出す人に向けて、世界をInspireする人やできごとを取り上げてお届けしたいと思っています。 どうぞよろしくお願いします。